春見つけ

息子がまだ1年生の休校中の登校日、学校から持って帰ってきたファイルを一緒に見て、久しぶりに和ませてもらった夜。『生活』という授業の中で、“ふゆ見つけ”という内容があり、絵と文字で頑張って表現していました。枯れた木を描き、『はっぱがなくなてる。』“っ”がありませんよ。そして、まとめの文章に『さむいときはよくなにかしてくる。』と書いてあり、赤ペンで『なにかってなんだろう?』と突っ込まれていて二人で爆笑。本人に直撃してみると、「てぶくろって書こうと思ったんだけど出てこなかったんだよ~。」ということ。先生これ気になっただろうな。いつか会えたら伝えよう。

ということで、連日のように息子と春見つけ。毎日違う公園へ行き、なんとか気を紛らわそうとサッカーで盛り上がっていた日。そう言えば、まだ冬の寒い頃、この芝生でギターを片手に熱唱しているお父さんがいて、思わず聞き入っていたことが懐かしく感じられて。THE YELLOW MONKEY の 『JAM』(作詞作曲:吉井和哉)を気持ち良さそうに歌っていて、年齢関係なく好きなことに没頭できるっていいなと思わせてくれた嬉しいひとときでした。近くにいた娘さんに、その歌詞の意味を伝える日がくるのかな。

そんなことを思いながら遊具へ移動すると、声をかけてくれたのは同じマンションで、息子の一つ下の男の子ママでした。近くの公共施設でなんとなく声をかけられ、同じマンションだと分かり、引っ越してきたばかりでまだ友達が全然いなくて、もし良かったら連絡先を教えてもらってもいいですかと、とっても控えめに言ってくれた優しいお母さんでした。京都出身で、何とも言えない京都弁を話してくれるのでいつも嬉しくなって。「最初からの入居でこちらにいてはるんですか?」方言って、何とも言えないそこの土地の雰囲気を連れてきてくれてとても好きです。公園で、お互い散々弱音を吐き、笑って、最後には京都ならではの文化について質問攻め。「なんかよく分からないけど、お揚げを使ったお料理が多いかも。あと、京都って縦長だから上と下ではまた感じが違うよ~。」と教えてくれて、なぜかふと頭を過ったのは舞鶴港。そこは祖父が戦後捕虜になり、その後日本に帰ってくることができた特別な場所でした。その景色を見てみたい。何とも言えない気持ちで聞いてみると、「私京都市出身だから、意外と遠くて港には行けていなくて。今日は会えて嬉しかった。息子とずっと二人でいつも遊び相手や話し相手で、言うこと聞かないし参っていたから。ありがとうね。」そう言われ、同じ重さを抱え、同じように軽くなってくれたことへのお礼を込めて、こちらこそありがとう。舞鶴港、いつか行ってみるよ。どんな景色が待っているだろう。

春の風を感じながら、思い出したこと。祖父は一時期名古屋港で警備の仕事をやっていました。元々やっていた警察官の仕事と、港が、祖父をそこに導いた気がして。「Sちゃん、港にいるとな、色々な物が運ばれてくるんだよ。おじいちゃん、英語を学ぶ講座のようなものもあってこの間受けたんだよ。この年で、新しいことが学べると思わなくて、なんだかそれが嬉しくってな。ABCなんだけど、それだけでちょっとアメリカに近づけた気がしたよ。」祖父にとって、アメリカという国がどういった気持ちの中にあったのか、子供ながらに感じていました。こうやって、本当に一つ一つこだわっていた何かが溶けていくのだと、祖父の表情を見ながら思っていた中学の頃。戦争関連の本を読み、映像を観て、改めて戦地では知らなかったことを知ったのだろうと。納得ができないなら自分で調べればいい、学べばいい。情報を集めるんだ。その中でどれが正解なのか、自分の頭で考えるんだよ。隣町の図書館で戦争関連の本を読み尽くし、何もなかったと言って手品の本を借りてきて大爆笑。祖父の姿勢を見習って、心理学を学びに行く。何年後かの春に学生に戻るよ。