桁が変わるということ

2019年から2020年、もうすぐ年が変わりますね。今年も沢山の方に、この場所を訪れて頂きありがとうございました。2000年、ミレニアムだと騒いでいた頃は20歳。もう20年かと思うと、そこに凝縮された日々を感じます。濃かったな、なかなか濃かった。
400記事を書いたら、閲覧数が一日に4000PVを超えてくれました。これはもしかしたら、1000記事を書いたら一日1万PVに達してくれるのかなと、そんな予感もしていて。かなり遠い、それでも到達できたらと思っています。そういった未来を、もしよかったら見守ってください。同じように年を重ねていけたら嬉しいです。

この間、たまに行くスタバでマイタンブラーを持って行き、オーダーをした後にバーカウンターで待っていたら、上が空いた状態で渡して頂き、自分の蓋が行方不明なことが分かりました。予め取っておいた席を探しても見当たらず、バリスタさんに事情を説明すると一緒に探してくれて、奥から笑いながら手には蓋が。「レジのテーブルと同化していました~。」と言われ、一緒に大笑い。お会計をした時、私が置いたままにしたらしく、スタッフさんも黒い蓋だったので全く気付かず、それを“同化”と表現してくれたバリスタさん。笑いのセンスも抜群です。その後のスタバでの時間は、ほっこりさせられるものでした。一日の中にある小さな温もり、やっぱり大切にしたいです。

2年前に話した羊年の話。読者さんの中に、同じ干支の方がいてくださったらいいと思っていたのですが、もしかしたら今は一回り下の羊年の方もいてくださるのかもしれませんね。技術営業のFさんが以前伝えてくれました。「思っても無い方がいらっしゃったりするので、運用することは面白いですね。」と。そういったことが後から感じられること、きっと沢山あったのだろうなと思いました。そして、プログラマーのMさんに何気なく聞いてみたことがありました。どうしてFさんはここまで大切にこのサイトを想ってくださっているのだろうと。「サイトを立ち上げても、上手くいかずに閉じなければいけない事って結構沢山あるんだよ。ここまで、読者さんに愛着を持ってもらっているものはそんなにある訳じゃない。だから大事に育てていってほしい、そう思ってくれているんじゃないかな。」その言葉は、そのままMさんの気持ちにも当てはまるのだろうと思いました。裏側でどれだけの時間と労力を使ってくれているか分かりません。私の一つの失言で、何もかも台無しにしてしまわないように、お二人の気持ちを無駄にしないように、そして、ここにいてくださる皆さんを残念に思わせてしまわないように、どんな時も全力で頑張ります。それでも挫けそうになったら、その時考えよう。

ラガーマンだったTさんが、対談をした時に伝えてくれました。「東日本大震災はもう8年以上前のこと、それでも東北の子供達には受け継がれています。震災そのものを経験していない子も、それがどういったものだったのか、皆分かっていますよ。」と。その話を聞いた時、なぜか祖父が語ってくれた伊勢湾台風のことを思い出しました。祖父は、いいことも悪いことも私に話してくれました。忘れてはいけないこともあるのだと、どれだけ発展しても、残さなければいけない歴史がある。そこからまた学ぶんだと。祖父が、私に遺してくれたのは“歴史”そのものだったのかもしれないなと思いました。そしてラガーマンのTさんに言われました。「ぜひ、東北に行ってきてください。」どれだけ時間がかかっても、肌で感じること、心で感じるその気持ちを残していけたなら。

2020年も、自分の足で歩いて行く。良いお年をお迎えください。温かい気持ち、届いています。皆さんにとって来年も素晴らしい一年となりますように。“ありがとう”と“頑張って”を添えて。