週末、息子とラーメン屋さんへ行き、その後、お正月気分がまだ抜け切れていなかったので伝えました。「1人300円の予算にして、コンビニで好きなものを買おうか?」すると大喜び。税込みで予算内に収められるか、どういった商品を組み合わせたらうまくいくかとちょっと算数の要素も入っていたつもりが、彼が選んだものはスイーツ2つ。女子か!と思いながら価格を見てみると、350円で予算オーバーでした。しょうがないなあと思いつつ、こちらは菓子パン2つを選び、お会計をしてお店を出ることに。「あのね、一応伝えておくけど50円出ていたよ。」「うん、知ってる!50円分は食べた後に美味しかったね!ってボクにっこり笑うから!」そのセリフに、コイツ何気に世渡り上手かもしれないなと一緒に爆笑してしまいました。そのスマイルで十分よ、お母さんが苦しくなったらこのひとときを思い出すから。スイーツな夜、たまにはいいね。
その後、息子を寝かせ、一人で静かになったリビングの明かりを消そうとすると、なぜか急にネネちゃんの視点で見ている自分の背中が映像で流れました。それは、司書講習の時の出来事でした。一家で食中毒になり、別居していた父だけ無事で、一番最初に姉が明け方に嘔吐。まだ原因が分かっていなかった私は、お弁当にその食材を入れてしまい、3限目が始まった途端異変が起きました。尋常ではない程気持ちが悪くなり、教材を全部置いたまま貴重品だけ持って保健センターのトイレに駆け込み、本当にもうどうしようもない状況が待っていて。記憶を辿ると、咄嗟にみんなのトイレに入り、しかも綺麗だったので、吐いている合間に横になりたいと思い、そのまま寝転んでしまって。そして、また襲う吐き気。どうにもならない状態で、途方に暮れました。そんな時、看護士さんがドア越しから声をかけてくれて。姉が、原因は食中毒で、妹だけが外にいるから心配になって大学に電話をしてくれたとのこと。元々妹は体が強くない、そんな中で睡眠を削れるだけ削って勉強していた、一番重症化しているのはSだ、しかも大学にいる、でも私も動けない、そうだお父さんなら行けるかもしれない。看護士さんの内容から、姉がどんな気持ちの中にいたのか手に取るように分かり、泣けてきました。それから、大学職員の方が教材を保健センターまで運んでくれて、顔面蒼白のまま看護士さんの車に乗せてもらい、病院まで送ってもらいました。揺れが本気できついなと思いつつも、なんとか堪えお礼を言ってお別れ。点滴を打ってもらっている最中、父が近くの支店からやってきたので、大学に停めてあった車のカギを渡すと、タクシーで取りに行ってくれました。なんとか起き上がり、父の運転で送ってもらい、自宅に到着。本当はもうぐったりで寝ていたかった、でも明日朝から試験なんだよ、今日の講義内容もテストに含まれ、受けられなかった。それでも、職員の方が運んでくれたテキストは有難いことに手元にある、やれるだけやってみようと机に向かいました。司書講習で出会った友達に講義内容をメールしてみようか、でも彼女達もタイトなスケジュールで自分と戦っている、やっぱりやめておこう。そんな時、塾の講師で仲良くなり、司書への道を後押ししてくれた友達の顔が浮かびました。食中毒で試験を断念して、資格は取れなかった、そんなことを彼女には言いたくないなと。誰かの為ではなく、自分の為の選択をしてほしい、友達の想いが胸にまた届き、泣くのはもっと後にしようと思いました。試験内容分からないよぅと時々凹みながらも、どうせ気持ち悪くて寝られないんだから、いつでもトイレに走れるようにドアを開けたまま机に向かっていて。そして朝になり、家族の誰ともまともに話したくなくて、大学へ向かいました。すると、急にいなくなった私を心配し、試験内容をまとめたルーズリーフを渡してくれた友達がいて。それは、昨晩連絡をしようとしてやめた彼女達でした。自分のことよりも人のことではなく、人のことよりも自分のことでもなく、一緒に試験を突破しようと伝えてくれた彼女達の気持ちに涙が溢れそうでした。For us、この時沢山学んだのだと思います。
友達に助けられ、なんとか試験を終え、無事に帰宅。そして、全部の試験を終え、司書資格の証書が手元に届いた時、姉が伝えてくれました。「みんなで食中毒になってしまった時、Sちんが一番酷くて、しかも大学にいたし、次の日も試験で心配だった。それでも、Sは家に帰ってからもずっと机に向かっていてさ。その背中を見ていろんなことを思ったよ。本当に司書になりたいんだなって。きっと大学在学中も私の知らないこと沢山あって、それでも妹はこんな風に机に向かっていたんだろうなって。Sちんのこんな努力がいつか報われたらいいなと思っていたよ。だから、資格が取れて本当に良かったし、よくやった。おめでとう!」深夜の静けさの中で、テキストを開き、一人シャーペンを走らせる私をそっと見ていた姉の視点が、何十年も経って自分の中に入り、その時ネネちゃんがどれだけの気持ちでいたのか、痛い程伝わってきました。妹よ、がんばれ!!
それから数年後、大学図書館で働き始めた頃、カウンターにいると、ゲートで戸惑っている人に気づいた先輩が駆け寄ってくれました。よく見ると、お姉ちゃん!「何してるの?」「前の人について行けば入れると思ったんだよ。」「今セキュリティが厳しくて、IDカードが無いと入館できないんだよ。」すいません、姉ですと先輩に伝えると、笑って理解してくれて、せっかくだから外で話してきてと上司にも促され、緑の多いキャンパスのベンチで姉妹の時間が待っていました。どうやら関東に出張で、驚かせようと思い来たものの、入れなくて困ったと笑って話してくれて。いい職場環境だねと安堵してくれた姉。Sちんが掴んだものがここにあるんだね、ネネちゃんの沢山の思いが流れ込んできました。そして今、改めて気づいたことがあって。Sは、関空まで職場見学に来てくれたことがあった、その気持ちを返しに来たかったんだ。笑って別れたその後ろ姿がそう言っているようだったなと、今さら微笑みたくなりました。姉の手紙の最後によく書かれていた“Be yourself.”という言葉。あなたらしくあれという意味が、時にとても難しかった。母の機嫌を損ねないように、いつも神経を使っていました。そんな私を誰よりも知っていた姉、だから敢えて英語で伝え続けてくれていたんだなと。あの夜、すでにさくらの花びらが一枚だけ舞っていたのかもしれない。