ドキッとするとき

先月、父と電話で話した時、母の話になり、「○○がさ、こんなことを言っていたんだよ。」とファーストネームで呼んでいた時には本気で驚きました。何十年も娘をやっていて、初めて聞いたセリフだったから。母はよく私に、「お父さんは一度も名前を呼んでくれたことがない。」と言ってしょげていました。日常生活でどうしているの?という素朴な疑問をぶつけてみると、「おい」とか「なあ」とか、なんとなく呼ばれていたらしい。元々の会話が少なかったしね。そういった話をずっと聞いていたので、電話でさらっと口にしていた父は、本気で変わろうとしてくれているのだと、何か解けていく感覚があって。やはり、私の中でキーマンであることは間違いなさそうです。

高校時代、1年生の時の現代社会の先生が、朝、新聞を読んでくる習慣をつけてくるようにとうるさく、必ず一人は指名され、その日新聞を読んだ感想を発表するという生徒には有難くない時間がありました。新聞を取っていない家は、朝の番組でもいいので、とにかく気になったニュースをピックアップして、自分の中で考えを持つということが先生の目的だったよう。正直朝から面倒だなと思いつつ、中日新聞の大きな見出しについては目を通すようにして、気になるものだけはざっくりと読み、いつ発表してもいいようにはしていました。

その時間はやってきて、全然指名されていなかった私がどうやら最後の一人だったようで、なんとなくクラスの皆が湧き立つような雰囲気で。今日に限って新聞を読んでこなかったので、祖父が朝から見ていたニュースを思い出し、それを適当に発表していたら、皆に茶化され、「トリなんだから面白いことを言えよ!」という笑いながらのヤジまで飛んできたかと思ったら、K君か!!後で覚えておけ。と心の中で毒づきながら、私まで笑えてきて、なんだかただの座談会みたいになってしまい、「ちゃんと新聞読みます。」と最後は反省の言葉を述べて終了。

あの当時はただ面倒だと思っていたことも、先生が伝え続けてくれたおかげで、新聞は取っていなくても、気になるニュースには反応する習慣が身に着き、パソコンを立ち上げた時に、Bingの画面にざっと目を通すこともすっかり身についていたのだと、最近になってようやく有難く思えるようになっていました。ぼんやりだけどね。

あまり、格好いい感じの先生ではなかったけど、『社会に目を向けろ。自分の考え方を身に付けろ。人の意見を尊重しろ。そして、そのニュースに真剣に向き合え。』そういったことを、色々な角度から伝えてくれていたんだなとふと思い出しました。2年生になり、世界史の担当になり、その授業が終わった時、進路について相談しました。「先生、私日本史をもっと深く学びたいと思っているんです。過去を学びたいと強く思いました。」そう伝えると、「興味があることに出会えた気持ちを大切にするといい。学部は少ないから絞られるけど、何かあったらいつでも相談に乗るから。」そう言ってひとしきり語ってくれた先生は、世界史の面白さにはまってしまい、歴史書を読んでいたら、すっかり浪人してしまったと笑いながら話してくれました。

見た目は全然タイプじゃないけど、ドキッとしたよ。自分の苦労を笑いに変えられるぐらい、積み上げてきた蜜の濃い時間を感じさせてくれたから。
「新聞読んだか~。」先生の言葉が今日も聞こえてくる。