この間、プログラマーの友達に会った時に聞いてみました。「出てくる方達の中で、誰が気になる?」と。すると意外な答え。
「お父さんかな。すごく適当そうに見えるし実際そうなのかもしれないけど、締めるところは締める人なんじゃない?そして、意外と面倒見がいいと感じているよ。」
鋭いなと驚きました。どうしようもない所は相変わらずなのに、中に一本筋が通っているところがある。それがギリギリのところで信頼関係に繋がっていたのかなとも。
学生時代、まだ父が実家にいた頃、随分楽しく部下と二人で飲んだらしく、終電を逃し、母が名古屋駅まで車で呼び出され、そのまま彼の実家の三重県まで送っていったそう。その話を翌日母から聞いてびっくりしました。「二人で酔っぱらって、本当に大変だったんだから。道を聞いても適当だし。でも感じの良い方でなんだか嬉しかったわ。」と。
そして、二日酔いの父が思いがけないことを言ってきました。「俺の部下、仕事もできるし、人柄もいいぞ。一度付き合ってみないか?」はあ?このおっさん、何言っちゃってるの?!
「いい人なのはお母さんの話しぶりからも分かったけど、その人に選択権というものがあると思うし、上司の娘とは付き合いづらいし、万が一結婚になったら、その方はずっとお父さんに気を使って疲れちゃうよ!」と力説したら納得していました。ようやく酔いが醒めたか!
冷静な父がそんなことを言ってきたのは、後にも先にもその時だけだったのですが、相当居心地の良い部下だったことは間違いなく、そのようなはみ出した意見もなかなか面白かったプチ事件です。
一歩間違えたら、銀行員の方と結婚していたのかな。その前に断られたわっ。
姉に、「お父さんと二人でいても間が持たない。どうしてSは会話が続くの?」と真剣に聞かれたことがありました。意外と温度が似ているということと、社会系の話は父と一番会話が弾むからなんだろうな。
一度、なんだか無性に政治関係の話を父にしたくて、自分の見解をメールしたことがありました。まともに返信してくる人ではないことが分かっていたのですが、とにかく球を投げたかった。すると、思いがけず電話がかかってきて驚きました。
「いいか。自分の意見を持つことは大切だと思うし、そのことについてどうこう言うつもりはない。ただ、もし教育現場にまた戻るつもりなら、ニュートラルであれ。生徒や保護者の方や教員の方達、みんなそれぞれが色々な考え方を持っている。政治が関係する話ならなおさらだ。自分の意見を偏った状態で発言することによって、不快に感じる人もいるかもしれない。だから、そういった気持ちは、胸に収めることも忘れないでいてほしい。」と。
やっぱり、父は偏っていない。そして、こんな形で守ろうとしてくれた。家庭内の話ではなく、外に出ている私を、社会的に守ろうとしてくれた愛を、不思議な形で感じました。
“ニュートラルであれ”その気持ちは、この場所で生かされているかな。自分の価値観を押し付けることのないように、誰かが心を痛めることのないように。
それでも、その気持ち分かるよと、そっと微笑んでもらえるように。