書き始めた頃にはものすごく大きく見えたこの数字。到達してみると、ペースが掴めてきたことに手応えを感じるともに、ここまで読んでくださった皆さんに心からの感謝を伝えたいです。
最近息子に何かなぞなぞのような問題を出して~と言われるので、一つ投げかけてみました。「アンパンマンの顔が削れた時、どうしているでしょうか?」という問題。「あっ、分かった!ピーポーで運ばれる!」正義の味方が救急車で運ばれてどうするのよ。「正解は、ジャムおじさんがパン工場で作り直し、取り換えてもらう!でした。」キャラには詳しいのに、漫画はあまり見ていないので内容がいまいち分からなかったのは仕方がないとしても、ピーポーで運ばれるって・・・。病院の方達も治しようがないわっ。
プログラマーのMさんとミーティングの時によく話すのは、どこをゴールとするかということ。「もしかしたら、Sちゃんがもう何も書くことがなくなったと思えた時なのかもしれないね。でも、そんな時って来る?」なかなかいい質問であり、これはある意味私に対する挑戦状か?!
いつまでも書いて。それまでいくらでも付き合うから。閉じる時は自分自身が納得できる時であってほしい。彼からのメッセージはいつも深く、そしてその気持ちが記事で生かされています。
今年も大学図書館時代にお世話になった教授から年賀状を頂き、体を壊しながらもギリギリの状態で伝え続けるということをされていました。漢方とアロマの研究を続け、講演会などで自分の知識や経験を届ける。それが、恩師の使命なのだろうと。次へ繋げる研究をずっと続けてきた先生の、ほんの小さなアシストを図書館という場でできたことに、今でも胸がいっぱいです。
まだ本当に息子が小さかった時、関東でシンポジウムを開くから私の顔も見たいので、ぜひいらしてくださいと招待状が届きました。その時たまたま名古屋から母が遊びに来ていたので、お願いをしようと思ったらできたのに、母との関係がおかしかったので、素直に甘えられず、出席することができませんでした。そのことが、今になって心残りです。
ものすごく忙しい中で、わざわざ手書きで送ってくれた招待状。先生の研究が沢山の方達の役に立っているというその喜びや感動を、肌で感じたかったと思っています。
今度は京都で講演会か~。眠りの浅い私にとって、とても興味深い分野を研究されていた教授。祖母が乳がんでどれだけ辛い思いをしたのかなども、雑誌室の一角で二人きりになった時に聞いてもらいました。人の気持ちを汲み、その人の傷みを和らげようとする話し方が、やはり今の主治医と重なります。そうだよね、“漢方”というキーワードを教えてくれたのは先生だった。
多分、命が尽きるまで、人に伝えることを止めないのだと思います。年賀状の文面がそのことを教えてくれました。図書館を退職した少し後に私の調子が崩れ、たった一度だけ先生に弱音を吐いた時、大学病院の友達の医師を紹介すると本気で心配してくれました。その気持ちだけ有難く受け取り、自分を立て直し、今こうしてここにいます。だから、私も本気で恩師のことを心配し、その生き様をこの場で伝えさせて頂こうと思います。
最後まで自分が得たものを届け、足を止めないその姿を目標にさせてください。
記事を書き続ける私を、誇りに思うと伝えてくれたMさんの為にも。そして、自分の為にも。