気づく喜び

息子の連絡帳を毎日確認している中で、今回も見つけた間違い探し。3時間目『さんすん』と書いてあり一人で笑ってしまいました。算数が三寸なのか?いきなり長さの授業なのか?そう言えば一寸法師は一寸だなとよく分からないことで話が膨らんでしまい、いちいち息子に言うのも面倒だったのでそのままにしました。他の日も、宿題に『テストなおし』と書いてあったのですが、“し”だけ枠からはみ出し、連絡帳ぎりぎりまで書いてあって大爆笑。一体何があった?

そんな息子は、私が夕飯準備をするとテレビに夢中になるものの、ふと気配を感じたので横を見ると、くみちゃんだけが壁からちょこんと顔を出していて、本気で驚きました。つぶらな瞳がこちらを向いているではないか!と一緒に笑えてきて。母に鍵を渡し、息子の帰宅を待っていてもらった時は、「誰もいないと思ったら、くまごろうが玄関で待っていてくれて嬉しかったわ。」と意外なところで喜んでくれて、「くみちゃん!」としっかり訂正する7歳児とのやりとりに微笑ましくなりました。彼らの精神年齢は一緒ぐらいなのではないかと毎回感心させられます。

プログラマーのMさんが貸してくれた『「繊細さん」の本』(武田友紀著、飛鳥新社)。世の中に、同じような繊細な方がいてくれることに嬉しくなりました。自分の利点をどう活かしていこう、こうして書いていることそのものがもう活きているよねと、ポジティブに捉えることにして。
大学図書館にいた頃、不明本がたまにあり、『貸出可』と表示が出るのに書架にないから探してほしいと学生さんによく言われたことがありました。一人のスタッフが探しに行っても見つからず、他の人が行くと見つかることがあるという法則の元、声をかけられることも多く、私が探しに行くと見つかることもしばしば。探している分類番号の周りを探しても見つからない時は、本の後ろにたまたま入り込んでいるケース、書架の下に落ちてしまっているケース、所蔵場所が閲覧室なのに間違って書庫に配架されてしまっていたケース、そして、『361』という分類番号なのに見間違えて『316』に配架されていたケース、返却された直後でカウンター近くのブックトラックに置かれていたケース、色んな可能性を総動員して探すと見つかることが多いので、不明本の捜索にはよく駆り出されていました。あれだけ探してなかったのに、なんで見つかるの?と驚かれた時は、「なんとなく本にここだよ~と言われている気がして。」なんて話して笑われたこともあったのですが、今思えばなにかしらのセンサーが働いていたからなのかも。

そんな大学で、左手に障害のある方と、お仕事をさせてもらったことがありました。見た目は全く分からず、とても控えめな40代男性の方。入学式の準備で保護者の方に多くの書類が必要になるからと、それを束ねる為の資料作成に借り出され、そこで一緒にお仕事をさせて頂きました。一枚一枚を取り、順番を間違えないように揃え、互い違いに並べていく。その作業をほとんど右手でこなす姿に胸が熱くなり、失礼のないように、さりげなくフォローをさせてもらいました。業務が終わると、椅子に座って話しかけてくれて。「○○さんにだから言えるんだけどね。」そう言って伝えてくれた数々の苦悩。唇を噛み締め、ただ聞くだけで精一杯で、話してくれたことが嬉しく、ほんの少しでも誰かに話すことで楽になってもらえたらいいなと、本当の辛さは本人にしか分からないけど、それでも分かりたいと願う人もいるのだと感じてもらえたらと思い、色んな気持ちを込めながら聞かせて頂きました。「一緒に仕事ができて良かった。」そんな言葉を残され、堪らないひとときでした。ちっぽけな自分が、ちっぽけなりに誰かの心を温められたような気がして、これからも大変だと思うけど負けないで、そんな気持ちを心の中で呟きながら伝えました。「少し時間があるので、入学式会場、覗いてみませんか?」と。嬉しそうに頷き、並べられたパイプ椅子の合間を少し歩き、なんでもない話をしてお別れをしました。私にできるのはこんなことぐらいだけど、いい時間だったと思ってもらえたなら。「お疲れさまでした~。」お互いがお互いに向けて届けた気持ちは、ありがとうが含まれている。

『麒麟がくる』(NHK)を、毎週のように息子が見たがり、週に一度のお楽しみに。ソファで一緒に座り、録画した番組を飽きることなく最後まで真剣に見る姿に驚きました。祖父がこの光景を見たら喜んでくれただろうな。ひ孫に戦争の話をすることは叶わなかったけど、日本の歴史に興味を持ってくれたことを見守ってくれているような気がしました。陸軍だった祖父が、鉄砲を持って戦地を歩いたこと、捕虜になり極寒の地で重たい道具を抱え、鉄道を作っていたこと、そんな話をいつか息子にしなくては。ひいおじいちゃんが無事に帰ってこられたから、あなたがこうして生まれたのだと伝えることが、祖父から受け取った私の使命なのかもしれない。