気持ちの大きさ

せわしない夏休みのある日、母が息子を見てくれることになり、彼の大好きなスシローで待ち合わせ。その前に宿題を終わらせて出かける準備をしていると、宅配便の方がピンポーンと鳴らしてくれました。誰からだろうと見てみると、なぜか姉の名前が書いてあり、びっくり。慌てて開封すると、これまたてんこ盛りの焼き菓子と、メッセージカードが入っていました。『Sちんへ いやしのひとときが充実しますように』姉は、私の心を解したい時こそSちんと呼ぶ。そんな気持ちまで盛り込んでくれて、なんだか堪りませんでした。今やっているホルモン治療の辛さを誰よりも分かってくれるのは、姉もまた8年の不妊治療の中で経験してきたからこそ。『ネガティブな自分が嫌になることもあるよね・・・子育て中はママが心身ともに元気でいなきゃと思っちゃうからそれができないと落ち込んじゃうしね・・・話したいことあったらいつでも聞くからね。』そんなメッセージを送ってくれた数日後だったので、言葉では足りないと思い届けてくれた優しさなのだと思いました。何もかもが姉らしい。

ふと気配を感じ、余韻に浸る間もなく息子に見られてしまい、ちゃっかり狙っていたので、クッキーを一つ渡すとご満悦。そして、慌てて現地へ向かうと、母が紙袋ごと渡してくれました。「あなたはこのまま仕事に行くでしょ。だからランチにどうかと思って。」と言われたので、中身を見てみると、カツサンドとカルピスとお団子とチョコレートが入っていて、感極まりそうになって。このね、今の私が食べきれるはずもない量を超えて用意してくれるところが姉と同じで、二人の気持ちを同日に感じるとは思わず、家族なんだなと、みんないい所沢山あるんだよねって微笑ましくなりました。食べ物が集まってくるのは、この先も変わらないのかも。その後、母と息子にバイバイし、ぐるっと市内をサイクリングしてシェアオフィスへ。すると、話せる側の席で、不動産関係のHさんがいたので、挨拶をするとすっかり談笑が始まりました。「お子さんは?」「母の所に置いてきました!」と言うと、「荷物じゃないんだから。預けてきたんですね!」と一緒に笑ってくれて。ようやく仕事の時間が持てましたね、大型連休はいつも大変そうだから、応援しています。どんな時もそんな気持ちを真っ直ぐに伝えてくれる彼。大切な大切な、ホームグラウンド。

そして、ようやくいつもの席に着いて落ち着くと、改めて母と姉の関係について考えてみました。私が考えたところで、どうすることもできないのだけど、それでも思考は止まらなくて。姉が母を誘ってくれていた海外旅行。航空会社で働いていたので安く行けるというメリットもあった中で、毎回喧嘩をして帰ってくるので、私にも来てほしいと二人に何度も言われたことがありました。それでも、「おじいちゃんのことが心配だから、私はいいよ。」と断ると分かってはくれて。そういった中である時、鋭い姉は何かを察知したのか、誘導尋問が待っていました。「S、もしかして今まで3人が嫌だったから断り続けていたの?」バレた!!ここは白状するしかない。「そう。お姉ちゃんと私の仲がいいと、母親として嬉しいという気持ちよりも、Sが取られるみたいな嫉妬心がお母さんの中に芽生えてしまうのだと思う。面白くないから、3人でいると疲弊するんだよ。」「なんで今まで言わなかったの?というか言えなかったんだよね。私とSは姉妹だから対等な立場で、親ってまた立場が違うんだけど、そういうのが分からないぐらいお母さんの心は狭くなっているんだろうな。大丈夫?な訳ないよね。あんたさ、本当に今までどんな思いをしてきたの?」それを事細かに話せば話す程、お姉ちゃんはお母さんを嫌う、だから言えないよ。沢山考え、言葉を選ぶ私を見て、姉は言えない理由を理解してくれたようでした。

課題の分離。人の問題を自分の問題としないように、それはなんとなく分かってきました。そして、境界線を引くという重要さも。それでもね、透明なガラスでいたいと思うのは、いけないことではないような気がして。隔てるものがあっても見えていたいと願う、そんな気持ちを母や姉に対しては特に持っていたいと思いました。姉が、私との老後をとても楽しみにしてくれていることをなぜか思い出して。両親を見送り、二人になった時、ようやく姉妹で気兼ねなく楽しめるとでも思ってくれたのだろうか。「私が最期の時はSちんがいてくれるから、寂しくない。」そんな言葉が蘇り、姉はずっと孤独と戦っていたのではないかと、そんな答えに行き着きました。
体操の内村航平選手の予選敗退後の言葉には、重みがあって。意味のないことなんてない、全てのことに理由がある、そう伝えてくれているようでした。とんでもない練習量とプレッシャーの中で、王者でい続けた人の言葉なのだろうと、心の奥底に響きました。

姉が乗り越えてきた8年の不妊治療、それが自分に凝縮された時間として跳ね返ってきたようにも思えて。今の治療が、姉の痛みをケアできる近道になれば良いなとそんなことを思いました。マイナスをゼロに戻すだけでも一苦労の毎日、そんな中で母に言われた言葉が、さらに彼女の心を苦しめていたなら、それを包めるのはやっぱり私しかいないのだと確信しました。
「家族の中心ではなく、みんなを照らせる太陽でありたい、一定の距離から見届けるよ。」祖父の葬儀の帰り道にそんな言葉を一斉メールした私のこれからを応援してくれた人。お母さんのためではなく、自分のために生きなさいと言い続けてくれた人。だから助けに行くよ、必ず。