何回分?

息子の夏休みの旅行は、今回両親が誘ってくれました。おじいちゃんとおばあちゃんと彼の三人で、伊豆へ。いつも準備は受け身なのに、今回は自分から持ち物を確認してくれて、もう心は海の中のよう。楽しんでおいで、そんな気持ちをリュックに詰め込み、翌日を迎えました。「体温測った?」「これから測るよ。明日も旅行だから、二回分測る?」と言い出し、大爆笑。宿題は二日分やれても、体温は当日じゃないと意味ないでしょうよ。そんなバタバタの中で、父の車がマンションの下に着き、ご挨拶。本当にもしかしたら三人での旅行は最初で最後かもしれない、角を曲がるまで手を振ると、振り返ってずっと手を振り続けてくれた息子を見て、色んな思いがこみ上げてきました。今を生きるんだよ、喜びをタンクに詰めたら辛い時にきっと自分を助けてくれるから。そういった思いを巡らせながら、自宅に戻ると母からLINEが入っていることに気づきました。『待ち合わせ時間にちょっと遅れちゃってごめんね。お父さんがポケモンをやりに出てから、なかなか戻ってこなかったの。』もうね、父のことで何を聞いてもびっくりしないけど、見送った余韻を返してもらいたい。

この間は、仲良しのKちゃんと子供達と水鉄砲で遊ぶことができ、本当に久しぶりの再会でした。「Sさん、全然話聞けていなかったのだけど、体大丈夫?」敢えて言葉にしなくても、彼女がいつもそんな気持ちを抱いてくれていることは十分わかっていて、それでも届けてくれた思いに胸がいっぱいでした。「ありがとう。女性ホルモンを薬で抑えているから、誰にも会いたくない時があってね。前回遊んだのっていつだっけ?」「季節の変わり目とか辛いよね。前は確か休校中に遊んだよ。」そうだった、息子と二人で途方に暮れ、お互いが色んないら立ちの中で生活し、はち切れそうな時に、Kちゃんの子供達と短時間遊べてようやく深呼吸ができた気がしました。息子との悪循環もその後は無くなり、抱えている荷物を一旦置けるってどれだけ大切なことかを教えてくれた、あの時間を忘れることはないだろうと思います。その時から1年半近くも空白があったのに、気が付いたら水鉄砲をやめ、みんなで砂の団子を作っていて。幼なじみだからあっさり元に戻れる、そんな彼らの何とも言えない心を許せる関係に嬉しくなりました。息子が帰り道のことで悩んでいた2年生、一番初めに悩みを話したのは彼女の娘ちゃんでした。我慢をしてしまう彼が、自分から弱さを見せられた相手でいてくれてありがとう。二人の友情が、これから先もずっと続くことを、その友情が二人を支えてくれることを願わずにはいられませんでした。また遊ぼうね、この言葉が途切れることはないだろう。

シェアオフィスの不動産関係Hさん。私に報告があると言われていたので、もしかしたらご結婚?!なんて思っていたら、意外な展開の話をされ驚きました。元々会計事務所で働いていた彼は、そこを辞め、宅建の資格を取り自分で不動産の会社を興したこと。それでもコロナ禍で思うように仕事はうまくいかず、畳んだこと。勉強をしていた不動産鑑定士の資格は落ち、モチベーションが下がる中でそれでも何とかなるだろうと思っていたら、シェアオフィス内で、個室のオフィス利用をされている会計事務所の所長さんから声がかかり、そこで働かせてもらうことになったこと。それを私に伝えたかったと嬉しそうに話してくれて、泣きそうになりました。彼の実力と人柄と努力を見ていてくれる人がいて、こんな風に実を結ぶのだと、それを真っ先に届けてくれた気持ちに溢れそうでした。私が本気で喜び、本気で応援していることを伝えると同じ気持ちで返してくれて。「僕も、○○さんのエッセイが沢山の人の目に触れ、成功するように祈っています。いつか、僕のお客さんになってくださいね。それぐらい大きくしてください。」泣けるじゃないか。休校中、短くても時間ができると転がり込んでいたシェアオフィス。ガランとしたオフィス内に彼と二人だけだったこともよくあり、その時、私が休まない理由を聞いてくれました。「待っていてくれている方達がいるんです。」そう言うと、こちらの意図を十分過ぎる程感じ、微笑んでくれました。あの頃の私を裏側でサポートしてくれたプログラマーのMさん、そして一番近くで応援してくれていたのは彼でした。使命、命をどう使うのか。書くことでほんの少しでも誰かの心がぽっと温かくなり、それで自分の寿命を縮めるなら本望だと思っています。

侍JAPANの準々決勝、アメリカ戦で延長のタイブレークの時、ひとつの答えが見つかりました。ノーアウト1・2塁から始まった10回裏日本の攻撃で、代打の栗原選手(ソフトバンク)がプレッシャーのかかる中、一球目で見事な送りバントを決めました。1アウト2・3塁になり、打席から戻った栗原選手に対して、ベンチにいたメンバーが満面の笑みでハイタッチをしていて感激しました。日本の野球がここにあるんだなと。そして、私が書いている1記事1記事は、ヒットではなく、送りバントの積み重ねなのかもしれないと思いました。読んでくださる方が受け止め、ご自身の中に何かが残ってくれた時、それを実生活で繋げてもらうことを望んでいるのかもしれないな。会社で嫌なことがあった時、過去のトラウマで自分が苦しくなった時、人間関係で辛くなった時、何もかも投げ出したくなった時、自分を見失いそうな時、このサイトを訪れ、私が送りバントを打ったら、ランナーでいてくれた皆さんは、全力でヘッドスライディングをする勇気を持ってくれるかもしれない。打席に立った時、デッドボールでもいいから次に繋げようと思ってくれるかもしれない、その時の気持ちを力に変えてくれたらと祈って、書いているのかもしれないと思いました。

送りバントの連続、今思えばそんなことの繰り返しだったのかも。1アウト2・3塁になった日本に対して、外野を二人体制にしたアメリカ。打席に立った甲斐捕手(ソフトバンク)が、さよならヒットを打ってくれた時、この瞬間の為に私は生きているのかなと、自分に微笑みたくなりました。誰かの笑顔が見たいから、送りバントを打ち続ける。何回分?打席に立つ力が尽きるまで。