開かれた場所へ

息子が朝起きて、学校へ行く前に教えてくれました。「ボク、夢の中でシマちゃん(旭川で買ってきたシマエナガのぬいぐるみ)が乗せてくれて、北海道に行く夢を見たの。3日かかった!」「それは良かったね~。昨晩一緒に寝たから夢に出てきてくれたんだね。」と二人でわいわい。寝る前に、シンゴジラのCMを見た時には、くみちゃんが巨大化して街を破壊した夢を見たそう。くみちゃんのお兄ちゃんのくりちゃんは、オーストラリアの大学受験に合格し、マメジローは旭川の高校受験に行っているよう。週末の午後、自宅にいた時に、「みんな今日は動物園にバイトへ行かないの?」と聞いてみました。すると返ってきた答えは、「今日は有給なんだって。」・・・。福利厚生がしっかりしているな!「そうなんだ~。それにしてもなんでみんなバイトに行っているの?」とこの際なので突っ込んで聞いてみることに。「みんな自分達のエサ代を稼いでいるんだよ~。」それはお気遣いどうもありがとう。「肉食系の子達は、黒毛和牛を食べているし、お魚チームは本マグロを食べているんだよ。」「そんないい物毎日食べているの?!」「そうなの。だからバイトに行くんだって。」息子の頭の中は、いつも夢が沢山詰まっていて。そうか、お腹にいた時から『ぐりとぐら』(中川李枝子作、山脇百合子絵、福音館書店)をずっと読んできたからかもしれないな。動物病院も動物薬局もある我が家は、彼の世界でいつもあたたかい。

気圧の変動が大きく、不調だったここ最近、重たい体を押し上げてシェアオフィスに来ると、遠くに見たことのある姿が。彼もこちらの視線に気づき、話せる側の場所に駆け寄ると、満面の笑みで喜んでくれました。「Hさん!ご無沙汰しています!」不動産関係のお仕事をされ、コロナの影響で立ち上げた会社を畳み、シェアオフィス内に併設された税理士事務所で働き始めた彼。その後、駅の反対側に移転が決まり、少し疎遠になっていました。もう少し落ち着いてから連絡をしよう、そう思って3か月。きっと彼も同じようなことを思ってくれているような気がして毎日を過ごす中で、思いがけず再会できて感激してしまいました。「○○さん、なかなかお見掛けしないなってずっと思っていたんです。僕、テレワークの月曜と金曜日はよくここに来ていたんです。」「あ~、私は火水木曜日が多くて。今日、水曜日なのに会えて嬉しいです。」そう話すと、本気で感激してくれて、お約束のランチへ。彼と過ごす温度が何も変わっていないことに胸がいっぱいでした。サンマルクカフェで待ち合わせをし、税理士であるHさんから仕事上のアドバイスを色々ともらい、いい時間が流れました。「私ね、野球を子供の頃からずっと観てきて、サッカーの試合を観た時、監督がスーツを着ていてびっくりしたんです!」と話すと大爆笑。「逆に野球の監督がユニフォーム着ていることの方が珍しいんですよ。僕はバスケをやってきたんですけど、監督はユニフォームを着ていませんでしたよ。」「言われてみればそうですね。もう野球が私の中でスタンダードになり過ぎて、ラグビーの監督とかもスーツな上に、ベンチにもいなくて色々驚きました!」「そう言えばお父さんの影響で子供の時から中日ファンでしたね。野球少女!」そう、私の中でドラゴンズのユニフォームを着た星野監督が一番最初に目にした監督像でした。ベンチで腕を組み、腹が立つと近くの扇風機に当たり、そんな熱い星野監督がずっと胸にあったので、スーツを着て静観している他の競技の監督に本気で驚いて。そんな私を目の前でゲラゲラ笑ってくれる人がいて、ここ最近の沈んだ気持ちを見事に吹き飛ばしてくれたようでした。「○○さん、本当に面白いんですよ。また、いつでもランチに行きましょうね。今日は会えて嬉しかったです。」泣けるじゃないか。

父が実家を出る前、私とも少しずつ会話をしなくなった父は、一人でリュックを背負い、高校野球を観に甲子園へ。その背中がなんだか切なく、誘ってくれたら良かったのにと思いました。帰宅後、少し気持ちの上がった父が話しかけてくれて。「甲子園観ていたか?お父さんな、バックネット裏の下の方にいたから、もしかしたらテレビに映っていたかもしれん。」そう言って少し笑ってくれました。私も行きたかった、その言葉が喉まで出て、本人に伝えるのをやめました。何かもう、埋められないものがそこにある気がして、ただただ切なくて。
時は流れ、両親は20年もの別居を経てまた同居へ。私と息子が遊びに行った時、中日戦を観ていた父は、負けそうになるとぶつくさ言いながらチャンネルを他の対戦に変え、その行為が昔と何も変わっていなくて吹き出しそうになりました。「そう言えば、星野監督にいつも怒られていたキャッチャーの中村武志さん、コーチになった後、今どうされているんだろうね。」「YouTubeやってるよ。たまに見るんだけど、笑っちゃってさ~。」そう言って、勝手に一人で盛り上がり思い出して笑っている姿を見て、子供の頃の自分が蘇ってきました。「お父さん、キャッチャーが中村選手から矢野選手に変わって、あまり星野監督に怒られなくなったよね。」そういった子供目線の率直な感想に、まだ若かった父は笑っていて。そんな中村選手や現中日監督の立浪選手は、祖母の入院先にも患者さん達を励ますために訪問してくれたそう。病院内が、急に騒がしくなって、後から中日で活躍する選手達が来てくれたということが分かりました。私の野球熱に火が点いたのは小学3年生の時。祖母が他界したのは2年生の時。お父さん、もっと早く野球の面白さを教えておいてよなんて、今さら文句を言いたくなって。矢野監督ロスにもいろんな想いがあるよう。父とナゴヤ球場やテレビ観戦をしていた全ての時間は、いつも華やいでいてどこかで子供らしくいられたんだ。
姉の子供、息子と同い年の甥っ子に好きな球団を聞くと、「中日!」と教えてくれました。そうか、出身地が私と同じだった。男の子二人は、姉と私が生まれた病院で生まれた。そして、祖母が亡くなった場所。父が祖母の背中をさすり、大粒の涙を流して看取った病院。お父さん、その時、どんな景色が見えた?祖母が残してくれた愛の大きさは計り知れなかった。私達家族を照らす太陽、私もそこを目指すことにする。