ある週末、ピンポンと音がしてモニターを見たものの、体の一部しか映っておらず、ちょっと心配だったので出ないでいると、もう一度鳴りました。よく見ると、お父さん!と驚き、慌てて玄関へ出ることに。すると、開口一番に伝えてくれて。「おう!LINEでさあ、お友達登録ってどうやってするんだっけ?」は?と思いつつ、突拍子もない所は昔のままなので、笑いながら伝えることにしました。そして、札幌の叔父から母ともLINEで繋げてくれないかと言われていたので、もしかしてと思い父に聞いてみることに。「今、お母さんのスマホ持ってる?叔父さんに頼まれていることがあるんだよ。」と言うと、本当に持っていて余計に笑えてきて。ポケモンGOにはまりすぎて、母のスマホも時々持ち歩いていることがこんな時に役立つなんてね。そして、スマホの操作をしていたものの、人の物なので若干混乱していると、玄関に入ってきたのはプログラマーのMさんと息子。来てもらう用事があったので、ついでに二人で買い物をお願いしていたのだけど、なんだかすごいタイミングだな。そう思いながら、操作をMさんに聞き、叔父さんにもメッセージを送りひと段落したので、父に容態を伺うことに。すると、意外にも直球を投げてくれて、手術は命の危険もあるということが分かりました。大袈裟に話を盛らない人、時に隠すことはあっても上がってくる情報は真実だと知っていたので、なんとも言えない気持ちになりながら、心配と応援とバックアップを伝えました。本当に短時間の立ち話、それでも父と私の間に流れている深さをMさんは感じ取ってくれて。私にとってビジネスパートナーであり、兄のような存在、父との歴史を見届けてくれてありがとう。
その夜、改めて札幌の叔父からお礼のメッセージがあり、伝えてくれました。『兄貴から検査結果について詳しく説明がありました。結構ショックだったけど、何より本人が一番ショックだと思うので、Sも含めてサポートをお願いします。』その文面を読み、ふと随分前に言われたネネちゃんの言葉が蘇ってきて。うちの家族って、いつもSちん中心で回っているんだよ。Sにいろんなことが集まり、みんなそれぞれが助けられていく。なんでだろうね、Sちんがいなかったらうちの家族、とっくに壊れていたよ。なんでだ?!サポーターだからか?とぐるぐる。それにしても、父と叔父の兄弟愛もなんかいいなと改めて思って。叔父さんが初めて名古屋に遊びに来てくれた時、男二人でパチンコへ行き、「兄貴は止め時を分かっている!」と私に伝え、いやいや全然褒められたものじゃないよ~と思いながらも男兄弟の面白さを感じていました。佐賀で生まれ、とても大切にされた長男である父、そしていつもユーモアのある札幌の次男、そして人間的にできている三男が跡を取りました。その三人を私はいつも“だんご3兄弟”と呼んでいて。それぞれの個性があり、姉妹で育った私には新鮮でした。父ががんで手術をすることになり、思いがけず札幌の叔父と連絡を取るようになったここ最近。そして、大事なことを思い出しました。うちの両親が別居をした後、離婚する前に最後になるかもしれないと祖父母に会いに行った佐賀。おばあちゃんには、私が女の子なのに大学に行ったからお父さんが大変になったんだと色々言われ、ただじっと堪えていると、おじいちゃんが宥めてくれました。そして数日後、私と一緒に新幹線に乗ると。おばあちゃんと喧嘩してまで行こうとするので、二人の間に入るのが大変で気持ちだけで十分だからと伝えても祖父は決心していました。そして、半分怒った祖母に別れを告げ、新幹線に乗ることに。途中で買ってくれた幕の内弁当を食べながら、祖父は伝えてくれました。「Sちゃん、今までみんなの間に入って辛かったね。おじいちゃんがお父さんを説得しに行くからもう大丈夫だよ。よく頑張ったね。」理不尽な思いをすることには慣れている、というかできるだけ傷を最小限にしようと無意識のうちに麻痺させてきた、これぐらいなんてことないと自分に言い聞かせながら。そんな私を久しぶりに会った祖父は感じ取ってくれたのだと思うと、頷くだけで精一杯で、なんでこの俵型のお米はこんなに詰まっているんだと思いながら、おじいちゃんが買ってくれたお弁当だからとお茶で流し込み、新幹線のトイレで大泣きしました。悲しかったんじゃない、嬉しかったんだ。こんな風に受け止め、守ろうとしてくれる人がいる、それは辛さを帳消しにするだけでなく、途轍もない大きな愛をもらったのだと。この話は、ぼんやりとしかネネちゃんには話していないような気がして、そしていつかだんご3兄弟に話せる時が来たらいいなと思いました。お米の兼業農家だった佐賀の祖父、小さい頃姉と二人で軽トラの後ろに乗せてもらい、田園風景を風で切って走る荷台が好きでした。そのおじいちゃんが向けてくれた大きな愛に今でも包まれていると伝えたら、何を思ってくれるだろうか。
深夜に一人になり、父に願うのは一日でも長く生きていてほしいということでした。長さではなく、濃さが大事だと思っているのだけど、父の生を望んでいる人が沢山いて、娘としてやれることを考えていると、ふわっと感じるものがあって。伯父さん、また会いに来てくれましたね。息子がお腹の中でへその緒をぐるぐる巻きにして陣痛室でもがいていた時に来てくれて以来、二回目に感じた伯父さんの気配でした。生後1週間で亡くなった母のお兄ちゃん、きっと名前を付けられる前にこの世を去りました。それがどれだけのことなのかずっと考えてきて、父が養子に入ってくれたことに感謝しているのは祖父母だと思っていたのだけど、伯父さんもだったのだと。だからまた私に会いに来てくれたのでは、姪っ子を通して義理の弟にありがとうを伝えに来てくれたのではないかと思いました。危機的状況になると、なぜか不思議なことが起こった、それはおじいちゃんとおばあちゃんが助けてくれていたのだと思っていたのだけど、伯父さんもだったんだね。小さい時から心の中で対話をしてきた大きな存在。祖母の肩をとんとん叩く度、肌に触れる度、伯父さんがどのような人なのか分かる気がしました。祖母の心の中にどんな時もいた息子、それが人の本当の想い。