ワールドシリーズも終わり、日本シリーズをゆっくり楽しもうとお風呂から出てくると、テレビも点けずに動揺している息子がいました。よく見ると、半べそ状態。「ママ、あのね、テレビを壊しちゃったの。ごめんなさい。」そう言って大泣き。え?!何事?と思い、画面を見てみても特に違和感がなかったので、困惑していると、「点ければ分かる。」と言われ、スイッチオン。すると、くっきりひび割れたところから傷が付き、見られないことがよ~く分かりました。どかんと怒ってしまわないようにひとつ息を吐き、聞いてみることに。「どうしてこんなことになったの?」「スーパーボールを投げちゃったの。」・・・。風邪の影響で声が掠れ、思うように出てこないのは逆に良かったかもしれないな、ゆっくり言葉を選ぶことができる。「毎日のようにね、スーパーボールで画面を傷つけてしまうから止めてねと言っていたよね。お母さんがお風呂の時も聞こえていたから、残念に思っていたよ。こういうことしたら、こういう結果が待っていると伝えていたから防げる事故だったと思う。それは分かる?」「・・・うん。」ぐすんと猛反省中。あまり強く言ってもなと思い、極力冷静に伝えました。「約束を守ってもらえなかったことに対して、お母さんは悲しく思っているよ。今、風邪がなかなか治らなくてちょっと体もきついから、テレビのことはゆっくり考えるよ。Rも一人になって、今日は早く寝なさい。」そう言って、ベッドに促し、リビングの椅子に座りました。ワールドシリーズが終わっていなかったら、もっと大騒ぎだったかな、それでも悔しいので日本シリーズは音だけでも聞いておこうと思い、雰囲気だけ味わって就寝。仰向けになると咳が辛くて、寝れるか~!!とやけくそになりながらも、明日は大切な日なんだよとなんとか眠りにつきました。やれやれ。
そして、翌朝、案の定絶不調だったので、息子には一人で学校へ行ってもらい、効きそうな薬をいくつか飲み、教育委員会へ到着。熱はなかったので、マスクをし、のど飴を舐めて、面談の時を待ちました。そして、担当の方とご挨拶。くらくらする頭で、息子の繊細さを伝え、環境の変化にはとても敏感なことを説明すると、中学も学区外からの通学を認めてもらえるよう話を進めて頂けることが分かり、ほっ。もう途中からうまいこと話せなくなっていたものの、息子がまたみんなと同じ学校へ通えることが分かると、泣きそうになりました。大事な3年間、いろんな人が守ってくれたね。あなたがあなたらしくいられるために。この経験を忘れないでおこう、そう思いました。その後、息子を迎えに行き、その夜はテレビの音もない静かな空間で一緒に過ごし、週末がやってきて。詳細を伝え、助っ人に来てくれたのはプログラマーのMさん。喉に効くはちみつなどを買ってきてくれて助かりました。そして、三人で家電量販店へ。とても大人しくしている息子を見て、その反省具合が分かったよう。同じ男の子として、二人で沢山の話をしてくれました。こんな時間が有難いなと。そして、とてもいい商品があっさり見つかり、新しいテレビを購入、さらに設置までMさんが引き受けてくれて、引っ越しの時のことが蘇ってきました。あの時期のことに比べたら、そんなに大きなことではないな、いつも同じ所から支えてくれるMさんに感謝、この珍事態も面白い出来事として笑ってくれる人にありがとうを忘れたらいけないなと思いました。息子が、テレビを壊してしまったと分かった時、急に以前自分の身に降りかかった交通事故を思い出して。相手は車、自分は自転車、一時停止無視でこちらは吹き飛び、咄嗟にとった受け身で左側はかなりの打撲だったものの、頭は打ちつけておらず助かりました。救急車で運ばれた時の男性医師に、レントゲン写真を見て骨が太いと笑われ、頭を打っていたらどうなっていたか分からないと言われ、人の命はこんなに簡単に奪えてしまうのだと実感させられました。そして、41歳で見つかった卵巣腫瘍。3cmの卵巣は8cmにまで膨れ上がり、体の中で悲鳴を上げていました。自覚症状はあった、それでも気のせいだとやり過ごしていたその代償はあまりにも大きく、押し寄せた後悔に自分が潰されそうでした。息子との時間に限りがあるかもしれない、なんてことをしてしまったのだろう、激痛と悔しさで手術日まで悩み続けた日々。目が覚めると、良性だった、あまりにも酷かったけどよく破裂せず耐えたと笑って労ってくれた執刀医がいました。自分の命のきらめきをこんな風に大切に思ってくれる人がいる、最期の時まで大事に持って行こう、そう思いました。
スーパーボールをテレビにぶつけ、壊してしまった息子が大泣きする中で、頭をなでながら伝えたいことがあって。「ねえR、やってはいけないこと。それは分かるね。でもね、まずRの体に傷がなかったこと、それはほっとした。そして、自転車などで誰かを交通事故に遭わせた訳じゃない。物が傷ついただけで済んでくれたこと、そのことに安心しているよ。お母さんね、Rよりも大切なものはこの世の中にない。あなたの心と体がとても大切。そのことは忘れないでいてね。」そう伝えると、余計に感極まって大泣き。奥底に届いたのなら良かった。
いろんなことがひと段落した時、ふっと随分過去のことが思い起こされました。それはまだ幼少の頃、祖父母の寝室でボーンボーンという昔ながらの時計のそばで姉がカラーボールを壁について遊んでいると、コントロールを誤り、時計を割ってしまって。その近くで寝ていた私の頭付近にボールを置いてこっそり逃げた後、母がやってきて思いっきり頭を叩かれて。それでも、寝起きでぼーっとしている私は何が起きたかよく分からず、母の口調からなんとなく犯人扱いされていることに気づき、それでも反論するのはやめました。その後も、スイカを食べる約束は罰として無くなり、そんな中でもネネちゃんのことは黙っていて。なぜそうしたのだろう、その気持ちが今になり分かった気がしました。時計を割っただけでも母は激怒していた、その上で妹に濡れ衣を着せたと分かったら、母は姉に対して尋常ではない程怒り狂うだろう。お姉ちゃんのことが大好きだった、だから黙っておこうと決めたのだと。
ボールは外で使いましょうよと、姉にも息子にも言いたい。とりあえず投げてくれたら、受け止めるから。息子の武勇伝は一体どこまで増えていくのだろう。スーパーボールが、実はドラゴンボールだったらおもしろい。夢、いつか叶うだろうか。