もしも別の道に進んでいたら

甲子園、愛工大名電(愛知)対八戸学院光星(青森)の試合を、ヤクルト観戦に行く午前中、テレビで観ていました。延長戦に入り、劇的なサヨナラ勝ちで名電が勝利し、歓喜したのですが、その時マウンドに崩れ落ち、涙が止まらない相手ピッチャーの姿を見て、泣きそうになりました。サヨナラ勝ちは喜びが仲間と爆発するのに、サヨナラ負けはパタッと試合が終わってしまい、簡単に気持ちが切り替えられる訳がないよなと。自分のピッチングで甲子園を勝ち進めなかったという気持ちがマウンドの上で押し寄せて来たのではないかと思うと、胸が痛くなりました。その後、アルプススタンドの前で整列しても、立ってはいられず顔を隠しながら泣いている彼を仲間が支え、堪らない気持ちに。息子と神宮へ行き、心地よい空間に身を置いた時、あのピッチャーが眠れない夜を過ごすことにならなければいいなと願いました。とても楽しい時間を過ごし、へとへとで帰宅し、息子を寝かせた後、『熱闘甲子園』(テレビ朝日系)を見ると、そこには仲間と一緒に満面の笑みでいる宿舎の彼が映し出され、泣きたくなりました。良かった。自分の持ち味を出すことはできたと最後に言ってくれて、胸がいっぱいに。やってきたことを甲子園の大舞台で出し切れたこと、よくやってくれたと仲間が労っている姿を見て、彼の心が晴れて行ったことが分かり、そんな過程に私の方が励まされたようでした。
そしてまた別の日、夜のニュースを見ていると、国学院栃木(栃木)対日大三島(静岡)の対戦後の映像が目に留まりました。大差で敗戦し、相手チームと整列後俯く日大三島の選手達に、球審の方が声をかけていて。「大丈夫や、上向け。甲子園で試合ができたことは誇りや。胸を張って終わります、礼」この言葉は、選手達は一生忘れないだろうと思いました。この先、どんなことがあっても、彼らはそっと取り出し、その度に甲子園の匂いと球審の深い優しさを感じ、空を見上げるんじゃないかと。苦しい時にかけてもらった言葉が、どれだけ自分の糧になるかを知っているからこそ、胸に沁みる光景でした。甲子園、どれだけの汗と涙が土に染みついているんでしょうね。

お盆は、両親宅へ行き、住職さんを呼んでお参り。お経を聞いていると、まだ実家にいた時のことがとても自然に蘇ってきました。3月13日に亡くなった祖母。それ以来、毎月13日の月命日には住職さんに来てもらい、祖父と一緒に座布団の上で手を合わせました。終わると、お茶や和菓子を出し、談笑しながら毎回ぺろりと完食してくださり、ふくよかなのは甘党だからなのかなといつも微笑ましく感じていて。祖父の戦争の話、最近の出来事、お寺のこと、いつも変わらない温度がそこにあり、その時間も含めて、亡くなった母のお兄ちゃんや祖母のことを思っていました。「なあ、Sちゃん、わしももうすぐあっちの世界へ行くから。」なんて笑いながら祖父が言うと、「まだまだですよ!」と住職さんも笑ってくれて、いい時間でした。おじいちゃんは、ひ孫を連れてやってきた私の姿、見えているよね。あっちの世界へ行ってしまったけど、おじいちゃんが遺してくれたもの、ずっとずっと大切にするから。
その翌日、お盆に行けなくてごめんね~と姉から連絡が入り、一日遅れでお供え物を届けるから短時間だけ会えないかと言われ、息子と約束をしていたゲームセンターで待ち合わせをすることに。すると、紙袋にいっぱい入ったお洋服を渡してくれて胸が詰まりました。引っ越し前、何がいるか聞いたら服だって言っていたから、私がやれることを届けていく、そんな気持ちを感じ大きな元気玉を受け取ることに。おばあちゃんになっても着れたらいいな。そんなことを思っていると、息子がメダル落としで盛り上がってくれていたので、その後ろで少し話すことに。『夏休み前、Sちんに会いたかった~』とメッセージが入ったので、また何かあったのだろうと内容を聞くと、仕事と育児でパンパンだったよう。妹にだけ開けてくれている扉があることを知っていたので、姉の話を微笑みながら聞くと、ふっと力が抜けてくれたことが分かり、ほっとしました。もう、本当に鎧を着なくなったね、そんな彼女のやわらかさを感じました。「ネネちゃん、私ね、おじいちゃんが亡くなってから、軍服姿がずっとちらついていたの。でも、最近その姿が消えて、遺影を見たら優しい表情だった。おじいちゃん、ようやく戦争から解放されたのかもしれないね。」そう伝えると、わっと姉がこみ上げたのが分かり、目に涙を溜めて言葉にならないようでした。妹はどれだけのものを背負ってきたのだろう、そんなに共感したら苦しいでしょ。でも、Sちんの言っている意味は分かる気がするよ。そんな姉の気持ちが伝わってきました。「もしね、三人目をお母さんが産んでいたらきっとRのような男の子だったと思う。両親の愛はそっちにいっていて、私はひねくれていたかもしれないね。」「それならそれでいいんだよ。ひねくれていたら、Sちんは振り向かずに飛び出せていたから。」いつも、どこにいてもお母さんやおじいちゃんの心配をしていた、曲がっちゃった方がSは楽になれる、そんなことを言われたこともあったな。改めて姉の深い気持ちを感じ、ジャラジャラ騒がしいゲーセンで、長い家族の歴史を二人で辿れたようでした。

「ネネちゃんが前に付き合っていたカナダ人のDちゃん、言葉の壁はあっても彼ととても分かり合えたと思っているよ。」「そうか。二人ともSoul(魂)で深く感じ合うから近いものがあったんだろうね。」“心”ではなく“Soul”と表現したのは、どこまでも彼女らしい。そんな姉が伝えてくれました。「この間、名古屋に帰ったの。やっぱりお墓は名古屋から移さない方がいいと思ったよ。」おじいちゃんが戦地から帰ってきた故郷、魂を感じてくれたんだろうな。最後は、フィーバーしてわいわいやっていた息子のメダルも無くなり、お別れすることに。すると、ネネちゃんが手を出し、息子がハイタッチ。手と手が重なった時、姉が泣きそうになってそれを見て私も泣きたくなりました。妹よ、ここまでよく頑張った!後半の人生はR君ともっとお腹いっぱい笑いなさい!!そのエール、受け取ったよ。