心が動いた週末

我が家でたこ焼きパーティをしようと、週末両親を呼ぶことになりました。すると、ふらっと昼前に登場し、玄関先でビールを手渡され去って行った父。その後、母がルンルン気分でやってきて、伝えてくれました。「さっきお父さんが来たでしょ。Sにビール代を使わせたくないから届けに行くって。ポケモンのイベントがやっているから、夕方またのんびり来るわよ。」父の配慮に感謝しつつもポケモンのイベントって・・・。お父さん何歳よ?!そんな私の心の声が聞こえたのか母が続けてくれました。「本当にポケキチなんだから。お母さんよりもポケモンなのよ。まあ、パチンコ三昧よりはいいと思って笑って見送れるからまあいいわ。」それってポケモンキチガイの略よね?新しい造語まで作っちゃって、面白い夫婦だなと微笑ましくなった昼下がり。その後、材料の買い出しに出かける為、息子を母にお願いし、駅周辺まで行くと見慣れた人に会いました。「お父さん!」「おおっ。」「何してるの?」「ポケモン探しているんだよ。」娘が若干引いていることに気づいてる?なんて思いながら、半笑いで伝えました。「5時半にはたこパー始めるから来てね!」「うん、すみませんね~。」と言ってスマホを持ちあっさり去っていった66歳、一応会社員。私は今、少年と会話したのか?と吹き出しそうになりながら、軽やかに用事を済ませて帰宅。姉のいた大阪の女子寮で鍛えられたので、たこ焼き100個を作りあげ、賑やかにパーティは終わり、余ったたこ焼きは持って帰ってもらいました。母の誕生日祝いも兼ねてだったので、無事に終わったことにほっとして。息子と父がいてくれるとなんだか中和されるな。

翌日曜日、気温も上がりいい天気だったので、二人で気分転換しようと遊び道具を自転車のかごに入れ、20分程のサイクリングを楽しみ広い公園へ向かいました。気持ちがいい~と思ったのも束の間、強風でバドミントンの羽は流され、フリスビーは飛んでいき、逆に疲れてしまったので仕方なく退散。手巻きずしをやる予定だったので、簡単な材料だけを買ってへとへとになりながら自宅に戻りました。すると息子がぽつり。「ママ、あのね、また今度でいいんだけどタピオカミルクティを買ってほしいの。」そう言われたので、冷蔵庫を開け、はいっと手渡すと本気で喜んでくれて。「今日のスーパーは正直ちょっと高くて買えなかったんだけど、昨日安いお店に行ったからそこで買っておいたの。」「そうなんだ~。ボク、今日言い忘れちゃって。」「違うよ。Rがスーパーでお母さんに気を使って我慢したことが分かった。好きなものが何でも手に入るのも良くないし、我慢ばかりするのも良くないから、たまに買ってくるね!」そう伝えると納得してくれました。タピオカが売っている近くの棚の前で、ほんの一瞬息子が立ち止まったことを見逃しませんでした。それでも、ぐっと背を向けてくれたことも。ひとつひとつを拾っていく、見落としてしまうことも沢山あるけど、気づけた時を大切に持っていようと思います。優しい嘘、いつから息子は覚えたのだろう。こちらがついた小さな嘘の数々に彼は気づいていたのだろうか。人を守るために、ついてもいい嘘があることを。相手を傷つけるものではないというのが条件付き。前のマンションのキッチンの片隅で、こっそり泣いた私に気づかないふりをしてくれた息子。「今日、お母さんの調子が悪くてごめんね。頭痛が酷くてね。Rは大丈夫?」「うん。」ママの不調って体の方じゃなくて、心の方なんじゃない?まだ小さいのに、沢山のことを感じ取ってくれているようでした。
シェアオフィスで、水彩画を学んできたという若くてかわいいスタッフさんに、私のパーソナルカラーを診断してもらいました。すると、春をイメージする色が似合うということ。なんだか嬉しいな。「アイボリーなどがとってもお似合いだと思います。真っ白というよりかは少し黄身がかかった色の方が。いつも着ていらっしゃるお召し物、そういった色が多いですよね!」と言われ、当たっていて驚きました。彼女の目に映る世界はカラフルで、時にその人の内面から溢れる色が見えているのかもしれないな。一年中、春らしい自分でいられるよう頑張ります。

祖母の弟夫婦に可愛がってもらっていた10代20代。血の繋がらないおばさんと過ごす時間は安らぎ、いつも優しい空間に包まれていました。仏壇の前に行くと居心地が良くてホームに戻ってきたような気持ちになり、三人の息子さん達、特に長男の方はとても思慮深く、大学の先輩でもあって近いものを感じていました。お会いする度、なぜかお互いが半泣きをする間柄。私はもしかしたら、本当ならこちらの家で生を受けていたのではないかと不思議な錯覚をする時もあって。そして、そのおうちはマブダチK君のご近所さんでした。ということは、小さな時から彼とは交わっていた可能性があり、幼なじみのような感覚になるのはそういうことなのか?どこで生を受けても彼とはどこかで交わる運命にあったのか、それはそうとして、なぜ私は今の両親の元に生まれたのかもう一度考えてみました。答えは一つじゃない、でも、一番大きな理由があるとしたら姉を孤独にさせないため。私を妊娠中、パートに自転車で出た母は転んでしまい出血、障害が出てしまう可能性を考え医師やみんなにおろすことを勧められても、強い意志で産んでくれました。そのおかげで、姉と私は手を繋ぐことができた。それは、あまりにも尊いこと。決して忘れてはいけないネネちゃんとの絆は色んな道を辿ってきたんだ。

そんな沢山の心が動いた日曜日の夜、息子が『あつまれ どうぶつの森』をやっていたので、隣で見ていました。ポケットにどんだけ突っ込めるねん!と思いながら、どんどん花が咲いていく島に胸が熱くなって。雪から桜の季節へ。本当の春がやってきた。