失敗が失敗じゃなくなる時

梅雨の真っ只中、朝は降っていなかったものの、急に降り出すこともあると思い、念の為息子に折り畳み傘を渡しました。「今日の帰りは部活だね。いってらっしゃい!」そう言ってバイバイ。大変だ大変だと言いながらも、毎日中学校へ向かう彼に栄養をつけてもらいたいと思い、パソコンを開いた後鶏ひき肉を買いに行きました。前日に作った焼き豚の残りでチャーハンを作り、鶏だんごのスープを用意するとへとへとになった息子が帰宅。「行きに土砂降りの雨にあったんだよ。傘持って行って良かった~。」と嬉しそうに話し、夕飯を喜んで食べてくれました。が、その後事件が。スープを飲もうとすると、彼の手が滑り、また液体をこぼしてしまって。日常生活の中でさすがに多すぎるでしょと思い、冷静に怒りながらテーブルを拭き、息子の服を手洗いし、本人も反省しているようだったので、それ以上言うのはやめました。わざとじゃない、でも私の前だと緊張感がなさすぎるんだよなと思いながら、湯船に浸かることに。そんな時ふと、小料理屋のママの顔が浮かびました。彼女もまたシングルママとして、沢山の孤独や葛藤と戦っていたのではないかと。出会えたのはやっぱり必然だったのかもしれないなと、ふわっと元気をもらえたようでした。そして、いつものように社会のテスト勉強が待っていて。息子の隣に座り、ワークをもう一度見てみると、沖ノ鳥島が沖ノ島島と書かれてあり、二人で爆笑。「おきのしましまって何?」「間違えた~!」こんな時間が、お互いのアルバムに綴じられていくんだね。

まだ実家にいた頃、姉が大阪に就職し、両親の冷戦の後、父も出て行き、祖父と母との三人暮らしの混乱状態をもう一度思い出してみました。母は泣き叫び、祖父は介護が必要な状態、あの時誰に助けを求めれば良かったのかなと。こんな家、出ていってやるという気には、とてもじゃないけどなれなくて。目の前にいる、母と祖父のことを守ることで必死でした。随分時が流れ、佐賀の祖母の葬儀後、佐賀駅に向かう車内でネネちゃんが伝えてくれて。「お母さんとどうだった?」「連絡取っていないことで、嫌な態度を取られなくてほっとしたよ。私が佐賀に行ったことで安心したのかも。」「もうさ、お母さんの気が狂った状態、Sちんに向けるんじゃなくてお父さんに向けなさいよって思うんだよ。みんなが言いやすいSちんに攻撃してしまってきた。搾取されてしまうこともあるからさ。Sちん、今回いろんな気持ちがある中で、本当によく来たよ。」ハンドルを握るネネちゃんは正面を向いていたのだけど、気持ちは私の年表の一番どろどろの部分のそばにいて、その時受けた痛みも越えた勇気も何もかも感じ取ってくれていました。妹は要領が悪い、私みたいにもっと早く見切りをつけて家を出ればいいのに。もっと自分を守ればいいのに。もっと反撃すればいいのに。それが、若い頃の姉でした。彼女の言っていることはもっともで、反論の余地もなくて。そして、その裏側にある彼女の痛みも知っていました。だからこそ、何も言えなくて。その後、母がどうしようもない状態になり、父に出したSOSがようやく届き、父と姉と私の三人の家族会議が待っていました。その時は、姉妹であり得ない程の修羅場があり、4年もの間音信が途絶えて。それから私の手術日に連絡をもらい、再会を果たしました。彼女はカウンセリングに通い、本来父に向ける刃を、八つ当たりで一番傷つけてはいけない妹をめった刺しにしてしまったと大泣きしてくれて。私まで、彼らのようなことをしてしまった、妹の傷はとんでもなく深い、そのことをカウンセリングで感じ、大切な妹を失ったと苦しんでいてくれたことが分かりました。姉との歴史にもいろんなことがあり、だからこそ、佐賀への姉妹旅はどの瞬間も優しさに溢れていて。彼女の視点は、明らかに変わっていました。自分だったらじゃなくて、妹だったらどんな気持ちだっただろうと。その想いにありがとう。
ネネちゃんのレンタカーを降り、空を見上げ、ふと視線を駅に戻すと目に留まったのは、サガン鳥栖の広告でした。仙台に行った時は、地下鉄の中でベガルタ仙台の広告を見つけて。今この土地にいるんだなとサッカーからもパワーをもらえたようで、そんな風にここまで歩いてこられたことに感謝したいなと。苦しいことが沢山あって、これからもきっとある、でもね、その途中途中で笑える日がある、頑張った自分に流せる一滴の涙がある、その少しの晴れ間の為にまた頑張れるんだ、そう思いました。佐賀でスタバには行けなかった、これも大事な未来への宿題だな。

息子の地理の勉強で、南アメリカ大陸にあるアンデス山脈がなかなか覚えられないので、『あんこです』山脈って覚えたら?とちょっとふざけたことを提案してみると、本当に覚えてくれました。テストでそのまま書いてしまっていたら、先生も丸付をしながら笑ってくれるかな。そして、なぜだか捨てられなかった小学校時代のノートが出てきました。パラパラとめくっていると、感極まりそうになって。それは5年生の時、広島東洋カープファンの担任の先生が、どんな内容でもいいと言ってくれた宿題のページでした。上半分にはつば九郎の色付きイラスト、下半分はつば九郎の特徴が事細かく書かれていました。『好きな食べ物、チキンとビール』チキン食べたらあかんや~んという先生のツッコミ付き。これは捨てられないな。つば九郎が好き過ぎて、息子が自分で沢山調べた跡があり、そういえば、最後に会えたのはつば九郎DAYだったなと思い出しました。その日も、空中くるりんぱをして失敗し、みんなを笑顔にしてくれて。サヨナラ勝ちで、ライトスタンドの前まで歩いてきてくれました。勝利を一緒に分かち合ったその姿を、息子も私も忘れることはないだろう。