二つの選択

昨晩、息子に英語を教えた後、なぜだか急に野球の話になり、すっかり盛り上がってしまいました。「左打席と右打席を、投手によって両方打てることをなんて言うんだっけ?」と息子。「ええ?何だったかなあ。なんとかバッターだったような気がする。日本語じゃないんだよ、確か。検索をかけてしまいたいけど、自分達で思い出したいよね。」「う~、スマホに手が伸びそうになる~。」と彼。一旦別の作業をしたら思い出すかもしれないなと思い、食器を洗い始めた途端、手先を使ったのが良かったのか急に正解が見つかりました。「分かった!これがヒント。」そう言って電気のボタンを指さすと、息子の頭の上にもピコンとランプが点いて。「スイッチヒッターだ!」「そう!なんとかバッターではなくヒッターだったね。すぐにスマホやパソコンから検索をかけられる時代になったけど、頑張って自分で思い出そうとするのも脳トレなのかもしれないね。」そんな話でわいわい。大学図書館でレファレンスサービスとして聞かれていたら、自分はどうしていただろう。先輩に何度も言われたのは、大学は教育機関であるということ。私達の専門知識を伝え過ぎたら、学生さん達の為にならないこともある、サービス精神が旺盛過ぎるのも時に良くないのだと。子育てでも、なんだかそのことを忘れたらいけないような気がしていて。少しのアシストをして、気持ちのいいシュートは本人が決めてくれたなら。毎日が学びの連続。

最近改めて思ったのは、私の子供時代って欲がなかったなと。服は姉のお下がりを着ることが多かったし、文房具もいつまでも同じものを使っていた気がします。そういったことを気にかける両親ではなかったというのもあるのだけど、本当にそれでいいと思っていたんだろうな。図書館との出会いが、小さな頃から自分の人生を豊かにしてくれていたと気づいたら、なんだか嬉しくなりました。誰かの負の感情を受けることのない聖域で、興味のある本を見つけその世界に入っていく、こういう気持ちになるのは私だけじゃないんだ、いろんな人のいろんな感情に触れることは小さな支えにもなっていきました。胸の内に閉じ込めるのではなく、理解し、どこか宇宙のような空間で自分の気持ちがぐるっと巡るような時もあって。私もそこそこ辛かったんだね、でもその経験をどうプラスに変えようか、悔しいから意地でも老後に笑い話にしてやると思って、これまで生きてきたんだな。そんな自分、嫌いじゃない。
夏休みの宿題で息子が、何か職業について新聞を作らなければいけないと言ってきたので、これは手伝うのがまた大変になるなと構えました。すると意外な話をしてくれて。「ボク、5年生の時に新聞作りを○○先生に教えてもらったんだよ。大変だったけど鍛えられた!」は?と思考を巡らせていると、あ!と思い出して。一枚の紙に、やたらとびっしり文字と絵を描き、富士山について事細かく調べていた内容が蘇ってきました。そして、その先生は担任ではなく隣のクラスの男の先生、社会科を担当してくれていたのね。まさか、中学に入ってその事実を知ることになるとは思わず、なんだか胸がいっぱいに。「ボクね、5年生の時の社会科が、一番成績が良かったの!」色々泣けるじゃないか。5年生といえば、野外活動の説明会でその先生が挨拶をしてくれたことがありました。いつもスーツをきっちりと着こなしているのだけど、物腰は柔らかくほっとさせてもらえる雰囲気があって。そして、息子がとても楽しみにしていた野活はコロナにかかり大泣きして行けず、苦しい思いをさせてしまったことが私の中で膨らんでしまい、他のことをあまり思い出せないでいました。そんな中で、何度も繰り返された社会の新聞作りを嫌だったと言うのではなく、鍛えられたと息子は表現していて、そこには先生に対する感謝もあり、育まれていたものが確実にあったんだなと思うと時間差でお礼が言いたくなりました。社会科を好きになってくれてありがとう、その1教科はきっとあなたの幹になる。

高校2年の時、日本史と世界史の専攻を迷っている話を、心から敬意を払いたくなる世界史の先生に相談した時、得意な方を選べと言ってくれた意味をずっと考えていました。僕の授業を聞いて世界史を好きになってくれたことは嬉しい、でも3年生でまた聞きたいと望んでくれても異動になっているかもしれない。○○が自信を持って好きだと言える教科は、先生が変わっても変わらないだろ。変化の連続だぞ、後ろを振り向いてなんていられない時もある、ひとりで頑張らないといけない時もある、でもな、これだけは負けないってものを持っている人は強いぞ。周りに流されることなく、自分を持っている人は揺るがないって先生は思う。○○には、そんな選択をしてほしい。歴史を学ぶ女性は少ないとか関係ないぞ。好きなものは好き、そういうものに出会えるって幸せだって思うから。行間から伝えようとしてくれたのはこういった気持ちだったのではないか、そう思いました。日本史を専攻しても、私が選抜クラスに入れば先生が担任になってくれた可能性があった、でも敢えて選びませんでした。同じ学年にはいてくれる、だったら成績を見守ってくれている気がして。それだけで十分。「大学決まったな。歴史を思う存分学んで来い。僕みたいにマニアックな奴もいるから面白いぞ。」本当にいたよ、先生。埃臭い研究室で資料を探し、図書館で司書の方に何度も泣きつき、書庫の本を探しに行ってもらった。そうして書き上げた卒業論文は、私の4年間が詰まっている。日本史を選んで本当に良かった。この記事、いつか先生にも届くだろうか。

「ママ、左利きの人ってIQが高いんだって。」「申し訳ないけど、お母さんは例外だし、そもそもその情報をどこから入手したの?」「小学校の図書室。左利きの本をちょっと読んでみたら書いてあったの。でね、ボクも左手の方が体力テストで握力強かったんだよ。」えっ?!は?と思いながらいくつか息子の動作を質問すると、左手を中心に行っていることが沢山出てきて、まさかの左利き遺伝がうっすら発覚しました。というか、コイツは両利きか?!と笑ってしまって。右利きだと思い込んでいた12年間の育児は何だったんだと、反省やら自分へのツッコミやらで、また年表に面白いことが刻まれていきました。二択、自分が信じた道へ。両方選べるなら、たまには欲張ってもいいね。