届いた気持ち

息子が母宅へ遊びに行っている際、お迎えの待機の為にコメダで時間を潰そうと待っていました。その日は、寒暖差が酷く、自律神経が乱れている自覚もあったので、運ばれて来たお水で頭痛薬を飲もうとすると、コンディションが悪かったせいか力が入らず、ひっくり返してしまいました。慌てておしぼりで拭こうとすると、隣にいた30代の落ち着いたカップルがこちらに気づき、手伝ってくれて泣きそうになりました。男性は店員さんを呼んでくださり、女性は一緒に氷を拾ってくれて、お二人にこちらのおしぼりを使ってくださいとまで言われ、恥ずかしいやら嬉しいやら。咄嗟の判断で動いてくださる方達の気持ちに、すっかり濡れてしまった服も気にならない程の温かさをもらったようでした。慌てて来てくれたかわいい女性のスタッフさんも、「お召し物は大丈夫ですか?」と心配しながら一緒に拭いてくれて。気分の悪さでカサカサしそうな日に、沁み込んでくるこんな優しさが自分の中に蓄積されていくから、届けられるものがあるのだと改めて思った穏やかな時間でした。何度もお礼を言う私に、隣の二人は微笑みながら恐縮してくれました。彼らにもいい一日を。たまたま隣に居合わせたからこそ訪れた一瞬の交わり。今日も助けられたよ。だから、逆のことが訪れたら、私も同じことができる人になろう。

その時に読んでいたのが、『下町ロケット ゴースト』(池井戸潤著、小学館)。全然時代についていけていないなと思いつつ、自分の好きなタイミングで読めるこんなペースが好き。主人公の佃社長に今回も励まされた一冊でした。男臭いというか、人情味溢れるというか、こんな会社いいなと思わずにはいられなくて。東京大田区の下町にも読む度に社会見学へ行きたくなります。ものづくりの原点が、ほんの少しでも垣間見えたなら。一つの部品に対する思いを胸に、会社の命運を賭けて試行錯誤しながら作り上げる、そんな戦いが町工場の染みにも出ているような気がして、肌で感じに行きたくなりました。理不尽なことがあっても、貫きたい信念がそこにはあるんだろうなと。

大学図書館にいた頃、外部の方を招いて、理系の先生達にシステムの使い方を説明してもらうから、講義室に資料を配布してきてほしいと頼まれたことがありました。女性の上司に、「良かったらそのまま後ろに座って講義を聞いてきてもいいわよ。もし資料が足りなかったら取りに来てもらうから、スタンバイしてもらった方がいいと思うし。」と言われ、有難く参加をさせてもらうことに。いらした先生達に資料を配布し、後ろの方に座って聞いていたのですが、さっぱり分からない。日本語なのだけど、頭の中で全く繋がっていかず、それでも背筋はシャンとして、表向きしっかり聞いていたものの、星が飛びそうでした。余った資料を片手に、講義室を出ようとすると図書館を利用してくださる一人の男性教授に、「内容分かった?」と聞かれ、「さっぱり分からなかったです。」と正直に答えると、笑われてしまいました。そうだよね、あなた司書だもんねという顔をされ、一気に場が和みました。そして、図書館に戻り、役目は果たしたものの、違う言語に聞こえたぐらい意味が分からなかったと上司に話すと、これまた笑われてしまいました。「もう懲りた?でもいい経験だったでしょ。」と。ええまあ、ははっ。理系のセンスがゼロというかマイナスであることだけは明確になりましたと心の中で呟きながら、ミッション終了。講義を覗いてみたいという私の気持ちを汲み、送り込んでくれた親心を有難く受け取った一日でした。

司書講習中に出会った、一人の女性。その方が心の障害をお持ちで、悩んでいることにふとした瞬間気づきました。そっと見守ることに専念しようと思っても、どうしても気になり、その時仲良くなった信頼している友達に、とてもさりげなくそのことを伝えてみました。すると、「私も気づいていた。温かく見届けるのが一番な気がするよ。」と。その言い方があまりにも優しくて、私の気持ちも感じ、一緒に心を痛めてくれていたことが分かりました。図書館は人を選ばない、誰にでも開かれているあたたかい場所であってほしい、友達もまたその短期間に沢山のことを学び、感じ取ってくれていたのだろうと、その言葉から溢れ出る気持ちが流れ込んできました。

なぜ私が隠れ左利きなのか。最近ちょっと分かったような気がしました。表面上は分からない、箸と鉛筆は右だから。でも何気なく左手を使う時があって、不思議なことに左利きの方が気づいてくれることが多く、図書館カウンターで「一緒~。」と何人の学生さんに言われたことか。なかなか分からない小さな苦悩があって、それって大なり小なり人それぞれあって、共存ってそういうことなのかなと。少数派の方が、とても自然に溶け込み、自然に笑い、自分は自分でいいんだって思ってもらえる、そんな小さな、ほんの小さな力になれたらと、いつもどこかで願っているような気がしています。そういう人達に沢山出会ってきたから。悔しい思いを沢山抱えて、涙を溜めて、それでも顔を上げようとしている人達に伝えられるものがあるなら、今日もここにいようと思います。
届け、この気持ち。