夏休みの朝、のんびり起きてきた後、ポットのお湯を沸かそうと思い、スイッチオン。いつもより水の量が少なかったことをすっかり忘れ、野球が見たくて慌てて後ろにあったカフェオレを取ろうとすると、ちょうど沸騰の最中で熱々の湯気が腕に思いっきり当たってしまい、火傷をしてしまいました。とほほ。今はひりひりした状態で、反省しながらパソコンの前に座っています。息子はというと、心配しながらも友達と遊びに行ってくれたので、久しぶりに一人の時間ができて、ゆっくり思考を巡らせるひととき。あるがままに、そんなある一日のお話。
お盆が近づくにつれて、帰省ブルーが酷くなり、これは一体どうしたものかと困惑していました。それでも、父には二人で行くと伝えていたので、お供え物を買いに行く為に、息子と家を出ることに。その後、両親宅へ向かいました。現地へ着き、ピンポンと鳴らす前に、何気なく彼が伝えてきて。「おじいちゃんが出そう。」それはただのヤマ勘なのではなく、お正月以来顔を出さない私に母は怒っているという息子の直感でもあって。案の定、父が出て、なかなか鋭いなと思いました。そして、自宅に入り、挨拶をした後お供え物を仏壇の前に置き、二人で手を合わせることに。「おばあちゃんは?」と息子が父に聞くと、「美容院。」という返事。会うの、気が重いなと思いながら、三人で談笑をしていると母が帰ってきました。私の目を見ようともせず、嫌な態度が待っていて。それも想定内で、数えきれない程、こういう目に遭ってきたんだよなと。私がこんなに寂しい思いをしているのに、なぜ気づかないんだ、なんでもっと大事にしてくれないんだと負のオーラが全開でした。今回、母に会わなかった間、彼女の抱えるパーソナリティ障害について自分なりに学んでいて。本当は、本を手に取ることさえ躊躇った、触れたくない傷もきっと多数ある、でも深く知ることが自分を守ることにも、そして母と接する上でも一歩進める気がして勇気を出して読み進めました。それなりに辛くなって閉じた時もあったのだけど、何冊か読めて良かったなと。これ以上、心を砕いてしまわないように、自分の為の選書をしたよ、矛ではなくきっと私は盾を手に取った、知識と経験が役に立ってくれたなら。そんなことを思いながら、母の不機嫌を落ち着いて見ながら接し、父は相変わらずポケモンGOをする為に、孫のスマホを手に取りちょっと出てくると行ってしまったので、3人でトランプをしようとこちらが誘うと少しずつ母の機嫌は直っていきました。わいわい盛り上がっていると、父がふらっと帰宅。母が嬉しそうにしていることに、父が安堵した表情をしたのを見逃さなくて。それでもひと段落すると、またもやもやしている母がいたので、3人で買い物へ行こうと誘い出し、父にお留守番をお願いしました。そして、4人で夕飯の時間が。中学の時、両親は何部に入っていたかを聞くと意外な返事が。父は野球部で外野を守っていたそう、そして、高校では郷土研究部にいたんだとか。佐賀の方言や歴史を調べていたと教えてくれて、社会系の血はやっぱり父から引き継がれたんだなと笑ってしまいました。そして、中学時代の母は美術部に。彼女は絵が上手い、その長所をもっと祖父母が褒めていたら、またちょっと違ったのかもしれないなとも思って。さらに、父に聞いてみたかった質問を投げかけてみることに。「佐賀から、名古屋の銀行以外にどこか受けたの?」と。「一社だけ。結構周りは大阪に行っていた。」一社だけ受けてその一社を決めてくるあたりが、やっぱり父らしいなと思いました。真っ直ぐな道、そして迷いがない。さらに軟化した母が、こちらに聞いてきました。「どうしてSは、佐賀までおばあちゃんの葬儀に来てくれたの?お姉ちゃんから誘われた?」と。「姉から連絡が入って、Rのこともあるし、すぐに返事はできなかったの。でも、最後になるからと思って、告別式だけなら何とかなるかもしれないと思って行ったの。」そこにはいろんな想いがあった、簡単に言葉にできるものではない、祖父母と本当のお別れがあった、でもそれ以上にいろんな気持ちと向き合い、愛に包まれたんだ。博多駅の途中下車は、両親には内緒。自分のハートをトンカチで叩き続けてきた映像が過ったことも、思い出した稲穂の匂いも、子供の頃に姉といたずらをして祖父母を困らせ、それでも笑ってくれたあたたかい食卓のことも。「交通費、大変だったでしょ。」お母さん、その言葉があなたの芯であることを知っているよ。本当は、思いやりがある人。だから離れなかった、でも、そばにいるとどうしても渦に巻き込まれてしまうんだ。10年程前、母のパーソナリティ障害に気づいた姉は、数日考えて沢山の言葉を選び、伝えてくれました。「Sじゃだめなの。Sちんが離れようとすると、死んでやるとお母さんは言う。そういう言葉で妹を縛り付けてきた。もう、自由になっていいんだよ。全力で逃げなさい。」落ち着き過ぎているネネちゃんの声、でもその中には怒りや後悔やもっと沢山の感情がありました。もっと早く妹を楽にさせてあげられたら良かった、彼女の奥にある気持ちが届き、涙が溢れました。生きることって苦しいな、でも、優しい。
穏やかに終わった夕飯の時間、そしてまた仏壇の前に座り、みんなにお別れを告げました。リビングにいた父にバイバイし、母が玄関まで見送るといつもの黒いオーラに戻っていて。「お父さん仕事を辞めて、ずっと一緒にいてこちらがおかしくなってしまいそうなの。あなたも前に、お父さん神経質な所があるしって言っていたでしょ。あなたみたいに私まで体を壊してしまいそう。」あのね、この会話、お父さんにも聞こえているし、孫に聞かせる話じゃないんだよなと最後の最後でどろどろを渡してくるものだから、どっときてしまって。気分転換にもっと会いたいとかそういう展開を待っているのは分かっていたのだけど、きちんと線を引かなければ。20年別居をして同居を始める時に、人はそんなに変わらないからお互い覚悟の上だよと二人には忠告した、それを選んだのは両親。私は息子との幸せを大切にするよ。「体に気を付けてね!」とだけ言って離れる私の前でまた半泣きになった母、その時、横浜に引っ越す前、あなたがいないと生きていけないと両腕を掴まれ離してくれなかった母がフラッシュバックしました。それがどれだけの恐怖だったか、彼女は知らない。都合の悪いことは忘れてしまい、いつも被害者になってしまう、それでもねお母さん、あなたの精神的自立を応援しているよ。心の中で伝え、扉を閉めました。罪悪感なんて抱かなくていいんだよ、本当に今までよくやったよ、Sちんが間に入らないと両親の関係がうまくいかないなら、そんなものは壊れてしまえ!というネネちゃんの声が帰り道に聞こえてきて、ちょっと笑った。そして、疲弊している息子にお礼を伝え、エナジードリンクで乾杯。「R、今日は長い時間ありがとうね。孫のスマホを持っていなくなるおじいちゃんってどうよ?おばあちゃんも最後にどろっとしたものを渡してきて、なんだかごめんね。Rの人生、好きなように生きな。一日お疲れさまだよ。」そう伝えると、にっこり笑顔で言ってくれました。「ママもね!」息子が見えているものは今だけじゃない、今日どんな気持ちで向かったのかを感じ取ってくれていたのだと思うと、ぐっときました。彼の自由研究のテーマは『どうして生き物はいつか死んでしまうのか』というもの。深いな。その生き物の中には人間も含まれているのかを聞くと、そうだよと答えてくれました。疑問文なのも、なんだか息子らしくて。生まれてから、手に入れるものが沢山ある、いいこともそうじゃないことも。でも、その苦しさを知っているから、なんでもないことが尊くも思えて。そんな方達とこの世界を大切にしたい、それが私のささやかな夢。