回想を楽しむことに

いつものように、新宿の主治医の所へ行く朝、バタバタと家を出て電車に乗りました。その後、途中でお決まりのパターンのように気分が悪くなってしまい、酔い止めで凌ぐことに。ゆっくり緩和され、少しの余裕が出たのか、ここ2か月程やっていた英会話のアプリを開きました。すると、いきなり「vitamin!」という発音が車内で漏れてしまい大慌て。すぐに音を消し、難を逃れ、通勤途中にごめんなさいと変な汗が出てきそうでした。ビタミン、みなさんに必要だよなと思いながら新宿駅に到着。旅行中も、神宮球場の帰りも、時間を見つけて英会話のレッスンをしているので、息子にも笑われていて。一緒に学ぼうと伝えたんだ、だから英語でもう一度自分自身が苦戦するのもいいのかな、そんな気持ちで連続記録を地道に更新中です。その道が、またオーストラリア行きに繋がってくれたなら。

そして、主治医の診察室に到着しました。前回の血液検査で、なぜか肝機能の数値に問題が出てしまって。「お酒は飲まないよね?」「はい、全く。」「ものすごい偏食もしていないよね。」「はい。敢えて一つだけ思い当たるとしたら、サプリの摂取し過ぎかもです。」「そんな大量には飲んでいないよね?まあ、ちょっとした誤差で出ただけだと思うから、また間を空けて検査をしてみよう。そんなに気にする程ではないよ。」そう言って笑ってくれました。その後、自宅に帰り、夕飯を食べながら息子に肝機能の数値が良くなかった話をすると、かなりびっくりされて。「ええっ!ママが?相当健康的な食生活を送っているのに?!」と驚く程のリアクションが待っていたので、一緒に笑ってしまいました。卵巣がんの疑いが出たその日から、自分の心と体に本気で向き合おうと思って。厳密には、もっといろんな気持ちの中にはいたのだけど。それでも、いろんな経験を経て、得られたものもあって、食の有難みを感じながら毎日を過ごしています。それが息子にどう伝わっているかは不明なのだけど、こんな風に笑える日常も大事なサプリだなと改めて思って。いろんな人の気遣いが、自分の中をゆっくりすり抜けていく。

高校二年の時の担任は、野球部の監督でした。30代の男性の体育教師、期末テストの保健の教科は、先生が作ることに。それなりに勉強をして臨んだものの、思っていた以上に難易度が高く、大して点数は取れないなとペーパーテストを受けながら感じました。その後、先生から一人一人に答案は返され、私の番になるとニヤッと笑ってくれて。その時、「これぐらいは取れないと!」とみんなの前で言うものだから、ささっと先生の手から引っこ抜きました。席に着いて点数をそっと見てみると70点。へっ?と思いながらきょろきょろ。全然大したことないじゃん!と不思議に感じていると、全員の答案を返し終わった先生が伝えてくれました。「最高得点は70点だった。今回は難しくした!」は?と思いながらその話を聞き終え、先生と二人になる機会があったので、質問をされて。「○○から見て、保健のテスト、やっぱり難しかったか?」「はい!手応えはなかったです。」「でも、最高得点は取れたぞ。」「あまり嬉しくなくて。保健という教科、それなりに大事だと思って結構勉強したつもりだったのに、意外と書けなくて。でもね先生、みんなを代表してひと言だけ言わせてもらうと、みんな主要5教科で必死だからもう少し簡単にしてくださいよ~。」そう話すと笑ってくれました。そして、聞いてくれて。「○○は、学年の中で何番目だったとかそういうことよりも、納得できるまで頑張れたかとか自分に重点を置いているようで、なんでそんなに自分に厳しくなれるんだ?」なかなか鋭い。他校の野球部男子君に振られたからですよ!とは、口が裂けても言うものか。「ライバルは、自分だけだと思っているからかな。」そう話すと、微笑んでくれました。そんな先生が、夏休み前に勉強合宿に誘ってきたので、断る理由も見つからなくて、学年の一部の生徒がバスに乗って参加をすることに。先生は、野球部の夏の大会で欠席。そして、合宿先に着くと本当にすぐ机に向かう時間がやってきて、それでもご飯の時間になると、先生達も含めて和やかで、柔らかいひとときが待っていました。私はというと、喜んで持ってきた夏休みの宿題を終わらせ、英語の構文のテキストをパラパラとめくっていたぐらい。ストレスフリーで、みんなが鉛筆を走らせている音しか聞こえないその空間が、なぜかとても心地よくて。大きな窓からは光が差し込み、その黄色は今でもはっきり覚えていて。そして最終日、合宿の感想を書く時間がやってきました。もう一度、その時の心境を思い出していて。私はあの時、誰に向けて書いたのだろうと。まずは、引率してくれた先生達へ、共に机を並べた仲間へ、そして一番届けたかったのは野球部の大会で来られなかった担任の先生へだったのだろうと。先生が声をかけてくれたおかげで、楽しい時間を過ごすことができた、中身はこんなだったよ、勉強って孤独な戦いだと思っていたけどそうじゃない時もあるんだって、今回気づくことができた、先生ありがとう。と、行間にいろんな気持ちを込め、行けなかった先生がそこにいるかのような気持ちになってくれたらと願って綴ったものでした。合宿前、先生と交わした約束があって。「先生が来てくれないのは残念だけど、勉強頑張ってくるから、先生も野球部の大会頑張ってね。」「ありがとう。お互いいい時間になるといいな。」そして後日、作文は先生の目に留まり、伝えてくれて。「いい合宿だったんだな。」「最初はどうしようかと思ったけど、先生に声をかけてもらえて良かったです。」夏休み明け、いい再会が待っていました。さらに翌年、野球部は快進撃で上位に食い込み、制服姿で応援に駆けつけることに。陽射しを一杯浴び、3塁側のアルプススタンドで声援を送ると、サヨナラ勝ちが待っていてみんなで歓喜。さらに次の試合は、1塁側で応援。健闘をしたものの、最後に敗戦が決まり、みんなで大泣きしました。あんなに泣けてきたのは、先生とのいろんな歴史もあったからなんだねと、今さら気づいて。卒業証書を持ち、体育教官室の前で最後のご挨拶。溢れる涙と笑顔は止まらず、いいお別れでした。学ぶことも野球も好きでいる、その気持ちはあの頃のまま。