またがある

2月28日金曜日、なんとなく息子の調子が悪かったので学校を休ませると、メールの着信音が。3月2日から春休みまで学校を休校にするという内容だったので、心の準備はしていたものの動揺しました。息子はあっさり回復し、食欲も戻っていたので安堵していたら、担任の先生から電話があり色々な気持ちがこみ上げる中で、取ったスマホ。「R君、大丈夫ですか?メールも入っているかと思うのですが、来週から休校になるので、お手数なのですが荷物を取りに来てもらいたくて。」そう言われ、最終日にご迷惑をかけてしまったお詫びとともに、先生の都合を聞き、出向きました。緊急の職員会議があり、1時間後にしてほしいと言われていたので、時間通りに行くと、バタバタと職員室から出てくる先生達の姿があり、大変さを肌で痛感しました。担任の先生を呼んでもらうと、息子の荷物を抱えた先生の姿に、なんだかもう泣きそうになって。「お忙しい中、すみませんでした。Rはすっかり元気です。先生、これまで本当にお世話になりました。なんだか名残惜しくて。先生、くれぐれもお体に気を付けてくださいね。」そう半泣きしながらお辞儀をすると、感極まった先生が、溢れそうになる涙を隠すように両手で顔を覆い、「ありがとうございました。ごめんなさい。」と言ってくださり、お互い溢れる気持ちを抑えることができなくなって、会釈をしてお別れしました。先生が伝えてくれた“ごめんなさい”には、沢山の意味が込められている気がして。担任を最後まで見られなくてごめんなさい。毅然としていなければいけないのに弱い部分を見せてしまってごめんなさい。気持ちの整理がまだできていなくてごめんなさい。先生の無念さがその表情と共に伝わってきて、無理してでも笑ってお別れをするだけで精一杯でした。まだ1か月あると思っていたクラスの仲間達。お別れをゆっくり感じる3月という月が、先生達にとっても、子供達にとってもどれだけ大切だったのか、痛い程感じ、涙を堪えて帰りました。

息子に、もらってきた荷物を見せると、「えっ?もう学校ないの?もうクラスの皆にも先生にも会えないの?そんなのいやだ。」と言われ、一緒に途方に暮れそうに。それでもここは親の私がしっかりしないと、そう自分に言い聞かせ、伝えました。「今は、色んな病気が流行ってしまい、大変な時なの。皆で力を合わせて頑張らないといけないんだよ。学校に行けないのは辛いけど、おうちで勉強しよう。先生、元気になって良かったと安心してくれていたよ。また会えるといいね。」「・・・。うん。もうクラス変わっちゃうんだね。」なかなか消化できないのは、大人も子供も同じ。勉強面倒くさいと文句を言っていた割には、先生も友達も大好きで、そんな場所を作ってくれた先生に改めてお礼を伝えたくなりました。さあ、どうしようか。

受け取った最後の『伝言板』。「計算は、ミスが少なくなってきました。文章問題はちょっと混乱しちゃうかな。とびばこの発表は、スムーズにできていました。」何でもない文章が沁みてくる。これが多分最後のメッセージ。息子よ、計算だけ頑張っている場合ではない。文章から人の気持ちを読み取ろうよ。1+1=2なのかもしれない。でも、先生1人とお母さん1人が会話をしたら、それはもう数字には表せない程の大きなパワーになるんだよ。人の想いは、形には表せない。敢えて言うならハートなのかも。「ママ、心臓ってどんな形をしているか知ってる?ハートだよ。だからボク、この形が好き。」一年間、息子が学んだこと。漢字も計算も大切だけど、心で感じること。その時、どんな気持ちだったか、嬉しかったのか、頑張ったのか、悔しかったのか、相手はどう思ったのか。できないことができた、その過程を褒め続けてくれたこと、それは息子の心の小さなピースにはまりました。1か月学校がなかった分、先生の言葉を思い出すいい時間になる。誰かが誰かを想い、補う貴重な時。また笑って会えると信じて。