中学校生活に少しずつ慣れてきたからか、息子がぽつりぽつりと学校のことを話してくれるようになりました。「社会の先生ね、プリントに土偶の判子を押してくれるの!」それを聞いて大爆笑。「先生のペンケースは古墳だし、判子も土偶でなんかいいね!」「先生ね、宗谷岬にも行ったことがあるんだって。」「北海道にある一番北の地だよね。」「うん。いつか47都道府県全部回りたいって言っていたよ。」50代の女の先生、弟子入りしたいなとちょっと思ってしまって。「おじいちゃんも同じことを前に言っていたよ。地理が好きな人は各地を回りたいよね。その地域ならではの食べ物や風景があって、方言があって、これからもいろんな所に行けたらいいね。」「うん!ボク、3年生の修学旅行で広島に行くのも楽しみ。マツダスタジアムに行けるかなあ。」「修学旅行で野球観戦はしないでしょう。でも外から見られたらいいね。」いつか二人で行く最後の旅はどこになるのだろう。もうママと旅行はしないけど神宮には行く!そんな日もきっともう近い。
数日前、息子に英語を教えていた時、トリプル台風の影響もあり、一つの問題が分からないだけで混乱して荒れてしまいました。座っていられず、寝転がって泣きわめき、そしてダイニングチェアをすごい力で蹴っ飛ばすので何度も倒れそうになり、こっちも怪我をしそうになって。身長も体重もこちらを上回り、男の子の力を目の当たりにして、それが私の奥底にあった恐怖を呼び起こしてしまいました。コロナ禍の休校中も、それはもう大変で。もっと小さい時、前のマンションに住んでいた頃、階下のご年配の男性に、足音がうるさいと怒鳴り込まれたことがあったので、細心の注意を払っていました。それでも、何でもないことで癇癪を起こしてしまう息子に、疲弊する毎日。どうやって気分転換をさせたらいいのだろうと苦戦していました。母のこと、元夫のこと、息子のこと、なんだかもうぎりぎりの状態にいることは自覚していて、そんな時に起きた下腹部の激痛。滅入っているとすぐに生理不順になるので、体は正直だなと思いつつやり過ごしました。今回、息子が久しぶりに大きく荒れたので、その時の辛さが一気に押し寄せ、あれだけの状況の中にいたらそりゃ卵巣に腫瘍もできるわなと冷静に分析している自分がいて。そして、合唱祭の後、息子の反抗期を広報委員で一緒だった友達に何気なく話すと伝えてくれました。「Sちゃん、男の子だから体も大きいし大丈夫?家庭内暴力とかにならなければいいけど。私ね、やっぱり思うんだ。不調の一番の根元ってやっぱりストレスなんじゃないかって。二人っきりだから、Sちゃんはどうやって辛さを逃がしているか心配しているよ。」ほんの一部を話しただけでいろんな角度から気にかけてくれる友達がいる、その気持ちに救われるんだなと思いました。息子は直接こちらにぶつける訳ではない、ただ結果的に物を壊したり蹴った先に私がいて危ない思いをした、母から受けたものと息子から受けているものは別物、いろんなことをごちゃ混ぜにしないように、彼とも自分自身とも向き合っていきたいと改めて感じていて。息子が抱える辛さを、いろんな角度から学びました。今もまだその途中で。気圧の変動が大きい程、メンタルも一緒に崩れてしまう、それが学校ならなんとか頑張れるのだけど、安心できる私の前だけ爆発してしまう時もある。でも、その回数は段々と減っていて、母と何が違うかというと息子の場合、自覚してくれているということ。だから、背中をさすりながら何度も伝えました。「どんなRも好きよ。今の苦しさを忘れないであげて。Rがお母さんの前で出せるのは、そんな自分も受け止めてもらえると思ってくれているからじゃないかな。その苦しさは、いつか深い優しさに変わるって思っているよ。お母さんね、両親に当たってもしょうがないと思っていたから、自分でなんとかしていたの。それが良かったのかどうかは分からないのだけど。Rを見ているとさ、子供の頃のお母さんにもこういった所が本当はあったんだろうな、でもずっと一人でなんとかしようとここまで来たのかもしれないなって改めて思ったよ。Rが今感じている気持ちを大事にしてあげてね。きっといつか誰かを助けるから。その気持ち分かるよって隣にいてあげて。」そう話すと、荒れていた彼の心はゆっくりと凪いでいきました。湖に辿り着くのはきっとあと少し。
司書講習中に食中毒に遭い、大学のトイレで散々吐いて、父に病院まで迎えに来てもらいなんとか帰宅した数十年前。水を飲むことさえ嫌で、それでも吐き気と戦いながら翌日の試験の為に勉強机に向かいました。お世辞にも居心地のいい家ではない、試験に落ちてもまた来年受ければいいなんてとてもじゃないけど言っていられない、絶対にここで決めてやる!と支えてくれた沢山の人達の顔が浮かび、半泣きしながらテキストを開きました。全く講義が受けられなかった、でも読めば何か見えてくるのではないかと文字を追い、ルーズリーフにまとめていて。翌朝、ほとんど寝ていない状態で車を運転し、ヘロヘロになりながら大学へ到着。すると、途中で荷物を置いていなくなった私を心配した友達が二人、試験内容をまとめたノートを渡してくれました。感激と気持ちの悪さと時間のなさでいろんな気持ちが巡り、そしてお礼を伝え集中。その時、紙の匂いから木の匂いが連想され、図書館で働いている自分が想像できました。そこに辿り着けるまで諦めないでいようと。二人のおかげで資格は取れ、ネネちゃんはその夜のことを深く覚えてくれていて。「机に向かうSちんの背中を見ていたら何も声がかけられなかった。大学在学中に取れなかった資格を、自分に投資してもう一度取りに行ったら、お母さんが冷蔵庫パンパンに入れるから食中毒に遭っちゃってさ。お父さんにも、娘がそこまでしているんだからあんたが学費払いなさいよとか思ったんだよ。でもSちんはそんなこと気にしないで自分が信じた道を進んだ。なんかさ、私は言い訳ばっかりなんだけど、Sちんって言い訳しないんだよ。自分が置かれている状況を理解して、なんとかしようとする。そんな妹だから、周りの人達は助けたくなるのかもしれないね。なんであの両親からSが生まれたんだろ。」そう言って最後は笑わせてくれました。木の匂いは、どこにまで繋がっているのだろう。これからも、探し続けたい。