間を一拍

息子を学校へ送り届ける途中、一悶着あり、少し気まずい雰囲気でバイバイ。背中を丸めて歩く後姿を見て、このまま学校へ行かせたらずっと一日辛い思いをさせてしまうと思い、追いかけました。そして、軽くハグ。その行為に少し安心してくれたことが分かり、それでも俯きがちに歩き出したので、少し間を置こうと思いお別れ。時間的に余裕がなかったので、今日は先に帰っていてねと予め伝え、買い物をして帰宅すると、まだどこかで引きずっている息子がいました。下を向き、何やら工作している様子。「ただいま!」「おかえりなさい。」とトーン低め。「おやつ食べた?」「ママと一緒に食べたくて待ってた。」「それは嬉しい!ありがとう。」そう言って頭をなでると、ほっとしたことが伝わってきました。「ボクね、宿題も先にやったよ。」その言葉を聞き、反省の気持ちを行動で示したかったのだと思いました。一日沢山考えてくれたんだね。その後、一緒におやつを食べ、宿題の確認をし、夕飯を食べる頃にはすっかり元通り。大事な一拍、今日は学びが多かった。

そんなことを思いながら、食器を片付けていると、学校が面倒だとあれこれ弱音を吐いてくれたので、一旦受け止めた上で自分の話をしてみました。「お母さんが岐阜にいた頃、小学校まで片道50分かかっていたの。」「え~?!坂道?」「そう。行きが下りで帰りが上りだったから、疲れている中で帰宅するの、本当に大変だった。」「逆だったら良かったのにね。」と同情してくれる展開に。「ランドセルは重いわ、荷物はあるわで雨の日は本当に最悪だったよ。Rの片道20分は、平坦だしお母さんの中では大したことないと思っているよ。いろんな大変さがあるのは分かる。でも、お母さんよりは絶対に楽!」と言い切ると笑ってくれました。岐阜での経験が、母親になって役に立ってくれるなんてね。

大好きだった祖母が2年生の3月に他界。岐阜での単身赴任を、祖母の介護があるからと特例でスタートさせていた父も、銀行からご家族で来てもらうように言われたよう。姉は、中学校に上がる時でした。寂しさと急展開に動揺する母。散々悩み、一学期間は地元で過ごさせてあげたいと、夏休みに引っ越すことが決まりました。会社員だった祖父は、家を守ってもらう為にも一人で残ってくれることに。炊飯器でご飯も炊けないおじいちゃん、温かいものをちゃんと食べてくれるだろうかと子供ながらに心配になりました。そして、いよいよ父の元へ女性三人が引っ越し。おばあちゃんがまだどこかでいてくれているような気がして、住み慣れた木造戸建てから離れることは寂しくて。それでも前に進まなくては。そして、岐阜の社宅に着くと、右隣に住んでいる父の同僚が汗だくになって荷物の搬入を手伝ってくれていて、驚きました。「Sちゃん、銀行でお父さんと一緒に働かせてもらっているの。これからよろしくね!」と随分フランクに言われ、父の世界を少し垣間見せてもらったようでした。お父さん、寂しくなかったのね。
その後、夏休み中ということもあり、社宅の子達と仲良くなり、小学校がめちゃくちゃ遠いということが分かりました。登校日に練習で付き合わせてもらうと、驚くことが判明。登校班があり、みんなが待ち合わせをする公園でひと遊びするのが日課なよう。なんとなく入れてもらい、そのまま学校へ向かうとあまりの遠さに途中で疲れてしまいました。それでも、なんとか無事に着きみんなとバイバイ。それから一人で来た道を戻ったものの、この先が思いやられるなとへとへとになって帰宅。そして2学期、ランドセルを背負って、クラスのみんなに初めましてというご挨拶が待っていました。おじいちゃん、おばあちゃん、新生活頑張るよ。

それでも、慣れない学校生活に毎日疲れてとぼとぼ帰っていると、冬なのでもう真っ暗。寒いし、家遠いし、何を考えているのか帰り道にそろばん塾に母には押し込まれるし、色々と投げ出したいなとやけくそになっていると、一台の車が隣に停車。「Sちゃん、寒いでしょ。社宅まで乗って行って。」そう声をかけてくれたのは左隣に住む綺麗なお隣さんでした。こちらも父の同僚である奥さんに優しい言葉をかけてもらい、有難く乗車。上り坂が目の前に迫っていたので、本当に有難くて。よく夢に出てくるカーブの多い上り坂は、社宅までの道のりだったのね。
そして、久しぶりに名古屋へ帰省。「おじいちゃ~ん!栗きんとん買ってきたよ!」そう言うと、満面の笑みで出迎えてくれました。一緒にお風呂に入り、ホームに帰ってきたことを実感する。学校の帰り道、おじいちゃんも頑張っているんだから私も頑張ろう、何度そう思ったことか。だから、心配だった様子を聞いてみると答えてくれました。「近所の和食屋さんも中華料理の店も、おじいちゃんすっかり常連でな。ちゃんと食べているよ。」そう嬉しそうに話してくれて、なんだか泣きそうになりました。おばあちゃんが亡くなり、まだぽっかり穴が空いている中、家族みんなが行ってしまった。6人住んでいた家に1人で帰る寂しさは計り知れないだろうなと。「おじいちゃん、元気そうで良かった。たまに帰ってくるからね。お父さんの今度の転勤、また名古屋だといいな。」そう言うと、何とも言えない表情で微笑んでくれました。そして、また岐阜へ。学校からの帰り道、祖父と過ごしたお風呂の中が蘇り、あたたかさと寂しさが押し寄せてきて。この気持ちを、忘れないでいたい、そう思わせてくれた大切な時間でした。

長い時間が過ぎ、最近になって、あの社宅は元々保養所だったと父に聞き、全てが頭の中で繋がっていきました。どうりで山の中にあるはずだ。廊下から竹藪が見えるし、たぬきは出るし、栗もタケノコも取れて、山奥で寒いし、そんな中で大事なことを思い出した。自宅はメゾネットタイプで、どの部屋からも夜景が綺麗だった。大変だ大変だと毎日どっと疲れて帰ってきた社宅からの眺めは、宝石箱のようにキラキラしていました。「お父さん、岐阜の社宅、今どうなっているの?」「さすがに取り壊されて、綺麗な住宅街になっていたよ。少し前に二人で見に行ったんだ。」名古屋に帰省した時、岐阜を経由して両親が見に行ったことが分かりました。みんなが苦労した社宅生活、大きく空いた時間から思い出す景色は、輝いていて。地図だけを頼りに、車で会いに来てくれた祖父。子供会の用事で忙しく、バスの中から寂しそうに帰っていくおじいちゃんの車を見つけて、胸が痛くなりました。もし、祖父にこの言葉が届くなら、伝えたい。沢山の愛をもらったのに、私はおじいちゃん孝行ができていただろうか。生きる意味を教えてくれた人、あなたの背中を絶対に忘れない。