新しい生活

両親がドライブに出向き、道の駅で野菜を買ってきてくれたので、息子と二人で遊びに行ってきました。玄関に入ると、相変わらず定位置のソファでゴロゴロしていた父。慣れない仕事でゆっくりしたいかなと早めの撤退を考えつつも、色々と話したいことがあったので、様子を見ながら質問を繰り広げました。

あれ?燃え尽き症候群からしっかり脱出しているなと思いながらも想定内。仕事がまた始まれば、それなりに意識は変わるだろうと思っていたのですが、前回会った時よりも社交的になっていて驚きました。決まった時間に起き、電車に揺られ、責任のある仕事が待ち、そしてまた満員電車に揺られる。そんな緊張感のある毎日が、また少し男らしくさせてくれたよう。いい感じで父とのキャッチボールが始まり、母の知らないことが出るわ出るわ。父よ、“ほうれんそう”って知ってる?それって社会人の基本よね。報告と連絡と相談ぐらい、母にしようよ。具体的な勤務時間、昼ごはんはどうしているのか、仕事内容はどういったものなのか、面白おかしく話してくれたので、一緒に盛り上がってしまったのですが、母はどこかで不貞腐れたものの、それでも聞けて良かったわと最後は一緒に笑い、母の器が広がったことを感じました。夫婦だから敢えて言わないこともある、照れもあり、近すぎることもあり、そして元々伝えることが面倒な父だからこそ。でも、あなたを通して知ることができて良かったわ、母の安心した表情がそう言っていました。都内の下町にある父の会社は、感染を心配した社長の心遣いで、社員に会社持ちでお弁当を注文してくれるそう。そのお店が揚げ物専門店なので、ボリュームがあり、デスクワークでお腹も空かなくて大変だと、笑って話してくれました。社長の、少しでもお店を助けたい、それが社員を守ることにも繋がるならという気持ちが込められているそう。それは残せないね、お父さん。

そして、近くに住んでいる父の従弟の話になり、大きな会社の重役を務めていることが分かりました。まだ私が幼稚園児だった時、兄ちゃん(実際そう呼んでいた)と父が交代でドライバーになり、名古屋から佐賀まで私を乗せて三人で高速に乗ったことがありました。記憶が曖昧、それでもとても穏和な方だったことははっきり覚えていて、長距離ドライブも全然苦痛じゃありませんでした。祖父母の自宅に着き、知らない男性がその日に沢山集まり、皆に囲まれ怖くなって思わず大泣き。ぬいぐるみを片手にその場を離れ、一人でいじけていると兄ちゃんが心配そうに様子を見に来てくれました。一人の男性が、とても優しく感じられた時。男の人って強さだけじゃないんだ、その時そんなことを思ったような気がしています。そんな兄ちゃんが、誰もが知る会社の重役になったと聞き、それでも何も変わっていないと父が話してくれて、なぜかほっとしました。人柄は、Sが知っているままだと。父ももしかしたら、一度屈折して、起き上がりこぼしのように自分の力で元に戻ってくれたのかも。面倒見のいい所は、どこかで昔のまま。

大学在学中、佐賀に出向き祖母に散々責められた時、さすがに堪えられなくなって少しだけ姉に吐き出しました。なぜか、もうとんでもなくお父さんの実家はアウェイになってしまったのだと感じた、他人と話しているみたいだったと。それを聞いた姉もまた、辛かったと思います。時は流れ、お互いが子供を持ち、姉にあの時何を言われたのか、どんな気持ちだったのかを包み隠さずメールしました。すると絶句しながらも、彼女らしい返信が。『“ラスト佐賀”だったんだね。Sが最後だと分かっていておばあちゃん達に会いに行った、それで受けた思い、それをうちの両親は感じなければいけないと思っているよ。嫌でも二人で考える時がくるでしょう。あんたの凄い所は、行ったことに後悔していないということ。結果はどうであれ、行かない方が後悔していたと思う。ラスト佐賀、本当によく頑張ったよ。』客観的に、それでも的確に、そして愛を忘れない姉のメッセージに泣けてきました。悲しい思い出ばかりじゃない、兼業農家の祖父の軽トラックの後ろに姉妹で乗り、キャーキャー言いながら田んぼ道を通過した日、祖母が作ったきんぴらを二人でつまみ食いし、夕飯には残っていなくて仕方がないわねえって笑ってくれた日。そう、辛いことだけ残っている訳じゃない、兄ちゃんと父が運転して向かった佐賀への道のりを思い出した時、何か自分の中で越えられた気がしました。もう、目を伏せるのは止めようと。

そんな懐かしい過去に思いを馳せながら、母宅のトイレに入ると目に留まったのは一匹のネズミの置物。毎回コイツと目が合うなとすっかり笑えてきて。ああ、今年はねずみ年だったね。変化が目まぐるしくて、そんなことをすっかり忘れていても、母の天然ぶりは昔のままで、ねずみの頭に『ことしもよろしく』と書かれていて、毎回和ませてもらっています。辛いことがあった時は笑うことにした、母はいつからそんなに強くなったのだろう、父の愛であるならまた恩返しをしなければ。