ようやくシェアオフィスでラガーマンTさんと会うことができたので、トップリーグの試合観戦の報告。「本当に悔しい負け方だったんです~。」「そうですね。惜しかったですね。」彼もまたずっと何らかの形で試合観戦していることは分かっていたので、ぎりぎりのところで負けてしまったことを一緒に悔しがってくれました。「たまたま周りに座った方達が相手チームのファンばかりで、それでもトライが決まった時は開き直って応援していました!」「さすが!!」と大爆笑されてしまった訳で。不完全燃焼なので、ゲットしたマスコットのぬいぐるみをずっとデスクに置いて応援しますと伝えると、ツボにはまったのかこれまた笑ってくれました。負けたからこそ、さらにファンとしての気持ちが強まった、そんな熱い思いにさせてくれるラグビーはやっぱりすごい。
今治療中の薬物療法。あまり具体的なことを書くと、同じ治療をして、たまたま検索で来てくださった方の不安感を煽るといけないかなとも思ったのですが、あくまでも副作用の出方は個人差があるので、一緒に頑張りましょうねと伝えさせてください。この間は、左下腹部に鈍痛。ずっと続くので慌ててしまったのですが、左って卵巣全摘出だよねというちょっとした余裕も生まれてしまいました。それでも、同じことを繰り返してはいけないと思い、婦人科へ電話をすると当分予約でいっぱいとのこと。でも、あまりにも辛かったら担当の先生の診察日に連絡をくださいと言われ終了しました。そこまで緊急を要しているかと言えば、そうでもないんだな。結局その痛みは右側にも発生し、なんとなく副作用だということがわかり、次の予約まで大人しくしていることに。ネット上で、同じ薬を飲み頑張っている方達を何人も見かけ、励まされました。その辛さ分かるよと思いながら。全く知らない誰かに助けられ、本当にもしかしたらインターネットという世界で、自分もほんの少しだけ誰かの力になれていられるのかなと思うと、今のしんどさも大切な経験なのではないかと思えてきました。自分だけじゃないんだと思えることって、どうしてこんなに元気をもらえるのだろう。
小学生の頃。あれは高学年だったかな。私一人が佐賀の祖父母の所へ行くことになり、名古屋駅に着いたものの、その日に限って新幹線が混んでいて指定席は取れませんでした。母が、自由席で私が立って行くことになるのはさすがにきついと思ってくれたようで、仕方なく次の日に再トライ。その日は、仕事に行く前の父もスーツを着て見送りに来てくれました。前日に購入してくれた指定席で今回はバッチリ。父が、「とりめしの駅弁がうまいんだよ!」と買ってくれて、半泣きしながら見送ってくれる母がいて、すでに両親の間に溝を感じていただけに、二人が肩を並べて新幹線のホームで見送ってくれることが、どうしようもなく嬉しくて。寂しいから泣くんじゃないよ、嬉しいから泣くんだ、そんなことを思いながらも涙を堪えてバイバイ。段々小さくなっていく二人の姿にぐっときました。たまに見せてくれる両親揃っての光景。たまにだから私の中で、大きな喜びがあったんだろうな。
その後、終点の博多駅で待ってくれていた祖母。ほっとしたのか、乗り換えの時、駅員さんに特急券を渡してしまいました。佐賀駅に向かう特急電車に乗り、切符を確認に来た車掌さんに乗車券を見せると、「特急券はありますか?」と言われ、大慌て。「どうしよう!おばあちゃん、さっきの駅で出しちゃった!」そう慌てふためくと、状況を理解した祖母はとっても冷静に車掌さんに伝えてくれました。「この子、名古屋から来たばってん、子供がやったことだから見逃してあげて。」「ああ、乗車券があるから、よかよか。」優しいなこのやりとりと思いながら、その地域ならではの方言と温もりに嬉しくなってしまいました。そして、佐賀駅に着き、タクシーで自宅に到着。とてものどかで、父が育った街を感じられたことで楽しくなってきました。お父さんは、どんな子供時代を過ごしたのだろう。そんなことを思っていると、「こっちにきんしゃい。」と祖母の声が。遠くてなかなか会えない祖母が近くに感じられ、野良猫にエサをやっていて、のんびりとした時間が流れました。祖父にも会い、ご挨拶。温かく迎えてくれた二人に、なんだか胸がいっぱいになりました。来て良かったな。
そんな思い出に浸っていると、シェアオフィスで目の前を通りかかったのは、ミルキー大好きギターのKさんでした。綺麗な黄色のガーベラを見せて伝えてくれました。「去年、奥さんが亡くなったんです。」と。思いがけない話に絶句しながら、お悔やみを伝えると、IDカードの裏側に入れてあるツーショットの写真を見せてくれました。あまりにも素敵なご夫婦で、泣きそうに。いつも、どんな時もそばにいる。そんな彼の想いに、やっぱり私の方が感極まりそうになったものの、いつもの笑顔を見せてくれて堪りませんでした。優しさってなんだ?愛ってなんだ?沢山の人達に教わり、いろんな形があるのだと、毎日がそんなことの繰り返し。