音が流れを作る

今年は色々なことがあり、ようやく行けた健康診断。受け入れ人数を減らし、できるだけ短時間になるようにと沢山の配慮を感じ、そんな気配りにそっと微笑ませてもらった気持ちが安らぐ時間でした。ぼーっとする時間もない程次から次へと呼ばれるので、廊下を行ったり来たり。女性専用なので、スタッフさんも利用者さんもお医者さんもみんな見事に女性。女の人ならではの柔らかさに包まれ、私もその中の1人だったのだと、ふと司書仲間が恋しくなりました。

その後、プログラマーのMさんとミーティングの予定が入っていたので、慌てて待ち合わせのスタバへ行くと流れてきた心地のいい音楽。そして、どうして書き続けていられるのかというこのサイトの核心部分に触れる内容へ。最近改めて立ち止まって考えてみたこと、何かに触れていると溢れ出すのだと、だから暇になることはないと伝えると笑ってくれました。なんにもなくなったら、多分掴みに行く、待っていてね、沢山の思い出の場所。そして、沢山の人達。
クジラになりたい、何度そう思ったことか。なんの本だったか、クジラは一気にがばっとありとあらゆるものを吸収して、余分だと思うものを自然と出すことができるのだということを知りました。不器用な私は、いいことも悪いことも吸収して、悪いこともしっかり心のどこかに残してしまう。そんな自分が嫌でした。それでも目の前にいるMさんが伝えてくれて。「Sちゃんはあまり自分の話をしたがらない。それは相手の前に本当なら薄いフィルターがあるはずなんだ。それでも、あなたは真剣に相手の話に耳を傾け、心の奥深くで聞いてくれる。だから不思議なぐらいフィルターは感じないんだ。」と。苦しいことが消化途中の段階でも、いいことがあるものだ。自分がまだどこかで痛いから人の痛みに気づくのか、あるいは乗り越えたから見えてくるものもあるのか。どちらにせよ、今の苦しみをどこかで好転させるまでは逃げない、そうやって自分と向き合ってきたから出会えた人達なら、何より大切にしていきたいと思いました。

小学校図書室で働いていた時、とっても苦しそうにしていた一人の男の子。「先生に何が分かるんだよ。僕の気持ちなんてわかる訳ないじゃないか!」と泣き叫ばれたことがありました。種類は全く違うかもしれない、それでもその苦しみ、その痛み、分かるんだよ。先生もね、沢山痛みを伴ってきたから。その辛さ、ちょっとでもいいから和らぎますように。そう心の中で何度も呟きながらその子の背中をさすると、少しだけ本当に少しだけ落ち着いてくれたような気がしました。その時の彼の心の叫びも、苦しみも忘れたことはありません。
退職して、ベビーカーを引き、まだ0歳の息子と共に学校へ出向くと、出迎えてくれた校長先生と教頭先生。「寄贈したい本があったので、持ってきました。」そう伝えると、とっても喜んでくれました。「○○君、進級して元気にしていますか?」さりげなく聞いてみると、二人とも微笑みながら教えてくれました。「あの頃よりも大分落ち着いたよ。せっかくだから会って行く?」そう言われ、ほっとしながら微笑み首を振ると、こちらの本当の目的に気づかれたよう。前に進めたならそれでいい。私の顔を見たら、辛かった時期を思い出すかもしれない、彼にとって私が過去なら、もう会わない方がいい。そんなことを思っていると、二人に全てを見透かされたようでした。「もう大丈夫だから、育児頑張るんだよ。」そう、あなたにとっても“今”を大切に、そんなメッセージを受け取った優しい再会でした。

さあ、心地のいい音楽を聴いて、何を書こう。誰もが抱える小さな痛みも、そっと泣いた後に見せる腫れあがった目も、全てが力に変わる。少なくとも40年間そうやって生きてきた。それを、どんな角度から、どんなトーンで、どんな優しさを持って届けようか。
「母とゴールドコーストにいた時、ホテルからみた東北の津波の映像がどうしても目に焼き付いて離れないんだ。」奥底にある小さな引き出しを開け、Mさんに伝えてみる。「僕も、シアトルから見た阪神大震災の映像を忘れることはないよ。」どうしようもなく苦しいことも、穏やかなBGMがどこかで温もりを運んできてくれる。だから、前に進めるんだ。