私が野球好きなことは、今さら言うまでもなく、子供の頃はもちろん地元名古屋の中日ドラゴンズのファンでした。しかも熱狂的。
半分以上が父の影響で、部活をさぼって二人で観戦しに行ったのはナゴヤ球場。まだドームではなかったので、選手がヒットを打つ度に紙ふぶきを撒く為、新聞折り込みの広告をテレビ観戦しながら小さく刻むのが日課になっていて。でも、その日は内野席で父に止められてしまいました。
私が個人的に応援していたのは、リリーフの与田剛投手。その当時、星野監督で、勝っている試合の9回に抑えで出てくることが当たり前になるほど信頼されていました。8回まで投げた先発の投手が勝ち投手の権利を得て、9回に抑えなければチームは負け、先発の勝ち星も無くなってしまう、ファンは与田さんが出てきたら絶対大丈夫、そんな雰囲気の中、毎回自分と戦っていたのだろうと思います。
十分過ぎるぐらいの結果を一年の間に残した与田投手は、少しずつ故障を繰り返し、思うような投球ができなくなり、その後引退。
セ・リーグと言えば中日の与田さん、パ・リーグと言えば近鉄の野茂さん、そんな時代を乗り越えた二人。自分の力だけを信じて渡米し結果を残した野茂投手を、与田投手はどんな気持ちで見ていたのだろうと色々考えさせられました。
栄光と挫折を目の当たりにするプロ野球、でも、だからこそ人の心を動かすのかもしれません。
引退して野球解説者になった与田さんは、気が付いたら日本代表の投手コーチになって、JAPANのユニフォームを着ていました。なんだかとても嬉しかった。
そして、今年東北楽天ゴールデンイーグルスがクライマックスシリーズに出た時、与田さんが投手コーチをやっていることに初めて気づき、胸が熱くなりました。
中日新聞のスポーツ欄を毎日欠かさず見て、どんなに小さい記事や写真でも切り抜いて、スクラップブックを作っていた子供の頃。もう一度活躍できますようにという祈りを込めて、ずっと生徒手帳に入れていた与田さんの新聞はお守りでした。
活躍できたのは数年、そこから味わった屈辱、でも投手コーチとして形を変えてユニフォームを着てくれていた姿を見て、私も頑張ろうと思いました。
ママになって、司書をしていたと話すと、何人もの友達が選書について聞いてくれました。
「なんだっていいと思うよ。適当に言っている訳ではなく、大切なのはママの声と肌の温もりを感じながら読むことだと思うから、内容に囚われすぎないで、一緒の時間を大切にしてね。本屋さんのおすすめや対象年齢は参考程度にして、二人が心地良いものが一番だと思うよ。」
息子が好きなのは『トミカコレクション2014』(ポプラ社)という活字の少ない本。一緒に見て、「ボクこれ持ってる~。」と少しずつマイカーが増えることを実感して喜んでいます。こんなのもあり!
そして一人で本を読み、沢山のことを感じ、書いていく。これも現役。
本を渡すことと書くこと、形が変わっただけ。