別の手段

何気なく日常生活を送っていた昼間、息子が伝えてきました。「今日ね、ライくん(旭山動物園で買ってきたぬいぐるみ、しばしお付き合いください)が、多摩動物園に出張なんだって。」「それでは、ゆめくんや肉くん(しろくまとホワイトタイガーの赤ちゃん)は、旭川の動物幼稚園に行けないね。ライくんの背中に乗せてもらえないからね。」「大丈夫!二匹ともPASMOを持っているから!」何がどう大丈夫なんだ?PASMOで行くってことは電車移動?そもそも赤ちゃんなら交通費はかからないし、到着する頃には幼稚園が終わっているのでは?!とあれこれ突っ込みポイントを考えながら聞いてみました。「飛行機で行かないの?」と。「専用パスポートのようなPASMOを二匹とも持っているから、飛行機で行くんだよ。いつでも乗れるの。」「それいいな~。お母さんも欲しい!」と朝からわいわい。旭山動物園にライくんが残業した時も、二匹はPASMOを使って飛行機で帰ってきたよう。息子の世界に不可能はないらしい。そしていつも柔らかい。

アメリカ育ちの元彼に言われたことがありました。「俺は、英語の方が楽なんだ。」と。その言葉を聞いた時、彼と深い所まで分かり合うのはもしかしたら難しいのかもしれないと思いました。ただでさえ、自分の奥深くにある苦しさを隠してしまうことがある、日本語で伝えるのも困難なのに、下手くそな英語で届けようとしてもきっと上っ面の表現で終わってしまうのではないかと。そして何より、日本語の持つ奥ゆかしさが好きでした。少し表現を変えるだけで、より深く別の角度から伝わってくれることもある。自分の持つ繊細さと言語がいい形でマッチしてくれているのなら、嬉しいことです。そして、相手の人と流れる“間”も好きで。その時に感じられるその人の心の声をキャッチできる能力は、もしかしたらギフトなのかもしれません。たったひと言、その言葉を発する前に沢山悩み、考えてくれたんだろうなと。その勇気を応援したいし、私も力をもらっているのだと思います。だから、ここに集まるお一人お一人にありがとう。

息子が大好きな駄菓子。その中に、母が私を妊娠中、パートで自転車に乗り職場に向かう途中に転んで出血、医師に堕胎を勧められても母の強い意思で産んでくれた、その時の会社のものがありました。パッケージを見る度、思い出して。お菓子は夢が沢山詰まっていて、私はそんな中で生死を彷徨い、この世に送り出してもらったんだなと。銀行員だった母は、そこで経理として働いていたんだそう。その時の収入を実家近くの駐車場の土地購入に充て、車3台と祖父の家庭菜園、柿の木が生る場所になりました。実家は売ったものの、その土地はまだ残っていて、更地になっても沢山の思い出が沁みついていました。固定資産税もかかるから、売ったらどうかと両親に提案しても、好機を待てと父に言われ、ずっとそのまま。何かそこにも意味があるのかもしれません。祖父が他界し、関東で予め購入していたうちから近いマンションへ母が引っ越すことに。お片づけの苦手な母は、残務処理も適当に実家を出てきてしまったよう。後から姉が教えてくれました。「お母さんが色々な物を置いていってしまうから、仕方がなくお父さんが車で来て、片付けていってくれたの。私も少しだけ手伝ったんだけど、基本的にはお父さんがやってくれたよ。」その話を聞いて、沢山の想いがこみ上げました。まだ若い頃に母の両親と同居してくれた父、その後二人の子供が生まれ、増築。祖母が他界し、祖父を置いてみんなで岐阜へ。栄転で名古屋に戻り、順風満帆かと思いきや、バブルの崩壊。何かが狂いだし、家族に歪みが生まれたまま、姉は大阪へ。銀行に生き残れないかもしれない、そんな不安感といつも背中合わせで通った支店。ついに家庭崩壊で父は、隣街へ。下の娘が二十歳の時だった。どこかでやけくそになっていた父、それが長い時を経て、また笑って会えるようになったら、祖父の他界。若造だった自分がここに来た頃から、ゆっくりと来た道を思い出し、染みついた壁の汚れに微笑み、もう20年近く住んでいなかった家をなんで俺が片付けているんだと冷静に腹が立ちながらも、思い出を一人で噛み締めてくれていたのではないか、そんな気がしていて。そして、戦後に祖父が建ててくれた家を慈しみ、父なりの敬意を払い、その姿をおじいちゃんは遠くから見てくれていたような気がしました。残務処理が終わり、パタンと玄関を閉めた時、父は何を思っただろう。振り向きもせずに、荷物をまとめて出て行ったあの頃の父はもういない。祖父への感謝があったからこそ最後に行ってくれたのではないか。ありがとうの伝え方って色々あるよね。

実家を建てる時に、おじいちゃんのこだわりであった応接間。玄関から一番近く、南向きの明るい部屋に応接セットを置き、骨董品などが置けるガラスの棚も設置。物心がついた時からいつもそこに置かれていたのは、父がゴルフで勝ち取ったトロフィや、父の趣味であるウイスキーの数々でした。そこに祖父の物はひとつもなく、お客様が来る度目にするのは父の自慢の品ばかり。いつもどこかで偉そうにしていた祖父、それでもさりげなく父のことを立てていたことを知っていました。父が大病を患った時にでも、まだ伝えていないことを届けようと思っています。「おじいちゃんが交通事故に遭った時、わしの時代は終わった、お父さんを支えろと言われたの。おじいちゃん、そっとお父さんにバトンを渡していたんだよ。一番最後に実家の片付けに来てくれたのがお父さんで、嬉しかったと思う。」その話を聞き、一人になった時、病院のベッドでそっと泣いてくれるに違いない。生きるって儚くて、美しい。