年に一度のこと

自分の誕生日前日になり、なぜだか母と祖母のやりとりが鮮明に流れてきました。姉を難産の末に帝王切開で出産した母は、二人目の出産も帝王切開だと医師から言われていたので、予定日を待っていたそう。ところがその日よりも前に陣痛が来てしまい、一晩一人で耐えてしまったんだとか。翌朝、同居している祖母がそのことに気づき大慌て。「あんた、自力で産めるなら産んだ方がいいに決まってるがね!」と名古屋弁で母をまくしたて、慌てて総合病院へ連れて行ったんだそう。そして、予定日よりも早く無事に生まれました。その前日の祖母の声が、この歳になりはっきり聞こえたことに驚いて。やっぱりお腹の中で聞いていたのかもしれないな。私を妊娠中の母は、自転車に乗ってお菓子会社の事務をしに行く途中でこけてしまい、出血。医師に堕胎を勧められ、それでも母は姉を一人っ子にさせたくなくて、私を産んでくれました。自分はお兄ちゃんを生後一週間で亡くした、だからずっと一人っ子で親からのプレッシャーもあった、だから自分が子供を持つ時はきょうだいを作ってあげたいと決めていたよう。母の強い意志がなければ、私はこの世に生を受けていなかった訳で、感謝と共に外の世界に出たのかもしれないなと思っています。左利きなのも、ネネちゃんがよく言う突然変異したのではないかという説も、母が転んだことがきっかけだったら面白いなと今でも考えていて。いろんな奇跡にありがとうだね。

そして、47歳の誕生日当日、プログラマーのMさんからお祝いのメッセージが入っていて、ふと他の通知も見ると母からのLINEも入っていて驚きました。よく見ると、日付が変わった0時0分に来ていて。お祝いと意外な内容が書かれていました。名字のこと、旧姓に戻さなくていいよ。母が女の子だったから、おじいちゃんはその時に諦めてくれていたのではないかと。そこには、私と息子の幸せを純粋に願う母の姿がありました。こちらが連絡をしなかった数か月、彼女はとことん自分と向き合ってくれていたんだなと。姓を戻さない理由はいくつかあるのだけど、息子は元夫の亡くなったお義父さんと同じ誕生日。お義父さんにも守られているような気が、今でもしていて。姓はこのままにしようと思うけど、ファーストネームは変わらないよね。祖父との会話の中で伝えたことがありました。「おじいちゃんの名前って二文字だよね。大正生まれで珍しかったと思うんだ。私、おじいちゃんの名前好きだよ。」そう言うと嬉しそうに笑ってくれて。だから、自分の子供がもし男の子なら二文字にすると決めていました。息子の名前と祖父の名前を合わせるとひとつの言葉になる、そこにこっそり意味も込めていて。曾祖父からひ孫へではなく、ひ孫から曾祖父へ。おじいちゃんが繋げてくれた歴史の線を、円にもしたかったんだ。祖父がもし気づいてくれたなら、名字のことは気にしないで笑ってくれているだろう。両親にもいつか話そうか。

さてさて、今日は包丁を握らないでおこうと決め、洗濯や掃除をした後スタバへ行きました。すると、名古屋の小料理屋のママからお祝いメッセージが届き、本気で驚いて。こちらの誕生日はすっかり忘れていたはず、なぜ分かった?すると、常連さん達のお誕生日を記したママのノートを思い出し、叫びそうになりました。忙しい合間に、古いノートを引っ張り出してくれていたのではないかと。感激と共にお礼と、豪雨被害のお店の心配をすると伝えてくれました。『店は掃除と消毒を終えてホッとしています。心配してくれてありがとう』大事になっていなくて本当に良かった。その後、買い物を済ませ、息子の帰宅を待っていると、友達と遊びに行ってくると言われ、すごい勢いで出かけてしまいました。時間ができたので、住職さんの所へ手を合わせに行こうかな。でも、今日は思いがけず暑くてどうしようと思いつつ、のんびり家を出ると、母が駐輪場の周りでうろうろしていてそのタイミングに本気で驚いて。「ケーキを玄関前に置いて帰ろうと思ったんだけど、会えてよかった!おめでとう!」と大喜びの母。その笑顔を見て、住職さんがにんまりと笑ってくれたような気がしました。母のことは一切話していない、それでも住職さんには何かが見えているようにも思えて。もたもたしていたから母に会えたね、やっぱり不思議な力が働いている。Rは遊びに行ってしまったけど、少しだけ入ってと促し、お礼と共に食材を受け取りました。母と娘のなんだかいい時間で。父の態度の悪さに相変わらず凹んでいたので、話を聞くことに。途中で泣き出す母を見ても、もう重くない。「お父さんが不機嫌になる原因って、元々の性格であったり、退職して急に暇を持て余していること、あとは前立腺がんの手術で男性ホルモンに影響してしまっているという三つが主な理由だと思っているのね。だから、お母さんが原因でもないように思うんだ。同じ空間にいるから、いきなり当たられても辛いよね。それは本当によく分かるよ。でも、自分が原因な訳じゃないって思うと少しは流せることもあると思うんだ。私の何がいけないのってどんどん沈むより、さらっとスルーできたら翻弄されることも減るかもしれないよ。お母さんはさ、自分ならこうするのにって思うからこそ、相手の態度が気になってその世界で苦しんでしまっているようにも感じるの。でも、みんなそれぞれ育ってきた環境も違うし、人格も違う。だから、たまに俯瞰して見てみたり、お父さんは今そういうモードなんだなって、少しでもお母さんの心にゆとりが持てたらいいなって思うよ。」そう話すと、母の表情が明るく和らいでいくのが分かりました。お父さん、後で覚えておけよというこちらの気持ちは伏せることにして。せっかくなので、私の適当過ぎる焼きそばを食べてもらい、母の為に包丁を握った自分に笑ってしまいました。心が軽くなり、とてもいい表情で帰っていった母、10でもなく0でもなく、間を取って3、この数字を目指せるかもしれない。

少し経つと息子が帰宅し、「お誕生日おめでとう!」とお手紙を渡してくれました。プレゼントは今度Mさんと渡すから待っててねと。その気持ちで十分よと胸がいっぱいに。日常のこと、テスト勉強のこと、旅行のこと、ヤクルト戦のこと、沢山の感謝を書いてくれていました。そして最後に『これからも素敵な思い出、いっぱい作ろうね!』という言葉を読み、こみ上げそうに。息子から父親を奪ってしまったのではないか、この気持ちはまだ私のどこかに貼りついていて。それでも、今の自分だからできることがある、その想いに彼は気づいてくれているのかもしれないな。
ネネちゃんからもお祝いの連絡をもらい、眠った後、起きるとマブダチK君からのメッセージが入っていました。『S、誕生日おめでとう。てか、30分ほど過ぎてしまった。最近はどうよ?幸せかい??』この文章で泣きそうになる。上の娘さんが、もうすぐ私達が出会った高校生になること、50歳になったら会いたいこと、どんな時も幸せを願っていることが書かれていました。さては何か話したいことがあるなと。そして、彼の中にもいつも制服を着た自分達がいる。「Sはどんなに家庭内がどうしようもない状態でも、俺のような悪友には染まらない、どうしてだろうな。」「K君はK君だし、私は私だよ。それに、K君は悪友なんかじゃない。何一つ曲がっていないの、分かるから。」「なんか、お前ってすげーな。環境に左右されても全然おかしくないのに。Sはずっとそのままなんだろうな。」そう言って、茶髪の彼が笑ってくれた学生時代。3年後、お互いどれだけの話を持って再会しようか。息子が高校生になった時、今よりももっと懐かしさがこみ上げるのかも。ひとつ歳を重ねる度に右へ伸びる年表、これからも大事にしていこう。