紐を解いていくと

いろんなことがゆっくり動き出していると感じるここ最近、過去のことを改めて思い出してみると気づいたことがありました。姉が大阪へ就職を決めたのは、私が高校3年の1学期でした。関空での勤務が決まり、女子寮に引っ越すからと珍しく両親が手伝いに行った日、こちらは定期試験の真っ最中でお留守番をすることに。両親と祖父のいざこざの中で、一人で頑張らなければと教科書をめくりながら誓いました。お姉ちゃん今までありがとうという気持ちや、得体の知れない不安感や、とにかく受験を乗り切ろうと奮い立たせていて。その後、定期試験は無事に終わり、ほっとしていると父の弟である札幌の叔父さんが連絡をくれました。急に東京へ単身での転勤が決まって、夏休みに名古屋まで会いに行くよ。せっかくだから観光もしたいし、泊めてもらおうかなと。そして、初対面とは思えない気さくな雰囲気で、叔父さんは私が背負っているものに気づき、弱音を吐かせてくれました。「Sは簡単に弱さを見せようとしない。だから叔父さんに手紙を書け。文通しよう。」これでお別れじゃないぞ、だから辛い時は辛いって言え。数日一緒にいてどんな子なのか分かったつもりだ。ちょっとぐらい強引な方がSにはいい。遠慮する前に叔父さんが手を差し出す、いいな。いろんな気持ちを言葉でも行間からも伝えてくれて、胸が一杯でした。そして、本当に文通が始まると言われて。『Sの文章はいつも優しいな。嬉しくて毎晩枕元に置いてあるよ。』と。ネネちゃんがいなくなってすぐに叔父さんの異動が決まった、それにより会うことができ、助けられた。今思えば、すごいタイミングだったなと。何か目に見えない力が働いたと感じるのは、こんな時なのかもしれない。

私が母の精神状態に振り回され、いつもジェットコースターのような感情に翻弄されている妹を見て、姉は何度も伝えてくれました。「Sは、お母さんが待っている言葉を分かっていて、それを伝えられるから、お母さんはいつも心地がいいんだよ。でも、Sから少しでも離れるとまた枯渇して、すぐに求める。コップの下に穴が空いているから、Sちんがどれだけ注いでもその時は満タンになるけどあっさり空っぽ。それの繰り返しだから疲れちゃうだけなんだよ。」と。本当にそうだなと思う気持ちと、少しでも残ってくれていたらと願う気持ちがどこかにありました。ここ最近母と話した時に、彼女が抱えていた孤独感が薄れているのを感じ、驚いて。道で偶然会って談笑をすると、すぐにうちへ来たがっていた過去の姿はありませんでした。「これから、歩いてカフェでもしに行こうと思ってね。Rも帰宅するから早く帰ってあげて。こちらの買い物に時間がかかっていたらSに会えなかったから、なんだか嬉しかったわ。じゃあね。」と。あなたと私それぞれの世界がある、お互いに尊重し、たまに会えたら十分。母からこんな風に線を引いてくれたことがあったかなと。自分で買った5箱セットのティッシュペーパーをこちらに渡し、軽くなって良かったわと笑ってくれました。お母さん、なんか変なものでも食べた?そんな訳ないよねとこちらも笑えてきて。2歩進んで1歩下がる、そんな傾向がある、振れ幅はまだあるのだけど、前のような大きな浮き沈みはもうないのではないかと。その後、メッセージが。『色々と分かり、認識することも、心に響き、仕舞うことも、できました、ありがとう』読点多いな。これも母がゆっくりかみ砕いたからなのだろう。ネネちゃん、お母さんのコップの下の穴、本当に塞がったかもしれないよ。

自分自身、本の面白さを知ったのは、それこそ物心がついた時からだったかもしれないと最近になり思い出しました。字がまだ読めなかった、でも絵は分かる、ページをめくるとカラフルで、新しい世界がそこにあるような気がしました。全部をめくり終えると、本を読めた気になって。その頃から、ちょっとおめでたかったのかな。日常の中と本の中、二つの世界が同時に動き出しました。目の前で悲しいことがある、本の中の作者さんもこんな気持ちになったのかな。私よりもずっと苦しかったのかな、もしかしたら当事者じゃなくて、周りの誰かの辛さだったのかな。助けられなかった、その後悔がある、だから違う形で言葉にしたのかな。いろんな気持ちがいつも混ざり合い、理解し、時に立ち止まりを繰り返し、毎日を過ごしてきたのかもしれません。祖父が、戦争の本を買って時々読んでいたので、公共図書館を勧めました。でも、私からは一冊もプレゼントをしませんでした。理由は、おじいちゃんを傷つけてしまう可能性がゼロではなかったから。祖父は、なぜ戦争になり、戦地で何があり、どうして日本が負けたのか、戦後どうなっていったのか知りたかった。でも、おじいちゃんは捕虜になり、凄まじい時を過ごしていたことを誰よりも知っていました。人間として扱われなかったと。私が選書した内容に、本当にもしかしたら祖父が知りたくなかった何かがあるかもしれない、こればかりは本人にしか分からないと思いやめました。おじいちゃんが自分で選び手に取った本なら、途中で閉じることができるかもしれない。でも、孫がわざわざ買ってきてくれた本を最後まで読まないのはなんか違う、祖父はそういう人ではないかと。おじいちゃんが自分の本当の傷みとどこまで向き合ったかは、分かりません。でも、生きることを諦めなかった、祖父のストーリーは大切に持ち続けようと思います。
今日もまた1ページ進んだよ、どんな色や匂いや音なのだろう。豊かさ、少しでも届いていたらと願って紡ぎます。