慌ただしい日常の中、ふと広島カープファンの旧担任の先生を思い出しました。何の教科だったか、息子がテストを持って帰ってくると、余程簡単だったのか随分ハイスコアな点数を見せてくれて。「110点?どういうこと?!」「自分の名前を上手に書けたら、プラス10点なんだって。」「100点満点じゃないんだ!なんだか先生らしくて嬉しいね!よく頑張りました。」とわいわい。100点よりも上の点数があったんだと笑わせてもらった、何でもないひとときでした。そんな息子は、中学英語のアルファベットの練習に苦戦。「小文字のyは書けるけど、大文字ってどんなだっけ?」「ヤクルトスワローズのYでしょ。そこは覚えなきゃ。」と大盛り上がり。そういえば、息子が入っていた少年野球のご年配のコーチ1人が、ごくたまにチームの帽子ではなく『YS』の帽子を被っていたんだよな。ヤクルトスワローズの帽子!と練習を見に行った時、吹き出しそうになったことを思い出しました。ささっと近づいて、どの選手のファンですか?と聞いておけば良かったかな。息子が広げる円の中に、自分もいるんだなと思った夜。もっともっと世界は広がるよ。その大きさと優しさに時々涙するんだ。
この間は、中学の学年懇談会があり、広報委員の友達と待ち合わせをして行ってきました。再会すると彼女のトークは止まらなくて、いつもの感じになんだかほっこり。「もうさ、この前なんて前日に急にノートがいるって言い出して、本人は遊びに行っちゃったから慌てて買いに行ったの。そうしたら見つけることができたからメッセージを送ったら、『やったね』っていう返信があってね。やったねじゃなくてありがとうでしょ!って。もうそんなのばっかり。」似たり寄ったりだなと思ったら一緒に笑えてきて。お互い、初めての中学校生活、変わった持ち物がないか親の方が気が気ではなく、いつも新鮮であっという間に時が過ぎ、気が付いたら卒業式なんだなと思うと、ひとつひとつの時間を彼女と味わいたいなと。そんなことを思いながら席に着くと、先生達の説明が始まりました。すると、3年生の修学旅行先が広島だと分かり、こみ上げそうになって。いろんな状況の変化でまた行き先が変わるかもしれない、それでも可能性は高く、私よりも彼の方が先に訪問するんだなと思うと堪らない気持ちになりました。家に帰り、息子に伝えると喜んでいて。「広島と言えば、カープでしょ。」野球ファンらしいコメントをどうもありがとう。「そう。原爆ドームもあるから行けたら感想を聞かせてね。前にも話したけど、Rのひいじいちゃんが戦争に行って捕虜になって、それでも無事に帰ってきてくれたの。」「ほりょって何?」「奴隷のように働かされたの。帰ってこられなかったら、Rは生まれていなかった。」「そうなんだ。ママもだね。」そのひと言に、胸が詰まりました。そうか、私もかと。「ママの為に写真を撮ってこられたら撮ってくるね!」その気持ちだけで十分よ、そう思い、穏やかに寝かせた夜。人の歴史ってやっぱりすごいな。
前回、姉とカフェをした時に話題に上がったアメリカ育ちの元彼の話。春休みになり、もし重役になっていたら検索でヒットするかもしれないと思い、何気なくネットサーフをしてみました。すると、本当に出てきて。横浜の会社でトップに立っていたことが分かりました。それを見て、一番最初に思ったことは、登りつめたんだなと。そして、日本にいたんか~い!ということ。三つ目に、それぞれ選んだ道はやっぱり正解だった。まだ、息子が小さかった時、ネネちゃんから電話が入り、共通の知人から聞いた話によると、タイに赴任したということが分かりました。それを聞き、心から安堵して。あのまま日本で睡眠を削れるだけ削って働いていたら、いつかは病んでしまっていたのではないか、だから異国の地に行き、一息つけていたらいいなと。それから何年か経ち、日本に戻り上に立った、写っていた写真はとてもいい表情をしていました。タイで、自分を取り戻したのかもしれないな。離婚調停は横浜家庭裁判所、話がつかなかった後、一人でゆっくり考えたいと思い、山下公園をのんびり歩いたことがありました。そこは、彼と初めてデートをした場所でした。今は苦しい時期だけど、息子と自分の穏やかな幸せの為の選択をするよとみなとみらい駅に向かって、ただひたすら歩きました。その時、本当にもしかしたらすれ違っていたかもしれないなと。会社の所在地を見て、これは神様のいたずらか?とも思いました。もし本当に偶然再会することがあったら、どうしても伝えたいことがあって。「あなたは会社のトップに立った。私は子供を授かった。私達が選んだ道は、120%正しかったんだよ。だから、100%俺が悪かったという言葉は、違うんだ。掴んだものを大切にしてほしい。」そう言ったら、微笑んでくれる表情が容易に想像できる。そんなミラクル、いつか起きるだろうか。ネネちゃんも、どこかのタイミングできっとこの事実を知る。そして、私には言わないだろうと。妹には今を生きてほしい、家族のことでも沢山苦しんだから。Sちん、自分の為に生きな。それがネネちゃんの願いであること、知ってるよ。
毎日走り始めたランニング。日記は三日も続かないのに、走ることは続いていることに驚いています。疲れたら途中で歩き、空を仰ぎ、また走り始める。45年そのものだなとも思ってみたり。少し前、ヤクルト対阪神戦が延長戦になり、随分遅くに試合は終わり、サイトのアクセスがいつもと変わっていました。スポーツの国際大会の日もそう。スポーツファンも多いのかなとここに来てくださる方達に、私自身助けられ、今も走り続けています。かなりの変わり者なのだけど、ふつうってなんだ?とずっと思ってここまで来たのだけど、そんなこちらの話に耳を傾けてくれるみなさんは、とても優しい方達なのではないかといつも感じています。雨の日の方が多くて、連敗も続いているかもしれない、それでもたまに勝てた喜びを分かち合いたい、いつもそう思っています。胸の中が土砂降りの時も『さくらdeカフェ』は開いています。自分の為に、心の底から泣き、そして笑ってください。そんな場所でありたい。