楽しいを見つける

両親宅に大掃除の手伝いに行っていた時、父がリビングで何気なく競馬を見ていました。シンクを磨いていると、聞こえてきたのは実況の声。「今、競走馬の名前、ナムアミダブツって言っていなかった?」と私。「おう。なんか言っていたな。」と父。「ボク、リンゴアメも聞こえたよ。」と息子。意外な名前が出てくるものだから、三人で笑ってしまいました。「競走馬と言えば、私の中でオグリキャップだな。競馬をよく知らなくてもその馬は知っているよ。」「あっ、その馬、ユーフォ―キャッチャーのぬいぐるみにいたよ。」と息子も知っていて、馬談義で盛り上がった夕方。そして、オグリキャップのことを少し調べてみると、意外なことが判明しました。
『誕生時には右前脚が大きく外向しており、出生直後はなかなか自力で立ち上がることができず、牧場関係者が抱きかかえて初乳を飲ませた。これは競走馬としては大きなハンデキャップであり、稲葉牧場場長の稲葉不奈男は障害を抱えた仔馬が無事に成長するよう願いを込め血統名(幼名)を「ハツラツ」と名付けた。なお、ハツラツの右前脚の外向は稲葉が削蹄を行い矯正に努めた結果、成長するにつれて改善されていった。』(ウィキペディアより一部抜粋)沢山の愛を注がれ、ハンデを背負った一頭の競走馬がとんでもなく花開いていったその過程を知ることができ、感激しました。輝かしい栄光の裏側にあったもの、オグリキャップの力強い走りと、武豊騎手との一体感は、赤ちゃんの時に育まれた気持ちが大きかったのかなと。「ハツラツ」という名前が、溢れる愛を物語ってくれている。

そして週末、息子が大好きな紙粘土で一緒に作品を作りながら、ラグビーのリーグワンを観ていたら、ラガーマンTさんとの会話を思い出しました。「シーズンの最初から最後までプレーできている選手は少ないです。途中でどうしても怪我をしてしまうことが多いんです。試合の三日後ぐらいにようやく体が回復していく、その間はミーティングや簡単なトレーニングをしています。」その話を聞き、体当たりをして相手選手にぶつかっていく選手達の音と汗と果敢に攻める表情が蘇ってきました。本当に命がけで戦っているんだなと。十字靱帯損傷して現役時代に手術をしたTさん。復帰することに恐怖心もあっただろうなと思いました。それでも、幼少の頃からラグビーボールを追いかけていた彼は、待ってくれていた仲間の為にスタンドオフのポジションに戻りました。大きな怪我をしたからこそ、選手達の気持ちがより分かるようになった、大学や中学生のコーチをしているTさんの想いはとても深く熱くて。そして、五郎丸選手が引退される時、同期であった彼はシェアオフィスのカウンターで、何とも言えない感慨深い表情を浮かべていました。苦楽を共に味わい、いろんな時間がそこにはあったんだろうなと。ラグビーの普及、Tさんがいつも口にするその言葉をここに残しておこうと思います。彼が所属していたリーグワンのチームであるマスコットのぬいぐるみを、自宅に持ち帰ってきました。すると息子が飛びつき、すっかり彼のものに。今夜は一緒に寝る~と言って持って行ってしまいました。子供達が親しみやすいようにと作られたマスコット、Tさんの願いが一人の小学生に届いてくれたようでなんだか嬉しかった。今度は秩父宮、ラグビーの聖地へ息子を連れていこうと思います。ボフッと聞こえる体が当たる音、その音を耳にした時、小さな心に火が灯るだろう。

オーストラリアで短期留学していた時、ホストファミリーである長男Ricsonが妹二人で夜のドライブに行くから、Sも一緒にどうかと誘ってくれました。夜景の綺麗な街を通り抜け、連れて行ってくれたのはスポーツバーで驚きました。お客さん達はお酒を飲み、大きな画面に注目していて、熱狂しながらひとつのスポーツを楽しむ、そんな雰囲気に感動。ラグビーのようで何か少し違う、そのスポーツを改めて調べてみると、答え合わせができて。それは、オーストラリアンフットボールでした。すごい勢いで選手が走ると、店内もものすごく盛り上がりを見せ、自分もそこにいられたことが嬉しくて。「これは国民的スポーツなんだ。この店は、ガイドブックにも載っている有名なお店。Sにこの雰囲気を味わってもらいたいと思って連れてきた。」国際試合が行われる度、国内のスポーツバーの映像が映し出され、その度に彼が連れて行ってくれた店内を思い出しました。そこに、言葉の壁なんてなくて、みんなが画面にくぎ付けになり、一緒に熱狂したその時のことを。その場にいられたこと、彼が連れて行ってくれた気持ち、画面から聞こえてきた歓声は、今もずっと胸の中に残っています。店外に出ると、妹さん二人と一緒に彼がカシャリ。「この一枚は、日本に帰った時のおみやげになる。」そう伝えてくれた彼。本当にそうなった。その時の景色を思い出す度、泣きそうになる。
帰りの飛行機、隣に座ったのは、日本人の新婚カップルでした。私もいつの日か、そんな日が来るだろうか。そんなことを思った。せっかくオーストラリアで頭の中を空っぽにしてきたのに、日本に帰ったら、また辛いことが沢山待っているのではないか、そんなことも思った。昼間の便なので、そんなに眠くもならず、成田空港に到着。私は少しでも変われただろうか。それから、長い年月が過ぎ、隣にいる息子が伝えてきて。「ボク、絶対にオーストラリアに行きたい。ママが好きだという国だから、ボクも絶対に好き!」「でも、しょうゆが恋しくなるかもよ~。」「いいの!必ず行くの!!」一人で沢山のことを思った帰りの機内。今度は、わーわー盛り上がった息子が隣にいるのだと思うと、胸がいっぱい。大きな太陽を南半球で目一杯浴びて、どんな大人になってくれるだろう。海岸沿いを歩いた時、私が見つけたものを拾ってくれるかもしれない。