ふたりで過ごす誕生日

息子が私の誕生日前夜、プレゼントと手紙を渡してくれました。喜んで中身を見てみると、ピンクのタオルにうさぎと、ファーストネームが縫ってあり、世界にひとつだけの物で本当に嬉しくて。どうやらプログラマーのMさんと選びに行ってくれたらしく、もう一個の袋も見せてくれました。「じゃーん!実はボクのもあるんだ!」と広げると、くまと息子のファーストネームの刺繍が入ったタオルで、ちゃっかり自分の物も用意されていて笑ってしまいました。「お揃いで嬉しいよ~。大切にしようね。本当にありがとう。」そう言ってハグ。その後、息子が寝たので、そっと手紙を開けると沢山のぬいぐるみ達の絵と共に、メッセージを書いてくれていました。『お母さん、おたんじょう日おめでとう。ままが作る料理は、とてもおいしいよ。いつも色々なところにつれていってくれてありがとう。仙台りょこうとても楽しかったね。またいっぱい遊ぼうね。風にきをつけてね。ほんとうにおめでとう。大好き』風ではなく、きっと風邪のことを意味しているのだろうけど、向かい風に気をつけろということなのか?!と優しさ溢れる息子の手紙に胸がいっぱいでした。二人でいたら、百人力だ。でも、いつか迷いなく飛んでいけ、そんなことを思いながら眠りの中へ。

そして翌朝、息子が何気なく呟いたのを聞き逃しませんでした。「あ~あ。」その言葉の続きは彼の心の中だったのだけど、十分過ぎるぐらい読み取れてしまって。野外活動行きたかったな。そのことを声に出したらきっとママが悲しむ、だからさりげなく堪えてくれたのがなんとなく分かりました。私の中で少し気持ちが沈むと、心がどうしてもぐるぐる動き出してしまって。コロナのワクチン接種、本人が嫌がっても4回目を連れていくべきだったのではないか、手洗いうがいをもっと徹底させるべきではなかったか、大雨だった日に無理に学校へ行かせるべきではなかったか・・・母親としてもっとやれることはあったのではないかと、マイナス思考になりそうな時、仙台育英高校の須江監督が、宮城県大会の初戦の日に言っていた言葉が頭を掠めました。「負けた時に人間の価値が出る。グッドルーザーであれ」と。その想いにまた自分が助けられていると、思い出された一つの記憶、それは中学校の時でした。
テニス部に所属し、春に臨時で招集される陸上部にも入り、3年生になって初めて走り幅跳びのレギュラーに選ばれました。先輩達が着ていたユニフォームを着られることが本当に嬉しくて。そして、全校生徒が体育館に集まり、壮行会を開いてくれました。ユニフォームで壇上に上がり、1人1人が名前を呼ばれひと言挨拶していく中で、小さなハプニングが。進行を務める生徒会の司会者が、私を間違えて飛ばしてしまいました。終わった後、間違いに気づき、同級生の女の子だったのでめちゃくちゃ謝ってくれたものの、ユニフォーム姿でみんなの前に立てただけで十分でした。すると、女の担任の先生が声をかけてくれて。3年間フィールド競技を見守ってくれたサッカー部顧問からの伝言でした。「○○先生がね、Sは本当に3年間努力をした。全校生徒の前で挨拶はできなかったけど、クラスのみんなの前で伝える場を設けてあげてほしい。きっと大きな励みになるからって。」そう言って微笑んでくれた先生や顧問の先生の気持ちが届き、廊下で泣きそうでした。それから、帰りの会の最後に先生が前に立たせてくれて、これまでの思いを伝えると、クラスのみんなが拍手とエールを送ってくれました。「頑張れよ!」「頑張ってね!」沢山の言葉を受け取り、嬉しい気持ちで帰宅。その後、両親のいざこざに巻き込まれ、眠れない夜を過ごし、大会の結果は散々なものでした。クラスのみんながあれだけ応援してくれたのに・・・上がった赤旗を見て、不甲斐ない自分の涙を止めることはできませんでした。共に練習し、勝ち上がった仲間に声援を送ることができず、ただ下を向いて泣いていた私は、グッドルーザーではなかったなと。

その日の夜、阪神の18年ぶりの優勝を息子と見ていたら、急に思い出して。中2の時、一緒にダブルスを組んだ友達は、熱狂的な阪神ファンだったな。お兄ちゃんの影響だと話してくれて、人生で一番最初に出会った阪神ファンで、彼女もこの瞬間を見届けているのではないかと思うと嬉しくなりました。練習試合で、後衛だった彼女が打ったサーブが前衛だった私のお尻に当たり、イタッ!と大きなリアクションを取ると、それがツボにはまってしまったらしく、ゲラゲラ笑うので、私も一緒に笑ってしまって、相手チームもつられて笑ってくれました。陸上部の練習があるからと、テニス部の練習を早めに切り上げコートを出る時も、みんなが気持ちよく送り出してくれました。春の陸上部の大会で結果を出せなかった私に、団体戦3試合目という重要な局面で選んでくれたテニス部顧問の保健の先生。競技は違っても、Sが3年間走り込んできた脚力はテニスでも活かされるはず。保健室からテニスコートに向かう途中で、砂場にいた私を見届けてくれた先生、時を越えてありがとう。

誕生日の深夜になり、マブダチK君がメッセージを送ってくれました。『S、誕生日おめでとう。最近調子はどうかな?こちらは、母が逝去してから家業の事とか父親と姉と話し合って決めている最中です。40歳過ぎて自分の子供の事とかも色々考える時間が増えて、お互い大変だけど体調に気を付けてSらしい笑顔で充実した日々を過ごしてね。Sにとって1日でも多く笑える日がおくれる44歳でありますように』K君の方が1枚うわてだな。亡くなる直前まで自営のお仕事を手伝っていたおばさん、そして先祖代々の家業を受け継いできたおじさんの背中を見てきた彼らしい気持ちに嬉しくなりました。笑うよK君、明日も笑うから。
翌日、調子が大分戻ってきた息子が学校で困らないように算数を教え、休校中が懐かしいなと思いながら終了するとぽつり。「ボク、ピクニックに行きたい。昨日の夢でくみちゃんとピクニックに行く夢を見たの。」その話を聞き、やっぱり胸がぎゅっとなって。ひとつ呼吸を置き、伝えました。「ピクニックは難しいかもしれないけど、元気になったら静岡に日帰りで行こう。去年の甲子園の予選でね、奈良県大会の決勝に進んだ生駒高校の選手達が決勝戦の前日に発熱してしまったの。症状が出ていないメンバーで戦ったのだけど、21対0で負けてしまってね。3年間汗と泥にまみれてどれだけ練習してきたかと思うととても胸が痛かった。でもね、出られなくても一緒に戦っていたんだよ。Rも今回辛い思いをした。やっぱりお母さん思うんだ、経験よりも勝るものはないんじゃないかって。今の痛みはどこかのタイミングできっと生きてくるよ。快復してくれて良かった。」そう伝えると、彼の心がふわっと一瞬和らいだのが分かりました。決勝戦の天理高校の監督の計らいで、生駒高校は甲子園が終わった去年9月に、前回出られなかった3年生も交えて対戦。試合が終わると、両チームの選手がマウンドに集まり輪になったその時間は永遠に輝き続けるのだろうと思うと、私も改めて元気をもらったようでした。サイドストーリー、さあこの記事を閉じたら息子とのデイトリップの栞を作ろうか。過程も楽しもうよ。