おくりもの

息子の隔離生活も終盤に入り、大分良くなっていると、ピンポンと音が鳴りました。モニターを見ると、知らないご年配の女性の方。こんな状況だし、とりあえずスルーをさせてもらうことに。そして翌日、私がトイレに入っている間にもう一度鳴ったらしく、後から息子が教えてくれました。なんだろう、さすがに気になるなと郵便ポストを見に行っても理由は分からず。さらにその後、もう一度鳴ったので慌ててインターホンで出てみると、上の階に引っ越して来られた方だと分かり急いでマスクをして玄関に出ました。ひたすら謝り、状況を説明するととてもよく理解してくださり、むしろ恐縮されてしまって。とても品のある、あたたかい方だな、そう思いました。そして、こちらの名前を名乗ると、マスクをしていたせいか上手く聞き取れなかったらしく、もう一度名乗ると復唱して頂き、なんだか今の名字に愛着が持てそうな気がしました。別れたパートナーの姓を子供の関係で今も名乗っているというバックグラウンドはもちろん知らない、ただ目の前にいる私のことを知ろうとしてくれている方の気持ちが嬉しくて。そして、ご挨拶にと渡してくれたのは大好きな焼き菓子で胸がいっぱいでした。息子に少しでも栄養のあるものをと自分のことは二の次にしていたご褒美が、こんな形で届いてくれるなんてね。しかも、彼が苦手なタルト生地、ひとりで時間をかけて楽しむことにしよう。

ようやく夏休みの延長上のような、連休を挟んで10日間のお休みも終わり、今日は久しぶりに学校へ行ってくれました。やれやれ。自分が何事もなかったことを有難いと思っていると、忘れていた記憶が驚く程鮮明に蘇ってきました。ちょっと苦しいけど、大事な時間旅行へ。
それは、岐阜の小学校に通っていた時のことでした。その当時は、父の銀行の社宅住まいで、その敷地内でバーベキューをするという話に。みんなが集い、父の同僚なども手際よく私のお皿に肉や野菜を乗せてくれるので、残したらいけないと思い、わいわいしながら食べました。その日の夜、家族で北陸へ観光に行くことになっていた話を少し前倒しし、道が空いている深夜に出ると言い出した父。気まぐれなので仕方がないと思い、慌てて車に乗り込んだ後、父の運転が荒く、すっかり酔ってしまいました。それでも、なんとか目的地に着き、なんだかもう時間も分からないまま、さらにバスに乗り換えて観光名所へ行くとのこと。父は運転に疲れ同行せず、頑張ってバスに乗ったものの、さらに乗り換える為、一旦立ち寄ったトイレの洗面台で思いっきり吐いてしまいました。バーベキューのお肉が胃にもたれた上に、お父さんの運転がきつかったんだと自分なりに理解し、観光客の目の前で吐いてしまった自分が情けなく、とても辛い思いをしていると、母が驚き背中をさすってくれたものの、伝えてきました。「もう一回バスに乗ったら着くから。」と。は?これだけ子供が目の前で苦しんでいても、目的を達成しようとするんだ。とにかく今はこの難局を堪えて乗り切ること、それしか道はないのだと思いました。そういった出来事がきっと沢山あって、ふとした拍子に思い出すこともあるのだけど、それでは両親のことを恨んでいるかと聞かれれば、全くそうじゃない。たまに見せてくれる愛にこっそり涙し、不器用な人達だけど、そこに人間臭さもあって、いろんな意味で学ばせてもらったのだと改めて思いました。

さらに遡ること、幼少期。アトピーがあった私は定期的に総合病院の皮膚科へ通っていました。母と待合室で待っていると急に慌て出して。「前回、先生にすぐかいてしまうから、こまめにお子さんの爪を切ってくださいって言われていたことを思い出したの!今すぐ切らないとママが怒られちゃう。」そう言って、バッグから爪切りを取り出し、私の爪をパチンパチン。なぜ爪切りを持っている?!そもそも子供の心配ではなくて自分の心配なのか?と幼稚園児なのに驚く程冷静に母のことを見ていました。それでもどこかで思っていた、そんなママもひっくるめてしょうがないなと思いつつ、好きなんだろうなと。その病院は、姉も私も生まれ、祖母が闘病している病院でした。なんだか自分の中で特別で、皮膚科はどこかでほわ~んとしていて、そのふわっとした待合室で母といた時間をどこかで大切に持っていたのかもしれません。陽だまり、そんなひとときが確かにあったのだと。

息子のアトピーは、気が付いたら治っていて、そう言えば私もそうだったなと今さら笑えてきました。こんな風に心の中も、気が付いたら越えていたりするのかな。息子と観た日本対イングランドのラグビーワールドカップ。負けてしまったものの、たまたまネットでリーチ・マイケル選手が、観客のみなさんの所へ寄って挨拶へ行くところを目にすることができました。その姿勢と表情が語ってくれていて。フランスまで来て共に戦ってくれてありがとう。悔しさももっと沢山の気持ちもあった中で、汗だくのリーチ選手から絶え間ない感謝を感じ、ラガーマンの精神を改めて教えてもらったようでした。「リーチ!!」と日本開催のワールドカップの競技場に響き渡ってから4年、大きな時を越えてまた世界の舞台に立ってくれた日本代表の選手達にさらに大きなエールを送り続けようと思います。叫んだ分だけきっと届くから。フランスでも桜咲け。