マイナスではなかったりして

息子が楽しみにしていた学校行事、一泊の野外活動の日が近づいてきました。大きなボストンバッグを買い、持ち物のプリントを見ながら夏休みの間に準備。そして、二日前にほとんどの用意を済ませ、ラグビーワールドカップの試合を待つことに。7時半からの試合中継、桜のジャージーを着た選手達が君が代を歌い、4年前を思い出しました。あの時はまだ1年生だった息子、日本での開催の中、沢山の感動を残し、4年後に繋げてくれた選手達、色々な気持ちが駆け巡りました。そして、シェアオフィスでお世話になったラガーマンTさん。このサイトから、私が手術をすることに気づいた彼は、同じチームだった選手達のサインが書かれた大きなジャージーを送ってくれた数年前。もしかしてと思い、改めて見てみると、サインをしてくれていた一人の選手が今回日本代表に選ばれていて、感無量でした。けがを乗り越え、1戦目の試合から臆することなく立ち向かっていくその姿に胸がいっぱいでした。今年の3月、プログラマーのMさんが誘ってくれた秩父宮でのラグビー観戦は、土砂降りの雨。そんな中で、練習を終えた選手達がひとつの塊になり、両サイドの選手の肩に手を乗せ、戻ってくる時、最前列にいた自分が手を振ると、何人かの選手がこちらを見てくれた気がしました。その時の目は、とても鋭く戦いに挑む力強さを感じました。ブレイブハート、その炎を今度は日本からフランス大会へ。

チリ戦に勝ち、息子と熱狂した夜、ナイスゲームで散々盛り上がって眠りに落ちました。そして翌朝、起こすと困惑しながら伝えてくれて。「ママ、体がだるい。熱がありそう。」今にも泣きだしそうな表情で伝えてきたので、慌てて宥めながら計ってみると、37.1度。「まだ微熱だけど、これから上がってきそうな感じだね。明日から野外活動だから、行けそうなら病院に行って、ぎりぎりまで諦めないでいよう。」そう伝えたものの、起き上がれない程の辛さときっと行くことはできないという悔しさで泣いてしまいました。いつものように薬は嫌がり、もう大混乱。どれだけ息子が楽しみにしていたか知っていました。だから私も悔しくて。それでも伝えることに。「卒業アルバムを開けた時、苦しくなってしまうよりも、できるだけ頑張ってそれでも無理だったんだから仕方がないって思えた方が、嬉しいじゃない。せっかくなら納得して諦めようよ。一緒に乗り切ろう。」そんな言葉をかけても、まだ息子が悔しさと悲しさに覆い尽くされていると、担任の先生が電話をかけてくれました。先生の声を聞いたら、ピーンと張った自分の心が少しだけ和らいだような気がして、ちょっと泣きそうになって。状況を説明すると先生らしい返事が。「今回は難しくても、修学旅行があるから!」もっと先を照らしてくれる先生の明るさに、励まされ、自分の思考が柔らかい方へ進んでいった電話。「R、先生が心配して電話をくれたよ。学校でもインフルエンザが流行っていたようだし、お母さんね色々思ったんだ。一見、マイナスなことのように思えることでも、実は意味があるんじゃないかなって。今年の春に箱根へ行った時、山だったから道がくねくねしていてバス酔いが酷かったよね。頭痛も強く出て夜も辛そうだった。仙台に行った時も、プールの冷たさと外の暑さの寒暖差で、夜になって急に崩れてしまったよね。どちらもお母さんがそばにいて良かったなと思ったし、野外活動も富士山だからちょっと心配していたの。外泊先で調子を崩すって本当にきついと思うんだ。前日に体調が悪くなって、まだ自宅にいる時で良かったなって思ったの。お母さんね、飛行機のトイレで吐いてしまったことがあって、途中で降りられないからめちゃくちゃきつかった。WBCでも、侍JAPANに選ばれていたカブスの鈴木誠也選手が、腰のけがで途中で辞退されたよね。本当に無念だったと思うんだ。でも、気持ちを切り替えて、アメリカで対戦した投手の情報を代表の選手達に伝えたりしていた。一緒に戦っていたんだよ。その場に行けなくても、同じ仲間として気持ちはそこにいてくれたんだと思う。Rのこの経験は、同じように悔しい思いをした人達の気持ちにより深く届くって思うんだ。経験が相手を助けてくれることもあるよ。クラスのみんなと相談して、準備していた時からもう旅は始まっていてさ、たまたま現地には行けなかったけど、Rの気持ち、きっとみんな持って行ってくれるよ。元気になって落ち着いたら、お母さんと富士山見に行こう。」そう伝えると、いろんな想いが溢れたのか、とてもあたたかい涙を流し、納得してくれました。その後、また頑張って飲んだお薬、ブレイブハート、その姿も覚えておくよ。

翌朝、熱は下がったものの、咳が出ていて、息子ももう無理なことは十分わかっていたので、朝一で先生に電話を入れました。改めて前向きに捉えてくれた先生、そしてクラスのみんなへ伝言をお願いすることに。これはきっと息子の気持ちだと思うからと。「みんなと野外活動に行けなくても、また教室で一緒に笑えるそんななんでもない日常を楽しみにしています。」「あら~素敵!そんなことをみんなに伝えたら、またR君R君ってみんなが寄ってきますね!」そう言ってちょっと涙ぐんでくれました。ありがとう、息子と私の担任の先生になってくれて。この電話を忘れません。
その後、息子が動けるようになったものの、いつもの小児科がたまたま休みだったので、新しくできた小児科を予約し、二人で向かいました。症状を説明し、検査をお願いすると、出てきた結果はインフルではなくコロナ陽性。そういうことだったのかと帰り道に二人で思いっきり納得し、すっきりして帰ってきました。「症状が出るのが野活の時だったらRも大変だったし、みんなに移してしまっていたかもしれないよ。神様が前日にしてくれたんだね。お母さんはまだ大丈夫だけど、いつ症状が出るか分からないから、二人で隔離生活しよう!」「ボク、もし行っていたらめちゃくちゃきつかった!」とわいわい。何年後、何十年後かに小学校のアルバムを開いた時、何を思い出すだろう。大きな行事も大切だけど、休校後に行った市内を散策する遠足、バス酔いの心配もなくみんなと空の下で食べられたお弁当が、本当は格別だったりして。熱が上がらないことを願い、息子との富士山ぶらり旅の計画を立てることにしよう。大泣きした涙が、笑顔で溢れるように。