普通には答えない

大学図書館のカウンターに座っていた時、大学生の可愛い女の子に聞かれました。「趣味って何ですか?」ここはおとなしく本を読むことですと答えておけば良かったのに、楽しくなってしまい、人間ウォッチングですと意外なことを言うものだから、大盛り上がり。「え~、じゃあ結構私達って見られているんですか?!」と。「そうそう。見ていないふりして結構見えています。こっそりお菓子を食べるところとか。」図書館内は、キャップの付いた飲み物以外は飲食禁止なのだけど、勉強していたらお腹が空くよねと、内心では容認。「人の動きをさりげなく見るのが好きなんです。」そう伝えると、一緒に笑ってくれました。そんな風に気持ちのいい笑顔もね。

主治医が、冬の診察の際、「最近調子どう?」と尋ねてくれた時のこと。「骨まで寒いです。」と素直に答えると、大爆笑。「骨の髄まで寒いんだね~。」と笑いながら、最近の様子を聞いてくれました。何十年も医師をやっていて、こんな間抜けな返答をするのは私だけだっただろうな。でもね、多分先生のことだからそんな珍回答を、他の患者さんにも話しているんだよ。「前来た患者さんがね、骨まで寒いって言っていたから、あなたも大丈夫。」ってね。くだらない話で、また誰か一人が和んでくれるなら。主治医を通して、不思議と自分以外にも頑張っている人を感じます。見えるのは、やっぱり円。先生を中心に、ぐるっと回りにいる患者さん達の円です。みんな頑張れ。

日本料理店で、採用され、店長に書類を書いてほしいとお願いをされたことがありました。そこには、私の苦手な自宅までの地図を描く欄もあり、面倒だったので、お店から自宅までほぼ一直線で線路を描き、自宅のマークを付けて提出。それを見た店長が笑いながら、「もう少し途中に何かあるでしょ。帰宅時間が遅いから、とりあえず自宅までどうやって帰るのか把握しておきたいんだけど、これでは辿り着けないよ。」「本当に絵を描くのが苦手なんです。途中でそんなに何もないです。」という訳の分からない言い訳をしていたら、半笑いしながら質問を始め、店長が描き加えてくれました。地図を描くのも連携プレー。こうやって助けられながら、これからここで働くんだろうな。そんなことを思った二十歳の頃。

野球チームで一緒の、大好きなS君のお母さんが、随分前に一緒に遊んだ時、伝えてくれました。「いつも私の話を聞いてくれて、ありがとう。お母さんのことで、色々あるって言っていたけど、大丈夫?」とても心配そうに聞いてくれた友達の顔を見て、何も言えなくなりました。一般的な話じゃない。母とのことを、突き詰めて話すには、あまりにも相手に負担をかけてしまう。そのことを、嫌という程ここまで気づかされてきた。心配してくれる友達の前で、どう伝えたらいいのだろう。沢山自問自答した後、さりげなく答えました。「両膝の手術をしたの。精神的に弱い人だから、そばにいるようにしていたんだけど、大分落ち着いてきたから、また少し距離を置いているよ。姉もいるんだけど、やはり母は私の方が頼りやすいみたい。だから、色んなことを受け入れている。」「Sちゃんさ、どんなに自分が辛い思いをしても、絶対に放っておかないよね。今までこうだったからとかじゃなくて、本当にその時必要としてくれるならって、体が勝手に動いてしまうのだと思う。でも、それだとSちゃんが辛いよ。優しいから、辛くなるよ。そんな時は、話してね。本当の傷みは分からないかもしれないけど、一人で頑張らないでね。また、いつでも話して。」

変化球を投げたつもりだった、笑って話したつもりだったのに、彼女は私の心の傷みにとても深く気づいてくれました。“私を悩ませたくなくて、やんわり話してくれたんだね。全部、分かっているよ。”
友達の気持ちが透けて見えた、室内遊園地での温かい出来事。