再会を約束

今年の誕生日も、お祝いのメッセージをくれたマブダチK君。無事に治療を終えることができたら、春に一度帰省するから会えたらいいなと伝えると、喜んでくれました。『ゴールが見えたならもうひと踏ん張りだね。いつものことだけど無理だけはしないように!!春に帰ってくるのめちゃくちゃ楽しみにしてる。色々話したいね。お互い歳をとりすぎてて誰だか分からなかったりして。』振り返るといつもそこにいてくれる友達。距離感が全然変わっていないこと、そんな奇跡に胸がいっぱいになりました。そうか、11年ぶりの再会。おばさんにはなるなよ!と言われた約束、守れているかな。辛い時は周りを見渡せと言われたことは、実行できたよ。本当に沢山の人達がいてくれた。

まだ実家にいた頃、風邪を引いてしまった時のこと。余裕がなかった母には、「私に移さないでね。」と言われ、父には気づかないふりをされ、自分の部屋で大人しく寝ていると、祖父が心配して様子を見に来てくれました。「Sちゃん、大丈夫か?おじいちゃんがりんごを剥いたから、食べんね。」そう言って届けてくれたのは、ガタガタに切られたあまりにも不揃いなりんごでした。お料理がまともにできない祖父が、孫の為にと一生懸命剝いてくれたものだと分かり、泣きたくなりました。「おじいちゃん、ありがとう。本当に嬉しいよ。」「そうかそうか。なんにもしてやれないけど、これぐらいならできるから。」いつも短気な祖父が届けてくれた気持ち、ガタガタのりんごが、どれだけの優しさと温かさを含んでくれていたことか。心が育まれたのは、こういう時。痛いと感じた後に、その痛みをはるかに超える大きな愛に包まれ、ここまで来ました。曲がらなかった理由が沢山見つかる、ホルモン治療。地下5階から感じたものは、人の温もりでした。

祖父が仕事の運転中にぶつかった大型トラック。それにより脳梗塞となり、幾度となく手術や入院が繰り返されました。何度も嘔吐をする祖父の姿に胸が痛くなりながらも、介護をした病院のパイプ椅子。そして、自宅から持参した汚れた毛布を洗っていたのは母でした。体が思うように動かず、いら立ちを娘には言いやすく、母は疲弊。祖父の退院もあり、外で趣味でも作って気晴らしにでも行ってきてと母に言うと、社交ダンスを始めました。父が、銀行で揉まれている時だったからこそ、お洒落をして出て行く母の姿が気に入らなかったよう。男性社会の中で、生き残る為に必死だった父。それでも、父が見ていた母の姿は表面上のもので、一歩踏み込んで見ようとしたら、介護の辛さも分かったような気がしています。今、夫が会社で抱えていることも、同じようなことなのかもしれないなとふと思いました。家族を支える為に、嫌な思いをしなければならない仕事を頑張ってくれているのだろうと。ただ、それぞれの大変さの中で、どちらがどれだけ大変と天秤にかけるのはちょっと違っていて、みんながそれぞれの立場の中で今やれることを模索しながら必死に考え、前に進もうとしているのではないかと思うんです。自分がどうしようもなく苦しい時は、人の意見を受け入れるどころか、反発に変わってしまうので本人に何かを言うのはやめました。“俺の方が大変”この気持ちから抜け出せた時、何か見えてくるものもあるのかもしれませんが、少しずつ傷ついてしまったことをどう整理していこうか考え中です。体調不良の時につかれた数々のため息や、鼻で笑うこと、マウントを取られること等々、彼が会社でされていることをもしかしたら私に向けているのかも。もしかすると、一時的にでも離れた方がいい関係でいられるのかもしれませんが、ここまで共に歩んできた感謝が私の中にあり、夫と息子の関係を大切にしたいとも思っていて、沢山の気持ちがぐるぐる回っています。いい形がきっと見つかるはず。

「次は名古屋~名古屋です。」スーツケースを持って、新幹線に乗り、このアナウンスを聞いたら大泣きしてしまいそうで。ツインタワーの真ん中あたり、シェラトンホテルの入り口近く、名古屋市内の景色を一望できる場所から、いつも暮れ行く空を眺めていました。あそこが名古屋城、ドームも見えて、板チョコの形をしたヒルトンのホテルがあって。随分景色が変わってしまったかな。誰に会いに行けばいいだろう。お世話になった人達の顔が次々に浮かび、2泊3日ではこなせない気がしてきました。「なあS、今幸せか?」K君が聞くであろうと思われるこの質問。私はなんて答えたらいいだろう。「色んなことがあるけど、こうしてまたK君と再会できた今が幸せ。ずっと友達でいてくれてありがとう。」そうだ、私は彼にお礼が言いたかった。自分の芯に触れてくれた大切な友達。沢山の人達と触れ合えって言われたから、サイトを作ってもらったよ。そこで沢山の方が自分の想いに触れてくれた。こんな幸せってある?届いたよ、誰にも話せなかったこと。そんな話をまた笑って聞いてくれるだろうか。きっと優しさに溢れた時間になる。