横一線に並ぶ

私の入院以来、母との悪循環が見事になくなっていきました。その答えを母がメッセージであっさり伝えてくれて。『あなたが、お母さんがいてくれたから入院や手術を乗り切れたと伝えてくれたの。お母さんの存在や優しさに救われたって。本当に嬉しかった。こちらこそありがとう。』娘に丸ごと包まれ、感謝されるということ。どこかでバランスの悪かった母子関係が元に戻った時。
そして、本音を伝えてくれました。『ずっとあなたには沢山の弱音を吐いてきた、そのことを申し訳なくも思っていて、親子が逆転しているとも感じて自分が情けない時もあった。でもこの間、Sがまたガールズトークをしようねって伝えてくれて、上下ではなく何か対等で話ができているのだと思えた時、とっても嬉しかったし、あなたの優しさを感じたよ。』と。母もずっと苦しかったのだと、心から感じられたような気がしました。友達のような親子、いいじゃない。お互い肩の力が抜けるなら、きっとそれがいい。

そして、久しぶりのプログラマーMさんとの再会、なんだか堪りませんでした。待ち合わせのお店の前で会い、シャンとしている私に微笑んでくれて。「弱っているところをあまり出さないのがSちゃんだよね。おかえりなさい。」そう言われて、泣きそうになりました。前に会ったのは、2か月ぐらい前。激動の2か月間だった訳で。病院から、自宅から、毎日連絡を取り合い、その画面から私が飛び出し、目の前にいることを心から喜んでくれました。退院翌日にパソコンを開いていたこちらに呆れながらも、いかにもあなたらしいと応援してくれて。「僕も含めて沢山の人達が心配し、みんな帰りを待っていたよ。ただでは起き上がらないことをまた感じさせてもらったよ。」そう言って笑ってくれました。

そんな2か月前、MさんとラガーマンTさんと私の対談が実現していました。シェアオフィスの受付が彼だったので、「ラグビーファンのビジネスパートナーが是非お話したいって言ってるんですけど、今日時間ありますか?」といきなり振ってみると、「僕でいいんですか~。」と謙遜しながらあっさり快諾してくれました。待ち合わせをした後、オフィス内の話せるソファー席で念願の三者対談。男子二人で盛り上がるので、微笑みながらぼーっとしていました。近くに不動産関係のHさんもにこにこ聞いていて、ITエンジニアの彼も挨拶しながら通過、ミルキーをくれたギターの彼も一生懸命にお仕事をされていて、なんだか私、この空間にいて幸せだなと漠然と思いました。大きな戦いが目の前で待っているけど、またこの場所に戻ってこよう、それまでしばしのお別れ、そんなことを心の中で皆に呟いていると、ふと男子二人が相変わらずラグビートークで大盛り上がり。予定の時間をあっさり過ぎたので、仕事に差し支えるといけないと思い、Tさんに伝えました。「もう帰宅される時間なのにすみません。ありがとうございました!」「いやいや、僕も楽しかったです。ラグビーの普及活動は、僕にとっても仕事なので。」と爽やかな笑顔で語ってくれて、沁みてしまいました。日本代表選手の先輩であったり、同期であったりする彼が、何一つ格好つけることなく純粋に応援し、ラグビーを愛する姿勢に胸が熱くなりました。そんな彼を大好きになったMさん。その興奮に付き合い、枠を越えた男の友情ってなんかいいなと嬉しくなって。元トップリーグの選手と、敏腕プログラマーでラグビーファンの彼を繋げたよ。熱いし、なんか濃いな。

少し前、また婦人科へ診察に行ってきました。もう顔パス状態。執刀医が私の顔を見た途端微笑み、「痛みはどう?」とお決まりのセリフを伝えてくれました。「術後の痛みはほとんどないんですけど、副作用で寝れなくなっちゃったんです~。」と泣きつくと、それは辛いなとあっさり分かってくれてほっとしました。「でも、痛み自体は治まっているよね。薬って偉大だと感じるでしょ~。」と笑いながら言われたので、思わず一緒に笑ってしまいました。「はい、偉大です!」って言うしかないでしょ。そんな陽気な会話の中で姉とのメッセージのやりとりが思い出されて。『副作用があるということは薬が効いている証拠だからなんとか乗り切りたいけど、気持ち悪いのはしんどいね。』辛い気持ちも分かるけど、その苦しみはいい方向へ導いてくれるものだから。彼女のメッセージはいつも希望を見せてくれる。そんなことを思っていると、超音波検査が無くて驚きました。それはきっと、この薬を飲んでいる以上、再発はしていないという証拠。頓服で、入院中に出してもらった睡眠導入剤を出してもらい、あっさり診察が終了してしまいました。大変な中にある優しい時間。弱音は聞くし、対処もするけど、頑張るのはあなた自身だよ。執刀医のメッセージをふわっと受け取った帰り道。

姉の結婚式。そこには、赤い振袖を着ている一人の綺麗な女性がいました。岐阜の中学校へ転校になった姉もまたアウェイ感が拭いきれず、苦戦していました。そんな中でできた親友が一人、姉と同じように頭がキレ、そして辛口で、自宅に遊びに来てくれた時、類友だと笑ってしまって。そんな友達は、産婦人科医に。「私さ、どう頑張っても彼女には勝てない。なんか次元が違うんだよ。」とあっさり負けを認めて笑い転げたこともありました。友達と深く関わることを苦手とする姉が信頼を寄せ、結婚式にまで来てくれた時、彼女との関係は横一線でずっと繋がっていたのだと、岐阜の生活は辛いものだけではなかったのだと嬉しくなりました。「お姉ちゃんね、気は強いけど本当は結構脆いから、Sちゃん支えてあげてね。」そんな話をこっそりしてくれたことも。姉を長年悩ませ続けた婦人科系疾患。それを、影でサポートしてくれたのは間違いなく友達だったのだろうと実感しました。あっさり負けを認めたからこそ、吐けた弱音もあったのだろうなと。
「お姉ちゃんの出産さ、お友達の産婦人科医の旦那さんだったんでしょ。なんか複雑じゃなかった?」「帝王切開だし、絶対的な信頼があったから。」それは、ずっと心の拠り所でいてくれた証。産婦人科医の友達は、姉妹で卵巣嚢腫、結果的に妹の方が酷く、治療中のこの状態を笑い飛ばしてくれるかもしれない。Sちゃんさ、女性は強いんだよ、そういう人沢山見てきたよ。あなたもその一人でしょ。そんな彼女の言葉が聞こえてくる。