ご縁を感じる?

一区切りついたら行こうと思っていた美容院。初めての男性美容師さんにご挨拶をし、明るい店内の大きな鏡の前に座ると、ほっと一息つけた気がしました。色々と髪型の相談をしながら、美容師さんと話していると、なんとなく20代半ばの方だと分かったものの、忍者ハットリくんやパーマンを見ていたと言われ、大爆笑。「絶対世代じゃないですよね!それって私が子供の頃に見ていたアニメですよ。もしかしてドラゴンボールにも詳しいですか?」と聞いてみると、「悟天が好きでした!」と私よりもはるかに詳しい内容を教えてくれて笑ってしまいました。「この流れで行くと、アラレちゃんも知っていますか?」「ああ、よく見ていましたよ!アラレちゃんって筋斗雲にも乗れますよね。」「本当によく知っていますね。ペンギン村に出てくるニコチャン大王が大好きだったんです。私、愛知出身で鳥山明さんもそうなので、ニコチャン大王が強烈な名古屋弁をあの顔でしゃべってくれて、すごい面白かったんです。」「ああ、なんか分かります。頭がお尻なんですよね~。」と大盛り上がり。20歳ほどの年齢差を忘れさせてくれるぐらい話が合うので、なんだか沢山のエネルギーを分けてもらえたようで、楽しいひとときでした。気が付くとあっという間にスタイリングが終了。ばっさり切った髪とナチュラルに染めたカラーとデジタルパーマで、にっこり。またここから始まる。「ドラゴンボール、世界のどこかに7つあると信じています!」と伝えると、「それじゃあ美容院の裏側にでも隠れているかもしれないですね!」と乗ってくれた美容師さん。毎日がアドベンチャーですね、そんな気持ちを最後までシェアしながらお別れ。息子がゲーセンで取ったドランゴンボール1個がわが家にあると伝えたら、さらに乗ってくれただろうか。

そんな楽しい時間を終え、パソコンを持たずにシェアオフィスへ向かいました。術後、薬物療法の影響もあって、すっかり行く回数が減っていたので、会員を止めさせて頂くことに。それでも、ドロップインの利用は続けさせてもらいたいと伝えていたので、スタッフのみなさんがほっとしてくれていました。そして、退会届を持って受付に行くと、ネネちゃんと同じ年の女性スタッフさんが久しぶりの再会に喜んでくれて。「元気だった?」「はい。今年もよろしくお願いします。」「ああ!今年もよろしくお願いします。」と笑顔でご挨拶。そして、伝えていた退会届を提出し、体調がすぐれないことを以前にもやんわり話していたので、心配してくれました。「あのね、実は私も、前に子宮内膜症で手術をしたことがあったの。友達の家に行っていたら急にお腹が痛くなって、慌てて近くの病院へ行ったら急性胃腸炎とか言われてね。でも、自宅に戻っても全然良くならなくて母親に電話したら、今すぐ急患に行きなさいって言われて、そこで診てもらったら子宮に問題があることが分かって即入院になったの。でもベッドが空いていなくて、その日は分娩台の上で朝まで寝ることになってね。私赤ちゃん産むわけじゃないんだけどな~って思いながら寝たの。ははっ。その後、色々な検査があって、子宮の手術をすることになった。幸いにも良性だったんだけど、一緒に頑張ろうねって言っていた他の患者さんは悪性で、どんな言葉をかけたらいいか分からなかった。術後もなかなか回復しなくて3週間の入院だったの。今は元気なんだけど、○○さんも辛いだろうなって。だからゆっくり休んで。」「ありがとうございます。○○さんも大変でしたね。私は卵巣の方なんです。術後のホルモン剤で、メンタルもきつい時があって、上手に付き合っていこうと思っています。」「その辛さ、なんとなく分かる。決して無理はしないでね。」その言葉を聞いた時、色々なことが駆け巡り、あまりにも優しくて泣きそうになりました。

そこは、手術後の深夜の病院。担当してくれた看護士さんから手術で摘出した臓器の説明があり、呆然としました。ホルモンバランスはガタガタの状態、ショックを受けている私に看護士さんは伝えてくれて。同じように女性の臓器を摘出した患者さんのコミュニティがある、経験した人だからこそ分かり合えたりもするからこの病院を退院された方達の集まりがあるか、調べてみましょうかと。その時、とにかく一人でいたくて、もしかしたらとても自然な流れの中でそういう方に出会うような気もして、お断りをさせて頂きました。そうしたら、本当に優しい引力がそこにはあって。
大学図書館でお世話になった女性の上司が送ってくれた手紙にも、41歳で子宮内膜症で手術したと書かれていました。それは、私が手術した時と同じ年で、胸が詰まりました。そして、弁護士の先生がこちらの通院内容を聞いてくれた後、話してくれて。「実は私もね、少し前にものすごい出血をしてしまって、その日に病院に行って全部調べてもらったの。子宮内膜症だったんだけど、早期発見だったから、まだ良かった。結構急なことだから、慌てるよね。」先生もだったのか。裁判所の待合室で思いもよらない話をされ、大量出血した時に自分をごまかそうとなんでもないふりをした休校明けのことを思い出しました。あの時病院にさえ行っていれば。どれだけの後悔が押し寄せたことか。それでも、そんな思いをすべて包括してくれるシェアオフィスのスタッフさんがいて、最初から出会ってくれるようになっていたのかもしれないなと思いました。

そして、大切な姉。母のことで一波乱あった後、4年もの間、連絡を取っていなかった時に私の体に異変が起きました。婦人科系の病気にずっと悩まされてきたから、Sも絶対に気を付けろとどれだけ言い続けてくれたか分かりませんでした。手術日当日の朝、母から連絡を受け、4年ぶりに繋がったネネちゃん。世界に一人だけの妹、姉のそんな気持ちが伝わり、わだかまりがゆっくり消えていってくれたようでした。手術をしなければ、彼女との空白はもっと長く深くなっていた。大きな手術をしたことで、もう一度手を繋ぐことができました。ネネちゃんは、とんでもない暗闇の中にいて。だから、あのタイミングでもう一度手を握れたことは、あまりにも大きなことだったのだと思います。『小さい時から支えてくれたネネちゃんに、いつも感謝してます。』年末に送ったメッセージ。既読になって随分時間が経ってから、ハートの目をした絵文字だけ入っていました。その間、泣いてくれていたんじゃないかと思っていて。生まれた時からそばにいてくれた姉、だから今度は私が彼女を見送ると決めている。最後の姉妹旅行はどこにしようか。