そばにある夢

学級閉鎖が続く中、婦人科での通院が待っていたので、息子にお留守番をお願いして家を出ました。今日は産科に行かなければならないんだよなと、少し重たい気持ちのまま病院へ。そして、受付を済ませ待合室で待っていると、若いご夫婦が診察室から嬉しそうに出て行くのを見かけました。それは、若かりし頃と重なって。今は、その時出産した息子と二人暮らし。これは自分が選んだ道、胸を張って生きよう、そう思いました。それにしても、婦人科の先生、私にメンタルトレーニングをさせるために産科に呼んだのか?!その答えは、扉の向こう側に。不思議な時間旅行へ。

いろんな気持ちが交錯する中、名前を呼ばれたので診察室の中へ入りました。こちらの様子を聞いてくれたので、前回に出して頂いた漢方が緩やかに効いている話をすると安心した様子。実は、漢方内科にも通っているのでそちらで同じものを出してもらおうと思いますと正直に伝えると、納得してくれました。それでも、他の薬も処方してもらっていたので、また1か月半後の予約を勧められ、ちょっと意外そうな顔をすると話の続きがあって。「実はね、役職定年で、3月末にこの病院を辞めることになったんだよ。」えー!!「それでね、○○駅の近くで開業することになって、そちらに移ることになったんだ。」そう言って案内の紙を渡してくれました。春って別れと出会いの季節なのだけど、こういう展開だったか。いや待てよ、通える距離じゃないか!「先生、自転車でも通えそうです。」「もし良かったら、後で検索してみて。そこから予約もできるようにするから。とりあえず、薬が切れないように来月末も来てもらおうと思って。導入剤が切れたら困るよね。」そう話してくれた時、一気にいろんなことが駆け巡り、泣きそうになりました。息子が2年生の時、休校中に襲った下腹部の激痛。コロナ禍できっとストレスだと思い込み、不正出血があってもやり過ごしました。その後、久しぶりの触診があった時に漢方内科の主治医が気づいてくれた異変。できるだけ早く婦人科で診てもらってきてと紹介状を書いてもらい、翌日病院へ。すると、非常勤のおじいちゃん先生が内診でめちゃくちゃ怒ってくれて。どうしてこんなになるまで放っておいたの、自覚症状はあったはず、卵巣がんの疑いがあるよと。押し寄せた後悔、うな垂れそうな私にそれでもおじいちゃん先生は言ってくれました。これからいろんな検査を受けてもらう、手術は避けられない、それでも次の予約は産婦人科のセンター長だから。そう言って、こちらを少しでも安心させるように親指を立ててくれて。ちょっと救われました。その後、不安の中MRIを受け、センター長とご対面。検査結果は良くなかったものの、どっしり構えて微笑んでくれた先生の雰囲気に助けられました。この先生に切ってもらいたい、その願いは通じ、最短の手術日がその場で決まりました。その後、手術は無事に終了、麻酔から覚め、まだ意識がもうろうとする中で、先生の声が遠くから聞こえてきて。「○○さん、良性、良かったね。」ああ、先生ありがとう。それから、個室に運ばれ、吐き気と戦っている中でまた先生が様子を見に来てくれました。「相当酷かったんだよ。悪い所は全部取ったけど、薬の治療は続くよ。10年上手に付き合っていこう。」あの時交わした約束、先生は覚えてくれていたのではないか、そう思いました。そして、睡眠不調で困っている私のことをそっと見守ってくれていたんだなと。病院が変わるからいろんな都合もあると思うし、無理はさせられない、でも通えるなら○○さんが楽になるまで見届けるよ。そんな先生の気持ちを感じ、溢れそうでした。「先生、センター長、お疲れ様でした。」そう言って頭を下げると、何とも言えない優しい表情で微笑んでくれて。「来月もう一度来ますけど、新しい病院も通えそうです。ありがとうございました。」そのやりとりを聞いてくれていたのは、入院前の説明で沢山笑わせてくれたとびっきり明るい看護士さんでした。二人の穏やかな雰囲気を背中に感じ、閉じた扉。もう悲し涙はいらない。

それから、先生が渡してくれた案内を元に検索をかけてみました。すると、出てきたのは先生の挨拶文。開業をすることが夢だったのだと。沢山の方達への感謝と産婦人科医としての喜びや、優しい信念を感じ、感極まりそうになりました。息子を出産し、そして、卵巣とさよならした病院でした。執刀医でいてくれた先生は、データに囚われすぎず、目の前の私と向き合ってくれました。その先生が、60歳を過ぎて自分の夢が叶った姿を見せてくれて。今回入った産科の診察室は、出産して妊娠高血圧症候群になり、息子のお産に立ち会ってくれたその当時の別の先生が退院後に呼んでくれた場所でした。ベビーカーに乗り、水色の帽子を被って爆睡している息子に先生達は良く寝ているな~と笑ってくれました。命の輝き、その尊さを持ったまま執刀医は新しいステージへ。おめでとうと伝えるのは、今度は私の番。