最後の父親参観

去年、『父親参観の意味』を書いて、幼稚園に渡したら、後から園長先生が声をかけてくれました。「タイトルがすごい。色々と考えさせられます。」と。あ~、そこを見てくださっていたのですね。園長先生の視点に、こちらが励まされた嬉しいお言葉でした。

大学図書館でも、個人的に利用する公共図書館でも沢山のタイトルを見てきました。一行に込められた想いを、たった1つの単語に込められた想いを、知っているからこそ私もこだわりたい。そんな気持ちを、園長先生は感じてくださっていました。この幼稚園に預けられて本当に良かった。

去年の父親参観から丸1年。息子が頑張って作った『こうつうあんぜんおまもり』は、ずっと夫のバッグの中。そして一緒に製作した「スティッチに会えますように」という短冊の願いは叶っていませんが(当たり前か!)、未だにスティッチが大好きです。もうあれから1年か。
幼稚園の行事が、12か月の月日を思い起こさせてくれます。

朝出る時、夫に伝えました。「息子と一緒に間近で製作できて、様子がわかる参観日は今日で最後になると思う。貴重な時間だから大切にしてね。」と。そうか、と少し驚いていました。
母親の参観日はまだ残っている。でも、父親主体の参観日は今日で最後で、小学校に上がったら、後ろで見ているだけになるのだと思います。

息子の誕生日になると、ママとしても5歳だね!と言ってくれる友達がいて、地域の方にも励まされながら、沢山の自覚や労いの言葉をかけてもらえる機会があります。でも、夫は仕事が主体だから、そこまでの大きな気づきってないのかもしれないなと、ふと思う時があって。
だからこそ、大切な瞬間を逃さないように、今日という日を味わってほしいと願い、「楽しんできてね。」と送り出しました。

何のために仕事をしているのか。この間、アサヒのビール工場見学に行った時、映像を見せて頂き、『すべてはお客さまの「うまい!」のために。』というキャッチフレーズにぐっときました。そうだよね、この気持ちだよね。お金の為だけでなく、家族や自分の為だけでなく、仕事をして誰かが喜んでくれるのなら、その気持ちが好循環を生み出すんだよね。そんなことを思いました。それでも、実際は大変なはず。綺麗ごとだけではない現実が、沢山あるのだと思います。
それが分かるから、なんだか今日は、夫にエールを送りながら、行ってらっしゃいが言いたかった。
“息子の笑顔は、嫌なことを吹き飛ばしてくれる。その一瞬を切り取ってきて”と。

さあ、どんな表情で帰ってくるかな。ドアをガチャリと開けた時に分かるんだよ。充実感と幸せな気持ち。こうやって、毎朝、毎晩ドアの開閉で雰囲気を感じ取っている。
ドアをまだ開けていない息子が、「ただいま~!」フライングかいっ!声で楽しかったのが分かるのも喜びの一つ。
「Y先生、とっても落ち着いていたよ。先生になかなか会えないから、こういう機会が嬉しいね。」
そうでしょ、そうでしょ。そして、短冊に書かれた文字を読んでみると、『サッカーせんしゅになりたい』あかん!!野球少年でしょっ!
今年の願いは夢で終わらせよう。行事終わりの余韻もまた、大切な思い出になっていく。