今日もまた接骨院へお灸をやってもらいに行くと、担当してくれている若い男の先生が伝えてくれました。「実は僕、患者さんにこうしてきちんと時間を取ってお灸をするの、○○さんが初めてなんです。専門学校に行っていた時、よく校内の図書館に通っていて、そこで雑誌の付録だけを集めたコーナーがあったんで、冊子のようなものをペラペラとめくっていて。そうしたらたまたま顎関節症のことが載っていて。それが、○○さんにゆっくりでも効いてくれているようなら良かったです。僕も試し試しなので、なんだかすみません。」と話してくれて、うつ伏せになりながらちょっと泣きそうになりました。図書館にあった雑誌の付録が先生を通し、自分を助けてくれることになるなんてね。漢方に出会わせてくれたのも、大学図書館勤務時代の前館長が漢方の研究をされていて、頭痛持ちの私に勧めてくれたから。どちらも図書館と東洋医学かと思うとなんだか嬉しくなりました。そして、付け加えてくれて。「お灸って結構地味で、あまりやりたがらない患者さんも多いんですけど、○○さんが効いてくれたって聞いて嬉しいですよ。かなり珍しいです。」少数派には慣れていますよ、漢方内科の主治医にも意外な薬が効くので何度驚かれたことか。レアケースいいじゃない、そのサンプルがまた誰かを助けてくれたなら。
その後、慌てて病院へ向かい、父の前立腺がんの手術だったので、受付に行きました。すると、手術室の待合室は親族一名しか入れないとのこと。母が行っているのは知っていたので、とりあえず連絡を入れてみると、やや時間を置いてから不機嫌そうにやってきました。「入れないってどういうことよ?」といきなり感情をぶつけてきて。いやいや、お母さんその前にこんにちはとか他にあるでしょうよと思いつつも、流すことにして。「他の親族は複数できていたのよ。そんなのおかしいでしょ!入れないならもういいわよ。」そう言われたので、良くなったら二人で食べてと前回同様に人形焼きを渡そうとすると言われてしまいました。「この間、残っていた人形焼きを食べようと思ったらもうカリカリだったのよ。だからいらないわよ。おみやげもお父さんがもらってきたけど、私達和菓子とか食べないし、お金の無駄。もう買ってこなくていい、いらないから。お姉ちゃんは、前回の手術で一緒に説明を聞いてくれてすごく助かった。今日も朝から電話をくれたの。すごく心配してくれたわ。」せめて、少しだけでもお腹が満たされたらと思い、飲むヨーグルトだけ渡すと、それだけさっさと受け取り、はいこれと誕生日祝いの封筒だけ渡され、あっさり戻ってしまいました。なんだかさすがに情けなくて。母は大きなことがあると、テンパって口調も強くなる、でもそれだけではなくて、一緒に旅行へ行けなかった悲しみをここでぶつけてきたんだろうなと。姉と私に対して、態度があまりにも違うのは今に始まったことではない、桜並木の下でも、カフェでも人前でお構いなしに罵声を浴びせられてきた、慣れているはずなのに今日は辛いなととぼとぼ帰宅。すると、自宅に帰って一人になると気圧の変動でやられていた影響もあり、ポロポロと泣けてきて、いきなりドンドンとドアが叩く音がしたので慌てて玄関を開けると息子が帰宅。「え?なんでお昼に下校したの?」「今日は4時間授業だったんだよ~。」「聞いていないって~。」と一悶着あり、息子に泣き顔を見られてしまいました。ざっくりと理由を話し、息子は呆れ、怒りや心配が入り混じった表情をされ、それでも二人で気を取り直して歯医者さんへ検診に行き、いつもの日常を取り戻しました。長い一日だったなとようやく就寝。
そして翌日、朝起きると「お誕生日おめでとう!」と息子が伝えてくれて、掃除機も手伝ってくれて。言葉は少なくても、やっぱり昨日のこと気にかけてくれていたんだなと。「ありがとう!若いお母さんを目指すよ~。」とわいわい。その後、仕事の打ち合わせもあり、プログラマーのMさんもお祝いに駆けつけてくれて、救われました。お母さんは、Sちゃんの承認を強く得たいと思っているんだろうねと。そう言われた時、はっとなって。それは、自分が小さな時からずっとだったなと。漢方内科の主治医に、母のことを少し聞いてもらった時、真っ先に尋ねてくれて。「子供の時からずっと怒られてきた?」と。随分的を射た質問で、なんだかぐっときました。自律神経が常に張った状態の家庭環境に長年いたということは、それが原因で冷えにも繋がっているかもしれないなと。ゆっくり時間をかけて体質を変えていこうと言ってもらえた時、じんわり胸が熱くなるのを感じました。先生のような方に沢山出会ってきました、だから今こうしてここにいられています。苦しさが4割、感謝が6割、だからどろどろを薄めることができたのかもしれないな。
Mさんのフォローもあり、息子も楽しく過ごしてくれて誕生日は終わりました。なんだか全然歳を重ねた実感はなく、いろんなことがあったなと改めて振り返りながら寝付くと、翌朝マブダチK君からのメッセージに気づいて。『夜分遅くにごめんね。2時間遅れたけど誕生日おめでとう。毎年Sの誕生日におめでとうと言えることが幸せだと感じてます。次に会える日までSと息子さんが、ごく普通の幸せを感じれるよう願ってるよ!!いつも必ず俺より先に歳を取ってオバチャンになってくけど、少しでも永くおめでとうが言えるといいな~って思ってるよ。45歳がいつもと変わらず平凡な1年でありますように。』どこまでもK君らしいな、俺より先には逝くなと言われた名古屋でのランチを思い出して、胸がいっぱいになりました。そして、ある資料に目を通していると、気づいたことがあって。母は、おじいちゃんに似ている所がある。私はきっと気性の荒かった祖父のことも知っているけど、丸くなった姿も見てきて、だからそこまで重ならなかったのだけど、やっぱり母の子供時代に何かあるなと思いました。母の苦しみの根元に到達したら、もっと見えてくるものがあるのかな。それと並行して、息子との生活を大切にしよう。負の連鎖はもう起きない、自分で終わらせるって本気で決めたから。