今日は、ドジャース対パドレスのポストシーズン1戦目。大谷選手がずっと夢見てきた舞台を感じたくて、絶対に見逃すものかとテレビの前へ座りました。日本ハム時代にはどんなことを考えていたのだろうと知りたくて、関連書籍を読み感銘を受けたいくつもの言葉。一ファンとして、今日という日をとても楽しみにしていました。そんな中、息子がホットケーキミックスを使ってケーキを作りたいと言い出したので、守備の時間に慌てて二人でキッチンへ。チームプレーであっさり生地はできたので、炊飯器に流し込みスイッチオン。そして、3点ビハインドの中で、大谷選手の打席が回ってきました。カーン!えっ?!スリーランホームラン!!と息子と熱狂し、すごすぎるでしょと大盛り上がり。未来の教科書に、どんな言葉で大谷選手の活躍が記されていくのかとても楽しみです。
そんな日常の中、息子の修学旅行の写真データがネット上で選べるようになり、パソコンを開くと予想通り膨大な量でひと仕事だなと笑ってしまいました。ガチなカメラマンさんが付いて来ていたんだよ!という彼の情報は正しかったよう。初日の朝から、それこそバスに乗る前から撮影は始まっていました。静止画なのに動画のようで、子供達の声が聞こえてきそうで泣きそうに。そう思っていると、スワローズクルーのキャップを被った息子が出てきて、笑ってしまって。彼がバリバリのヤクルトファンでいることが、みんなのお母さんにバレたなと微笑ましくなりました。そして、どんな場面でも息子のそばで写ってくれている仲良しのD君、先生達の説明中に後ろを向いてカメラ目線だった彼ら。どうかこの友情がずっと続きますようにと、沢山の思い出を一緒になぞりながら思いました。大好きな仲間と一緒に行けて良かったね。
その後、分かったヤクルトのレジェンド、青木選手の引退発表。いつかその日がくると分かっていても、息子と私の心には寂しさが広がっていきました。4年生の春に、初めて二人で行った神宮球場。その試合に、青木選手が出て大活躍をしてくれました。そして、リリーフのマクガフ投手が抑えゲームセット。好投したサイスニード投手と捕手の内山壮真選手、青木選手がヒーローインタビューに立ってくれて。その時、青木選手がマイクを持ってひと言。「内山壮真をよろしくお願いします!」と。その言葉を聞き、息子の心がぼっと熱くなるのを隣で感じました。ヒーローインタビューはその日に活躍した選手が立つ場所、そこで自分のことではなく、若い選手の応援を呼び掛けた青木選手の気持ちに二人で感動した日。それからも、何度か神宮へ行き、ライトスタンドで青木選手の応援歌を歌いました。そして、引退試合はテレビの前へ。大活躍の青木選手、試合に勝ち、引退セレモニーが始まると、スクリーンに映し出されたマクガフ投手を見て、その1戦を思い出し泣きそうになりました。青木選手がチームを愛し、スワローズにもたらしてくれたものは計り知れないんだろうなと。沢山泣き、笑ってくれたその表情に、とんでもなく深い野球人生が刻み込まれているのだと胸がいっぱいでした。息子と最後まで見届け、いろんな気持ちの中で就寝。現役の姿を、彼はずっと胸に抱きこれからもライトスタンドで声援を送り続けるのだろう。つば九郎とつばみちゃんと一緒に寝た息子、スワローズへの愛はきっと本物。
このサイトを始めるきっかけのひとつにもなった司書教諭の試験。大学在学中、実家が大混乱だった為、教員免許を取ることで精一杯で、一旦見送りました。子供ができ、いろんな繋がりで、ある学校から司書として声がかかったものの、待機児童という現状もありお断りをさせて頂くことに。その時、いろんな思いが渦巻き、司書教諭の資格を取ることで少しでも前に進める気がして、大学の通信講座を受講することに決めました。まだ息子は小さく夜泣きもあり、深夜に勉強を始めようとテキストを開いても、思うようにいかない日々。一体私はどこへ向かいたいのだろう、何か辛さを埋めたいだけなのだろうかと、沢山の葛藤の中で過ごしていた時、公共施設で出会ったのは楽団の方達でした。練習に何度も呼んでくれるようになり、お客さんに。その度に、私の心は解れていきました。だから、ありがとうを伝えたくて、指揮者の方に少しお時間をもらえないかとお願いし、ありのままの気持ちをさらけ出し、出会えて良かったという想いを朗読させて頂きました。その時、打楽器奏者だったのはプログラマーのMさん、そっと涙を拭いてくれていて。そして、大きな拍手と、コンバットマーチをお礼に全員が演奏してくれました。その後、Sさんの気持ち分かるよと寄り添ってくれたのはクラリネット奏者の先輩ママでした。それから、同じ楽団にいた娘さんを紹介してくれて、なんて素敵な親子なのだろうと思いました。私自身、本当にいろんなことがあり、すっかり疎遠になっていた頃、Mさんが時期を見て伝えてくれて。「Sちゃんも知っている○○が自殺をした。」のだと。彼女は、お母さん似で、私にも優しく接してくれました。その笑顔を思い出したら、言葉を失って。お母さんは、演奏会にきっと出る、それまでに自分の気持ちをゆっくり立て直そうと思っていたら、急に蘇ってきました。司書教諭の最後の試験、その少し前に合宿に行っていた楽団のメンバーは、コンバットマーチを演奏し、その動画を私の元へ送ってくれていて。演奏が終わり、みんなで、「Sさん、試験頑張って~。」と声を張り上げてくれた真ん中に亡くなった彼女、そしてその隣にお母さんがいたことを思い出しました。自分が苦しかった時に何度も助けてくれた方達、私は彼女を助けられなかった、でも、今自分ができることはある。それは、書くこと。どんなに小さくてもいい、誰かの安心できる場所になること。そして、学び続けようと思います。優しい先輩ママ、必ず会いに行くよ。そっとハグをしたい。
自分のアルバムがここに綴じられ、今日も誰かの何かになれたらと願って。同じ時間にここにいます。