今ここにいる

怒涛の冬休みが明け、ようやくまとまった時間を取ることができました。冒頭はできるだけ明るい話題をと思いつつ、本当に色々あったのでどうでもいい内容をここでひとつ。2023年最後の日、活気のある駅近のスーパーへ二人で行き、好きな物を選ぼうと伝えると、息子がお総菜コーナーで立ち止まりました。よく見ると、美味しそうな唐揚げの前。「もも肉はジューシーだし、胸肉はヘルシーだから迷うよね~。」とこちらが言うと返事が。「ボク、大学芋を買おうか迷っているんだよ~。」「そっちかい!!」とお店の中で盛大に突っ込んでしまった年の瀬。一年の締めくくりに二人で笑えたこと、そんなひとときがいいじゃないか。

その少し前、婦人科の検査結果を聞きに行ってきました。名前を呼ばれ診察室に入ると、椅子に座る前に先生が伝えてくれて。「やっぱり女性ホルモン出ていなかったよ。数値がとても低い。これはもう更年期症状が出ていても全然おかしくないね。卵巣の一部は残したから、術後少しは働いていたとは思うんだよ。でも、その機能も段々なくなっていったのかもしれない。」そう言われた時、わっとここ数年のことが蘇り、いろんな自覚があったのでこみ上げそうでした。これは私自身のこと、ホルモン治療をされる方の不安を煽ってしまうことのないように、あくまでも個人の感想だし、もし辛い思いをされている方がいたら、分かりますよという気持ちを添えて、届けさせてください。卵巣の摘出をしたのは息子が2年生の冬でした。癒着があまりにも酷く、その後は女性ホルモンを抑える薬の治療を開始。心身共になんだか思うようにいかず、このままではいけないと強く思い、離婚の話し合いへ。そしてその後、1年のホルモン治療を経て一旦薬を終了すると、それはそれで揺り戻しのような辛さがあり、それが少し落ち着いた後引っ越しが待っていました。自分がその時残っていたエネルギーを全部集め、息子と新居へ。大変さと優しさが入り混じった穏やかな生活が待っていました。その後、また下腹部痛が酷くなり3月末からホルモン治療再開へ。それが分かっていたので、久しぶりに帰省した名古屋の街はなんだか特別でした。そして、また1年のホルモン治療が終わり少し浮上できるかと思いきや、気持ちは重たいままで、血液検査と先生の言葉で全てが繋がっていって。残った卵巣が頑張って働いてくれたのは、引っ越しの時だったんだなと。その生活が安定したタイミングで機能がほとんど落ちた、貴重な3か月だったなと改めて思いました。そして、先生が私の不調を心配し、選択肢のひとつとしてホルモン注射を薦めてくれて。「女性ホルモンを補充すると、すげー楽になることもあるけど、多少なりとも乳がんなどのリスクも増える。一度試してみて、それで今後どうするか決めるのもいいかもしれないね。」そう言われたので、楽になることを願い、どんどん間隔を空ければいいと思ってお願いしました。これで、年末年始の慌ただしい時期に楽になれる、そう喜んで帰った翌日から吐き気に襲われることに。メンタルはぐらぐら、裏目に出たかと凹んでしまいました。女性ホルモンを抑えることも、増やすことも、自分にはどうしても無理が生じてしまうんだろうなと。それでも、息子と楽しい冬休みにしよう。

元旦、自宅で彼の好きないくら丼を食べ、河川敷に凧揚げをしに行きました。風は冷たく、糸も絡まってしまったので、早めに切り上げて近くの神社へ。するとそこにはすでに長い列ができていて、それでも父の検査結果が良くなかったので、参拝とお守りを買っていこうと思い並ぶことに。ようやく手を合わせることができ、お守りも買って、またお店に寄って自宅に帰ると、能登半島での大きな地震のニュースを見て愕然としました。うまく思考が回らず、私にできることってなんだろうと至った結論は、やっぱりここにいること。それがほんの少しでも誰かの何かになるならと願って、伝え続けることをやめないでいようと思います。小さな力が北陸へ、祈りを込めて。

両親宅へ向かった翌々日、お年賀のみかんとお守りを母に渡すとやや不機嫌そうに言われました。「お守りって普通は一人にひとつじゃない?」と。お礼ではなく文句を言われるのは、今に始まったことではない、でもなんだかその日は辛くて。それでも思い出したのは、ひとつの記憶でした。名古屋の小料理屋のママに、まだ20代の頃化粧ポーチをプレゼントした時のことでした。とても喜び、数日後またお店に行くと、すでに使っていて、常連さんに見せ、「これね、Sちゃんがプレゼントしてくれたの~。」と満面の笑みで伝えてくれて。全然大したものを渡した訳じゃないのに、こんな風に喜んでくれる人がいて、自分の気持ちをこんなに大事にしてくれる人がいるんだなと胸がいっぱいになった若かりし頃。その時溢れた映像が、自分の中で流れました。多分、屈折しそうになったことなんて数知れず。黒いどろどろは奥に押し込められ、それがひとつの悲しい出来事で土石流のように押し寄せる。それでも思い出すのは、誰かが向けてくれた優しさでした。そこだけは、どんなことがあっても忘れてはいけないのだと。
過去も未来も、まだまだ不安でいっぱい。それでも、ここにいる今この時を大切にしよう。どんな時も、来てくれてありがとう。