あるがままに

半日授業の日は、雨の日以外、クラスのお友達と公園で遊んでくれることが多く、誰と遊ぶかを聞いてみると答えてくれました。「いつメン!」は?「いつものメンバーだよ~。大体8人位集まるの。」ああ、大体メンバー分かった!仲がよろしいことで。年末は冬休み一度だけそのいつメンと遊んだ後、教えてくれました。「冬休み、遊ぶのは今日で最後。今度は始業式の午後、公園で忘年会しようって話になったの。」時期的には新年会じゃ!!そもそも公園でどうやって忘年会をするんだ?!自販機のジュースで、男子が集まってプシュッと開けて乾杯しているのを想像したら、笑ってしまいました。彼らが届けてくれる輪があたたかい。

お正月、両親宅へ行った日、食器を全部洗って帰ろうとすると、エレベーターホールで母にまた旅行に誘われました。環境が変わった時に息子が調子を崩してしまうことがあること、私のホルモン治療がうまくいかずなかなか辛い状態が続いていることを伝え断ると、思いっきり不機嫌をぶつけられてしまって。「あなた達、旭川や仙台には行っているじゃない!今日だって元気だったじゃない!」と。怒りに対し、怒りで返しても仕方がないので、冷静に話すことに。「Rは二人の時にしか見せない姿がある。だから、なかなか周りには分からない部分だし、私の体が辛くても気力で乗り切れるよ。母親だから。」そう伝えると、気遣うどころかますます不機嫌になってしまい、思いっきり負のオーラを被って帰ってきました。その時、何か気づいてはいけないことに気づいてしまったような気がして。それでも奥に押し込めて、余裕ができた時に整理をしようと思った帰り道。
そして、冬休み最終日は、とても肌寒かったこともあって、すっかり絡まってしまった凧揚げの糸を解く作業に取り掛かりました。一か所の絡まりがなぜか二か所になっていて、それを解こうとするとなぜか三か所になってしまい、それを見た息子はすっかり諦めモード。少しやってどうにもならなかったら匙を投げようと思っていたものの、絡まりの根元に辿り着くと本当に少しずつ解れていきました。まるで自分の心みたいだな、そう思いながら没頭しているとすでに1時間が経過。最後の絡まりが解けると息子は歓喜。「ママすげー。ボク、絶対無理だと思ってた!」「これが針金だったらお母さんも痛いから最初から諦める、でも凧糸だったから柔らかくて、何とかなる気がしたの。」そうだ、諦めないでいよう、どこかに根っこはあるはず。そんな時間は過ぎ、ようやくパソコンの前に座れた日、母の体調が悪くなってしまい、薬を買ってきてくれないかという連絡が入りました。父の検査結果が悪く、母がまたどっとこちらにのしかかろうとしているメッセージも去年受け取っていて。いろんな気持ちが交錯し、それでも母の調子が気になり、薬を買って訪問。父は出勤、シンクには山のような食器が重なっていたのでそれを洗い、洗濯物を畳んで母に薬を飲んでもらうと、少しずつ回復してくれました。母の機嫌が直り、ようやくほっとすると、わっと頭の中で繋がって。それは、母と祖父と三人暮らしをしていた頃、アメリカ育ちの彼が横浜に住まないかと声をかけてくれた時のことでした。二人を置いていって大丈夫だろうか、沢山悩みそれでも勇気を出して母に伝えました。彼のそばに行きたいから家を出たいのだと。それを聞いた母は、生気を失い、私の両腕を掴み、「あなたがいないと生きていけない。」と子供のように大泣きしてしまいました。その時のことは、私の中で大きなスイッチが押され、それがずっと怖さとして残ってしまっていた、だから父の結果が悪く母のメンタルがまた不安定になった時、恐怖心が何倍にも膨れ上がってしまったんだろうなと。

マブダチK君が、何年も前に言ってくれたことがありました。「Sは、本当に苦しい時こそ誰かに助けを求めない。一人で解決しようとする。俺も含めて、どうしてその時言ってくれなかったのかなって、自分の頼りなさとか痛感する時があった。でも、お前と長くいて少しずつだけど分かってきたんだよ。Sはきっとこちらが思うよりもずっと辛い思いをしてきて、だからこそ言えないんじゃないかなって。その抱える辛さを知っているからこそ、相手に負担をかけてしまうのが嫌なんじゃないかなって。なあS、話したくないなら話さなくてもいい。でも、どうしようもなく苦しくなった時、思い出してほしいんだよ。お前が辛い時こそそばにいたいって思うヤツが沢山いることを。Sのことだから姉貴にも話してないだろ。姉貴にだから言えないこともあると思う。人対人だから、そりゃいろんなことあるし、時に離れることもあるだろ。でもな、時間が経ってお前に対して最後に残るのはありがとうなんだよ。いいか、どんなことがあっても俺のことは信じろ。一人で苦しい時こそ思い出せ。」彼の言葉が自分に降り注いだ。ここで助けられるとは。

自分のサイトのホーム画面を見て、さくらの花びらが舞い散っているのが視界に入り、涙が溢れた日。桜が満開の時、河川敷でまだ小さかった息子と母と三人でいると、母に罵声を浴びせられました。「私は両親の介護でどれだけ頑張ってきたか分からないし、その姿をあなたは見ているはずなのに、私の老後は何にもしてくれないのか!」と。そんなことは言っていないのだけど、そう受け取ってメンタルがぐらぐらの母は、周りの目を気にすることなく大きな声でまくし立てました。母のことが好きだからこそ辛かった時間。その後、母の状態は悪化し、姉と父と三人での家族会議が待っていました。そこで、初めて本気でネネちゃんとぶつかった日。母の自立を妨げたのはSちんなのだと。今まで何をやってきたのだろうと途方に暮れた私に、仲良しのKちゃんは伝えてくれました。「私がSさんの立場なら、同じことをしていたよ。だって、家族だもん。」まだ、咲かない桜の前のベンチで届けてくれたその気持ちを忘れることはありません。母に罵声を浴びせられた桜並木とKちゃんが伝えてくれた桜の公園は同じ場所でした。川を挟んだあちらとこちら。見えた景色はあまりにも違って。だから、誰かの安らぎになりたいと思った、それが『さくらdeカフェ』です。