北海道の空へ

待ちに待った北海道旅行の前日、二人でスーツケースにパッキングを済ませ、息子は4つのてるてるぼうずを作り、早めに眠りました。でも、親子揃ってわくわくし、なかなか寝付けないんだな。翌朝は7時に起き、身支度を済ませ、スーツケースを引いて駅に出発。空を見上げると曇り空、それでもその上を飛行機で飛ぶんだ。

最寄り駅に着き、電車に乗った後、羽田空港行きの高速バスへ。街を走るバスとは違っていたので、息子のテンションは少しずつ上がっていきました。が、バスの揺れで私だけ気分が悪くなってしまい、酔い止めを飲んで就寝。その間、隣で『あつまれどうぶつの森』をやってくれていて助かりました。少し眠れて顔を上げ、ほっとしたのも束の間、やや渋滞していることに気づき心の中で大慌て。「寝かせてくれてありがとう。もう少ししたら空港に着くよ。」と祈りを込めて息子に伝えると、ゲームを片付け、嬉しそうにしている横顔を見て胸がいっぱいになりました。大丈夫、きっと間に合うよ、そう願っていると渋滞が流れ出し、あっさり空港に到着。自分達のスーツケースを取り出し、二人で航空会社のカウンターへ向かいました。あれ?システムが変わってる?!ハイテク過ぎてよく分からなかったので、グラウンドスタッフさんに声をかけると、その制服姿が二十年以上前のネネちゃんと重なり、泣きそうになりました。いろんな気持ちが交錯している中、パソコンを使って搭乗の手続きをしてもらい、お礼を言ってお別れ。その後も、広い空港内を早歩きで移動し、スーツケースを預け、自分達の手荷物検査へ。何もかも初めての息子から、質問攻めが待っていて。荷物を預けたらリュックのぬいぐるみとお別れになっちゃう!と言われたものの、中身を確認したら返してもらえるよ~と説明し、実際すぐに戻ってきたので本気で安堵していて笑ってしまいました。その後もせわしなく移動し、ようやく搭乗口に到着。『旭川行』の文字と、飛行機が見えた時、胸がいっぱいになりました。そう、今回の旅の目的は、旭山動物園で生まれたシロクマの“ゆめちゃん”に会いに行くこと。息子が喜んでくれる場所は北海道でどこだろうと思った時、すぐに旭山動物園が浮かんできました。目的地が決まり、何気なく二人でテレビを見ていると、シロクマの赤ちゃんが生まれたことが分かり、一緒に歓喜。「かわいいね~。ボク達が行く時はもう少し大きくなっているかな。」そんな息子のわくわくをずっと持ってここまで来ました。そして、ふと横を見ると、飛行機に感激した息子がずっと見ていて、写真をカシャリ。機内まであと数分。

色々な準備で予定時刻を遅れて、搭乗が始まりました。どんよりしていた空は見事に晴れ、その下を息子は歩き、飛行機の中へ。窓際の二人席を予め予約していたので、無邪気に喜んでくれて一緒に嬉しくなりました。そして、シートベルトを締め、ゆっくりと動き出した時、整備士さん3人が外から手を振ってくれて、息子と手を振り返すとこちらに気づき、会釈しながら手を振ってくれたので、わっといろんな思いがこみ上げ、懐かしい記憶を運んでくれました。それは、大学4年の時、初めて行った横浜。羽田空港で整備士として働いていた高校時代の男友達と横浜駅で待ち合わせをし、夕飯を食べることに。専門学校を出て、スーツを着て少し疲れて会いに来てくれた彼は、もう大人の男性でした。その後、人間関係で悩み、仕事を辞めたことが分かり、その選択をしたことを後悔していると話してくれたことがありました。横浜駅で見た大人びた後姿も、後悔が膨らんで辛そうにしていた彼も知っていて、整備士さん達が会釈をしながら手を振ってくれた時、もう一度彼に言いたいことがあると思いました。「○○がどれだけ立派な仕事をしてきたか分かった気がした。少なくとも私は、一人で川崎で頑張っていた姿も、悩んできたあなたも知っている。だから、偉そうなことを敢えて言わせてもらうけど、○○がそこで働いていたこと、その時間はずっと心の中に残るし、それが今の○○の土台にもなっているんじゃない?パイロットの方達が安全に運航できるように、シュミレーターを作っているんだ、そう話してくれた時、格好いいなって思った。息子を連れて、飛行機に乗った時、そういう方達が裏側で支えてくれているからこそ、飛行機は飛べるんだって思ったら、○○にこの気持ちを伝えたいって思った。仕事は辞めても、整備士だった姿、私の中で消えることはないから。疲れている中、横浜駅まで会いに来てくれてありがとう。」いつの日か届けよう。

そして、離陸。ジェットコースターのようなスピードになり、ふわっと浮き上空に上がっていった時、富士山が見えました。「わあ、飛んだ!すごいね、ママ。ボク達、雲の上にいるよ。」「Rと飛行機に乗りたいとずっと思っていたから、夢が叶って嬉しいよ。本当に飛んだね。」そこには色々な気持ちが混ざっていて。横からそっとハグをした時、夢の中にいるようでした。そして、CAの方達を見た時、関空で働いていた姉が電話をかけてきてくれた時のことが蘇ってきました。「S、まただめだった。」グラウンドスタッフをやりながら、有給を取り、CAの試験を受けに行っていたネネちゃん。どれだけ頑張っていたか知っているからこそ、半泣きした声を聞いて、どんな言葉をかけたらいいのか分かりませんでした。ネネちゃん、本当に飛びたかったんだろうな。カナダに留学すると決めてくれた時、様々な気持ちを吹っ切りたいのかな、そうだといいなと願いました。Rと飛んだよ、あなたが働いていた航空会社で。人生初フライトは、隣にネネちゃんがいた沖縄だった。それから24年の時を経て、2回目の国内線フライトは9歳になった子供と北海道。雲をずばっと突き抜けて上空に行った時、そこはもう別世界でした。空の旅、息子の世界は一気に広がった。いざ、憧れの地、北海道へ。まだまだ続くよ。