視点を増やせたなら

日曜日の朝になり、息子が伝えてきました。「夢の中でね、ママと日本中を旅する夢を見たの!」「ああ、それは多分昨日、桃鉄のメダルゲームをやりに行ったからだよ。」そう話すと本人も頭の中で繋がったのか大盛り上がり。メダルゲームでは、姫路から北海道の襟裳まで行き、釜石の目的地まで進むことができました。が、450枚を投資したメダルはなくなってしまい、マイナスになると若干ぐずる息子が、今回は伝えてくれて。「プラスにはならなかったけど、やることやれて楽しかったね!」と。心の成長をぐっと感じたひとときでした。結果ではなく、二人で楽しんだその時間を大事にしようよ。きっとずっと前から届いていたんだね。夜はヤクルト戦をテレビで観ながら、まさかのヤクルトクイズが待っていました。息子が選手の背番号を私に当てさせ、それで終わるかと思いきや、応援歌の虫食いクイズ。「サンタナの応援歌、『割れんばかりの○○を背に受け挑めよショウミンゴ♪』さあ、ここに入る言葉はなんでしょう?」「歓声!」「正解!その続き、『○○を呼び込む一振りで皆の夢を掴み取れ♪』ここに入る言葉は?」「勝利!」「おお!正解です!これで神宮に行けるね!」え?何この確認テスト?!と思いながら、散々笑い合った夜。息子と去年観に行った神宮でのサンタナ選手のスリーラン、一気に傘が開き、反射した光の下で、一緒に叫んだ時間が蘇ってくる。感動は、ずっとずっと心に残るんだ。

さてさて、我が家の洗濯機は修理待ちの状態なので、沢山の洗濯物を持って一人でコインランドリーへ行ってきました。近くに両親が住んでいるので、借りに行った方が楽かと思いきや、うちの場合はそうではなくて。きっと、洗濯機の中には乾燥された状態の洗濯物が溜まっていて、それを私が畳んでからのスタートになるだろう。そして、洗濯機を回している間は、部屋の掃除でもすることになるのではないか。お金がかかっても気楽な方がいいなと判断し、坂道を自転車で漕ぎながらコインランドリーへ到着。すると、広い店内には私だけで、大きな洗濯乾燥機を動かすと、その回転を見ながらゆっくり思いが巡り始めました。随分前、姉に言われたことがあって。「実家に行っても、Sちんがいつも食べ終わるとすぐに食器を片付けて洗い始めるから、私も合わせなきゃいけなくて、全然寛げなかった。」と。その話を聞き、ネネちゃんに毎回悪いことをしていたなと反省。実家に行ったらゆっくりしたいよねと。でも時が経ち、改めて思って。もし私も一緒に寛いでいたら、母は翌日などに負の感情を私にだけ爆発させてきたりするんだよなと。母に分かってもらいたくて、勇気を出してぶつかったこともあった。その度に3倍返しがあり、怒り狂うか泣き叫ばれるか、それを受け止めることの方がよっぽどしんどいと思い、戦うのはやめました。母が気に入らない時は、その矛先が全部自分に向かう、それをネネちゃんに分かってもらうのも何か違うし、そういった難しさがずっとあったのかもしれないなと。
父が、若い彼女に貢ぎ、学費が払えなくなり大学中退も頭を過った後、それでもやれるだけやってみようと思い、前だけを向いた頃、何人もの人になぜお父さんを許すのかと聞かれたことがありました。なんでだろうなとぼんやり思って。リストラの危機の中で、ストレスを目いっぱい溜めて頑張っている父を知っている、その癒しが彼女だったのではないか。拠り所がそちらにあるなら、私は自分で頑張ればいい、そう思いました。なんて言うのかな、その現実を受け入れていたのかもしれないなと。少し経ち、父は実家を出て一人暮らし。母と祖父に当たられ、さすがに辛くなった日、父の住むマンションへアポなしで行くと、少しだけ空いたドアから彼女が出てきました。父が不在でいることが分かり、ポロポロと泣きながら車を走らせた夜。一人になれる車があってくれて良かったなと思いました。その後、父から着信があったものの、もちろんスルー。すると留守電が残っていて。「なんで帰ったんだ。」今なら言ってやりたい。ばかなんじゃないか。そのシチュエーションで、リビングで彼女とお茶でもすすっていろと??そもそも、チェーンがかかったままで入れてもらえませんでしたし。その数か月後、父が風邪を引いたと私に連絡が入り、迷ったものの行くことにしました。薬を渡し、おかゆを作っていると、勝ち負けではないのだけど、こういう時に弱さを見せられるのは彼女ではないんだよなと思って。それからも、何回か呼び出され、転勤の間隔がどんどん短くなっていることが分かりました。「え?もう転勤?1年ぐらいしか経っていないよね?」「早く辞めさせたいのかもしれないな。」そう言って半笑いの父。栄転になり、岐阜から愛知に戻った時の凛々しかった表情を思い出すと胸が痛くて。脆さを娘に吐き出し、それで自分を支え、また明日から戦いに行く父の姿がそこにはあり、そんな一面を知っているのはきっと私だけだったので、銀行員として全うしてくれた時は感無量でした。父は、戦いきったのだと。

「ねえ、お母さん、お父さんが家を出て悲しいのは分かる。でもね、このおうち、戦後におじいちゃんが建ててくれたから、家賃がかからないんだ。それってね、とっても有難いことだと思う。辛い事よりも、いい事に目を向けようよ。そうしたら、きっと楽しいこと見つかるよ。」毎日泣いている母を慰め、ゆっくり顔を上げてくれた時間。「そうね。」と穏やかに言ってくれた時、母の笑顔は優しかった、その一瞬は本物だと思っています。「Sちんさあ、もうお母さんに宿題提出しちゃいなよ。前世からの宿題。そうしたら、これからも来世もきっとハッピーになるよ。」ネネちゃんから何度も言われたこの言葉、そして想い。虫食い問題にしてくれないかなあ。息子が用意してくれたりして。『自分の幸せは○○で見つける』“自分”でしょと解答したら、“神宮”だよとか言いそうだな。答えはきっとひとつじゃない、だから生きていくって面白い。