何があるか分からないから面白い

この間も、癒しの主治医の元へ。いつものように、私のお腹を触る前に自分の手をこすり、「今日も冷たくてごめんね~。」と。そんな先生の気持ちが温かいから大丈夫ですよと思いながら、優しく触診が始まりました。相変わらず、手から伝わるハンドパワーがすごいなと思っていると、先生の手が止まり、伝えてくれました。「ここにゴリっとするものがある。最近婦人科検診に行った?」と。思いがけないことを言われ、動揺しながら思い出し、「5か月前に行った時は何も問題がなかったです。」と伝えると、そうかと呟きながらもう一度触ってくれました。私が痛がると、先生が真剣な顔になり言葉を選びながら、話してくれて。「子宮のあたりにある塊が気になるから、できるだけ早く婦人科に行ってきて。子宮筋腫かもしれない。」そう言われ、まさかの展開に混乱しながらも、息子を出産した産婦人科に紹介状を書いてもらい、その日の診察を終えました。ゴッドハンドだな、そう言えば触りながら前回の診察では気づかなかったんだけどなと呟いていたな、どんな時も先生らしいと思いながら沈んだ気持ちでお会計。

そして、複雑な気持ちを抱えながら自宅に帰り、婦人科の予約の電話を入れると当分いっぱいとのこと。仕方がないかと思っていると、たまたま明日キャンセルが出ていました~と言われ、有難くその時間に入れてもらうことに。そして、非常勤のおじいちゃん先生に超音波検査で診てもらうと、「これは放っておいたらダメだよ。」と言われ、慌ててしまいました。面と向かい、画像を改めて見せてもらい説明を受けると、子宮筋腫もあったのですが、別の病気が見つかってしまいました。そして、嫌な塊があるから精密検査が必要とのこと。卵巣がんの可能性もあるから、まずはMRIで確認するよと言われ、まさかの事態に動揺が隠し切れませんでした。そんな様子を感じた先生が、その後の検査結果で今後の治療方針を決めるから、その時に担当してくれるのはここのセンター長にしておいたからと親指を立てて、トップを意味するジェスチャーだったのだろうけど、安心しなさいのサインのようにも思えて、少しだけ救われました。
そのまま凹んだ気持ちで、すぐに血液検査が。その様子を見ていた看護士さんが、できるだけ和ませようと初対面とは思えないため口で話しかけてくれて。「どちらの腕が採血しやすいとかある?」「いつも細いって言われて。多分右です。」「ちょっと見せてね。あっ、細っ!」と笑ってくれて。こうやって沢山の患者さんを励ましてきたんですね、そんなやりとりになんだか泣き笑いをしそうでした。卵巣からの出血に貧血があってもおかしくないということで、大事をとって寝かしつけられながらの採血。その時も、くだらない話を盛り込んでくれて。人の笑顔は、どうしてこんなに力をもらえるのだろう。また会いに来ますね、そう思いながらお別れ。

その日のうちにMRIの説明を事務的に受け、お会計を済ませ、自宅に帰って一人になると、なんだかポロポロと泣けてきました。検診を受けてからの5か月の間、違和感があった。それでもホルモンバランスの乱れぐらいに思ってやり過ごしていたのは自分。その後悔が押し寄せ、それでも主治医が見つけてくれたことが本当に嬉しく、後者をラッキーだったと思うことにしようと決めました。どうやら、手術と入院は避けられないらしい。さあ、どうしようか。最初の心配は息子のこと。冷静に母に電話を入れると、声が聞こえ、なんでもない雑談をしていたらやっぱり泣けてきて、状況を話すと驚かれたものの、毅然と伝えてくれました。「Rのことは任せなさい。大船に乗ったつもりでいいから。お父さんのこと、まだ辛いこともあるけど、あなたが話を聞いてくれたから紛れたりもしたの。だから、お母さんのことは心配しなくていいのよ。まずは結果を待ちましょう。S、いい?体ももちろん大事だけど、心も大事よ。こんな時は弱ってしまうから、何かあったら頼ってきなさいね。無理はダメよ。」祖母の乳がんの介護を8年間やった母の言葉は力強く、これはもしかしたら神様のいたずらなのではないかと思いました。私が嫌でも母に甘えられるように、準備を整えてくれたのではないかと。

私が尊敬する祖母は、生まれつき体が弱く、祖父との間に生まれた男の子は1週間で亡くなりました。そして、あと一人しか産めない体になり、母を出産。厳しい祖父にプレッシャーをかけられ、一人っ子の母の心は少しずつ病んでいったのではないかと感じました。母が姉を妊娠中、父の浮気が発覚。その時に母の心が壊れたのではという姉の分析は、間違っていないようにも思いました。祖母は、生まれてくる子供の為に我慢をしなさいと母に言ったよう。せっかく授かった命なのだからと、そこには沢山の思いが込められていたのだと思いました。沢山我慢をさせた娘のことが心配で、祖母が私に託してきたバトン。時は流れ、息子の出産前、誰もいない陣痛室でもがいていると、人の気配がしました。それは、母よりも少し上ぐらいの1人の男性でした。ああ、亡くなった伯父さん。へその緒をぐるぐる巻きにして、脈拍が乱れた息子と私を助ける為に来てくれたのだと思いました。無事に出産を乗り切ろう、あの時程命の重みを感じたことはありませんでした。
あまりにも沢山の医療関係者の方達の励ましで帝王切開を回避、自力で出産し、息子の産声がすると、伯父さんが微笑んで去っていくようで。この子を大事に育てます、そう約束して心の中でお別れ。まともに寝ていないし、気力だけで痛みと戦っていたから、私の妄想だったのかも。でも優しい人だった。

祖母とのお別れは、小学校二年生の春。そう、息子は、今二年生。このタイミングでこんなことが待っているなんてね。だから、人生は面白い。でも、歴史は繰り返さないよ。結果が良くても悪くても、どちらでも笑い飛ばしてやる。