専門を追求する

息子の夏休みの宿題で、調べ学習が多かったので、一緒に図書館へ出向きました。その日も酷暑、こちらがどれだけ説明しても全く聞かないので、段々腹が立ってきて、カウンター近くで小声のまま怒ってしまって。図書館って思っているよりも響くんだよなと冷静になった時にはすでに遅く、貸出処理の際に司書の方が苦笑いしているのが伝わり、やってしもた!と小さな反省会が始まりました。それでもミッションは終わったので、無事に二人で帰宅。そしてまた別の日、同じシリーズの本も必要なのではないかと頭が動き出したので、息子に伝え再度図書館へ。その本も前回同様に、検索画面からプリントアウトをし、書庫から出してもらう為にカウンターで依頼したので、いろんな思考が巡り出し、思い切って司書さんに伝えさせて頂くことにしました。どうか、変なプレッシャーになりませんように。「出して頂きありがとうございました。あの、これは絶対にそうしてほしいという訳ではなく、一つの意見として聞いてもらえたら有難いのですが、今中学生の子達がいろんな職業について学んでいたりするんです。図書館に来て、このシリーズが書庫ではなく開架にあると、子供達も手に取りやすいかなと思ったので、検討して頂けたら嬉しいです。」そう話すと、メモ用紙にタイトルを書き、上の者と相談してみますと言って頂けたので、その気持ちにお礼を伝えその場を離れました。いつも利用者さんの目線であれ、それが私の大学図書館時代の上司の教えでもあって。自分がまだ中高生の頃、すっかり図書館は常連になっていたものの、調べたい本が書庫にあると分かった時は、なんだか手を煩わせたくなくて、何気に内気だったこともあり、本棚に置かれている本だけを手に取るようにしていました。子供達ひとりひとり、いろんな性格の子がいる、そんな中で自由に手に取れる場所に置いてもらえたらと、司書だった自分と、社会科の免許を持っている自分、そして母親としての想いを混ぜ、投げさせてもらった球でした。1冊の本が、たった1行の文が人の人生を変えることもある、本気でそう思っているので、子供達の手に届いてくれたらいいな。

そんなことを思いながら帰宅し、関連書籍を息子に渡して、だめ元で書庫にあったシリーズを開架にしてもらえないか、お願いをしてきた話をすると聞いてきました。「カイカってなに?」「ああ、ごめんね。公共図書館の書庫は、司書の方にお願いしないと本を出せないことが多いんだけど、開架は開かれた場所にあって、誰でも手に取ることができるの。このシリーズはそれがいいような気がしてね、スペースの問題など図書館の事情もあるから何とも言えないけど、ひとつの意見として聞いてもらったの。」そう話すとひと言。「ママが図書館で働いたら?」そう言われ、ふふっと思わず笑ってしまって。偉そうなことを色々言っているけど、私はへなちょこ司書だったし、今もへなちょこライターだよ。でもね、その二つの仕事はとても好きで、繋がっていて、誇りを持っている。大変なこともあるけど、信念を抱いていたら頑張れる、それをあなたにどう伝えていったらいいんだろうね、心の中で語りかけてみました。ゆっくり巡らせ出てきた言葉があって。「お母さんね、今のお仕事を大切にしているよ。大学図書館にいた時ね、カウンターで、明日試験で資料が見つからないんです~とかレポートが間に合わないんです~とか、何度も学生さん達に泣きつかれたことがあったの。でも、お母さんも学生時代に司書の方に助けてもらったから、その気持ち分かるよと思いながら、接していた。前にも言ったんだけど、お母さんはRにとってのカーナビのような存在だと思うんだ。長く生きてきた分、いろんな道を知っている。でも、時に間違う。どれを選ぶかは、Rが決めればいいんだよ。お母さんが決めた道を、なんとなく選んで後悔するようなことはしてほしくないって思う。人生って一度きりだから。後戻りしたっていいんだよ、遠回りしても。でも、アクセルとブレーキとハンドルは自分で握ってほしい。お母さんね、子供の時から家族のことで沢山悩んできたけど、誰かの家庭を羨ましく思うのはやめようって思った。人は人だし、自分は自分だから。Rもいつかお母さんとお別れが来る。その時にね、振り向かなくていいんだよ。Rが自信を持って歩き出してくれたその後ろ姿が、お母さんは嬉しいし、それだけで十分。どんな世の中になっても、自分の軸を持っている人は強いって思う。Rの卓球のラケット、前にイライラして乱暴に使ってしまったことがあったね。あのラケットも、作ってくれた人の想いがあるの。どんな人がこのラケットを持って、強くなってくれるだろうって、そんな願いが込められていたりするんだよ。梱包し配送し、スポーツ用品店に届けられ、そのスタッフさんが顧問の先生とやりとりをしてくれて、Rが握ることになった。世界はそうやって繋がっているんだ。点じゃないよ、線であり円であり、球なんじゃないかな。視点を変えると、幸せや感謝が沢山見つかるかもしれないよ。そんな生き方ができたらいいね。」そう話すと、目に涙を溜めてそっと聞いていました。結局は自分次第、世界がどう見えるのかも。そんな気持ち、伝わっていたらいい。

夏休み、考えることが多過ぎて、それでも息子が私から少しずつ離れ勉強するいい機会だと思い、勇気を出して学習ボランティアの方が運営する場所へ、説得をして二人で出向きました。ど緊張の息子、その気持ちを宥めながら建物へ入ると、優しい年上の女の先生が二人にこやかに待っていてくれて、親子でほっ。そして、正面に座ると、かき氷が二つ出てきて、感激で泣きそうになりました。息子に振舞ってくれるだけでも嬉しいことなのに、まさか自分の分まで出てくるとは思わず、その優しさにぐっときて。サポートしたいのはお子さんだけではありませんよ、そう伝えてくれているようでした。繊細な息子との日常、色々苦戦しながら勉強を教えてきたけど、親子間の難しさも痛感した、でも頑張ろうとしている彼を応援したい、いろんな思いを話すと、うんうんと優しく微笑みながら全肯定してくれるので、一人で来ていたら涙が一滴こぼれるところでした。教育実習先の社会科の恩師の言葉が、もう一度聞こえてきて。「あなたが見てきた社会を、未来の子供達に語ってあげてくれないか。」先生、語り尽くせないですよ、大変で、あたたかくて。だからこそ書き続けたい。自分の専門も、やっぱり球体のようにくるんと包まれているのかな、そんなことを思わせてくれた夜でした。息子が途中で止めようが続けようが、この面談のぬくもりを忘れない。若い学生さん達が勉強を教えてくれるらしい、私も彼らの何かになれるだろうか。