拠り所

息子が自分の血液型を気になりだし、聞いてきました。「ボクの血液型ってなに?」「まだ検査していないから分からないんだよ~。」「ママは?」「O型。」「だったら多分ボクも一緒だ。」半分の確率でそうだし、私の知っているO型男子っぽいな、まあ8割方当たっているだろうと思うと、なんだか笑えてきて。一緒に野球を観ていたら、一人の選手が空振りをしてから一塁に走っていくので、質問をされたことがありました。「え?今の空振り三振じゃない?」「ツーストライクの後、バッターが空振りをしてしまっても、キャッチャーがうまくキャッチできなかった時は、一塁に走ってもいいの。それを『振り逃げ』って言うんだよ。」「え?!食い逃げ??」「違うよ。何にも食ってない!!大体試合中になんで食い逃げなのよ。選手達に失礼でしょ。」と笑いながら伝えると、息子も大爆笑。「振り逃げって、もうちょっと他に表現はなかったのかなあ。なんか、悪いことをしてるみたいな感じになっちゃうよね。」と言うので、私も小学生の時に同じような意見を持ったなと二人で大盛り上がり。笑いのツボが似ているので、『振り逃げ』談義で話は尽きず、楽しい夜を過ごしました。息子の血液型は、O型以外に考えられる?!

そんな相変わらずの日常の中で、また新宿への通院日がやってきました。息子を学校へ送り届け、家事をこなし、電車に乗り、立ったまま行くのは辛いなと思っていると、タイミングよく席が空き、ほっとしながら新宿駅へ。まだまだ人が多い時間帯を歩いていると、20代の頃の自分とすれ違った気がしました。意地を張っていた頃、少し無理をしていたこともあって、30歳の誕生日にブルガリの時計を思い切って買いました。40歳の誕生日に細部まで修理をしてもらおうとオーバーホールを依頼。息子との新しい生活の時には電池が切れていた為、久しぶりに電池交換をしてまた動き出したものの、たった数日で止まってしまい、本当に壊れてしまったことが分かりました。一緒に時を刻んでくれていた時計、このタイミングで止まったのは、何かのサインなのかもしれないなとなかなか感慨深いものもあって。そして、腕時計を付けずに先生の待つ病院へ向かうと、待合室ですでに50分が経過しました。すると、看護士さんが通過する時、「○○さん、ごめんなさいね~。もう少しでお呼びしますね~。」と初対面なのに明るく声をかけてくれて、和みました。その後、先生と対面するとここ最近の辛さがすっと消えていく感覚があり、驚いて。そして、先生がクールビズなのかネクタイを締めずに、水色の綿シャツに白衣だったこともあり、いつもの調子が戻ってきて素直にこちらの状態を説明しました。「この間、婦人科に行ったら、残った卵巣があまり機能していないかもしれないと言われて、最近の不調とも重なるし、納得してしまいました。」「本当の更年期か・・・。」とぼそっと先生が呟くので、なんだか笑ってしまって。更年期にうそも本当もないかと思いきや、私がやっていた治療はホルモン剤を服用した『偽閉経』だったので、ホルモン剤を止めても生理が来ないということは、卵巣の働きが弱く、実際に生理が来なくなってしまったということを総括して、本当の更年期という言葉になったんだろうなと。ただ、先生と付き合いが長いだけにツボにはまってしまって。「はい、本当の更年期かもです。」と伝えても、先生と私の間に流れるほのぼのとした時間の流れが看護士さんにも伝わったのか、小さく頷きながら見守ってくれていることが分かりました。最近の話、そして具体的にどんな辛さがあるのかを聞いた後、お子さんは元気?とも質問してくれて。これが先生なんだよね、そう思いました。患者さんだけでなく、その人を取り囲む環境まで心配してくれる、あなたの安心が増えるといいね、不調の原因を探り、焦らず向き合っていこう、ここまで越えてきたから大丈夫。前よりもいい表情をしているよ。届けてもらう言葉から、先生の沢山の気持ちを感じました。そして、触診でベッドに横になろうとすると、直方体の枕を落としてしまい、慌てて謝ると伝えてくれて。「あなたが悪いんじゃなくて、この枕が滑りやすいからよく落ちるんだよ~。」そう言って、看護士さんよりも素早く使い捨てのカバーを取り換えてくれました。先生のそんな言葉や態度にどれだけの患者さんが救われたでしょうね。本当の優しさ、先生から沢山学びましたよ。そんな気持ちと共に、今回も笑ってお別れ。いつも扉を開けると、そこはもう異空間で音が無くなり、先生とのこんな時間が大きな支えだったのだと改めて思いました。本から飛び出してきたかのような異次元の優しさを持った医師、この先どれだけのことを吸収できるだろうか。

その後、プログラマーのMさんが外で待っていてくれたので、新宿の街を歩きながらカフェへ向かいました。不思議な形をしたビルが沢山あり、そしてモード学園のコクーンタワーが見えると胸が詰まって。20代の頃、そのタワーを見上げると、名古屋にもあるモード学園のスパイラルタワーズを思い出し、繋がっているんだよねと何度も励まされました。名古屋駅の懐かしい匂いが蘇り、ぐっと堪えていた若かりし時代。そして、緑が生い茂る歩道を歩いていたら、横浜家庭裁判所へ向かっていた街並みを思い出し、ふと横を見るとプログラマーのMさんが同じ速度で歩いてくれていて、ぐっときました。あ~私、一人じゃないんだなって。妹のように心配してくれるビジネスパートナーがいて、そこにいてくれる人の存在を当たり前だと思ったらいけないなと改めて思いました。行き交う人達、緑が風で揺らぐ音、木の匂い、車の音から少し顔を上げると高層ビル群が立ち、そのさらに上に空が広がっていました。いろんな確率で人が出会い、別れ、また出会っていく。沢山の奇跡が重なり、続いていくひとつひとつの繋がりにありがとうと伝えたいです。下半期も良き日々になりますように。