関西弁に救われる

私の周りには、意外と関西出身の方達が多く、関西弁が懐かしくもあり、聞くと嬉しくなります。

大学は愛知県内だったのですが、関東よりも関西からの学生さんが多く、ボケとツッコミはかなり鍛えられました。
兵庫県出身の男友達と話していても、「なんでボケにボケを重ねるねん!俺、今絶妙なボケをしたやんか。そこで突っ込まなあかん。もう一回いくで!」もういいよ~、普通に会話しようよ~。
こんなことが日常的で、本当に楽しかった。

その友達は高校の教員を目指していて、私が教育実習前、「先生にとって大切なことって何だろう。」と真面目に聞いてみると、「笑いのセンスとちゃうか。」と言われ、一気に緊張感が抜けていき、大笑い。ひと言でリラックスさせてくれるってすごいな。笑いのセンス、社会科の授業で生かされたはず!指導教官には、生徒達のノリに付き合い過ぎだと、後から怒られましたけど・・・。

教職課程の講義の中で、グループになって授業を作るという時間があった時のこと。その陽気な友達と、さらに数人の男女入り混じった友達5人で、道徳のような授業を組み立てました。柱を決めて、リレー形式で内容を繋げ、自分の見解を話し、生徒役の学生さん達に訴えかけるというもの。
4番目だった私は、高校を中退して大検を狙っている友達の話をし、一度の挫折から這い上がり、色々な選択肢がある中で、目標を見つけた友達の声が弾んでいて嬉しかったことを、教壇の上から伝えました。すると、トリを飾る5番目の彼が、こっそり親指を立てて微笑んでくれていて。

よく届けてくれた。しっかり繋げるから、最後は俺に任せろ!

一番手前に座っていた彼と、アイコンタクト。いつもは軽いノリなのに、その時通じ合えたと心から思いました。私が作った授業の山場を、最後にしっかりと受け止め、その気持ちを見事に繋げてくれた素晴らしい締めに、役目を果たした私は泣きそうでした。
一人で作った授業じゃない。仲間と、少ない時間の中で、半分はその場の雰囲気で作り上げたもの。言葉が、想いが、優しさがリレーされ、その気持ちは生徒役をやってくれた学生さん達にも届きました。

帰りのバスに乗り込むと、後からその授業を受けていた同じ学部の子が走ってきて、「先ほどの授業、とっても感動した!ありがとう。教職課程、頑張ろうね。」
本当に届いたんだなあと、でもそれは陽気な彼が笑いなしで、まとめ上げてくれたから。
いつも皆を笑わせるノリには彼の優しさが入っていて、しめる時はしっかりしめてくれる。こういうメリハリが、いい授業を作っていくんだろうな。

「阪神大震災の時、被害は大丈夫だった?」とさりげなく聞いてみた時がありました。「俺んちのタンスが、全部一気に開いただけやった。ショートコントみたいやったで。」
兵庫県出身の彼、本当はもっと被害があったんじゃないかと思う。本人だけでなく親戚の皆さんも。
それを笑いに変えて心配をかけない。その明るさにいつも救われた。

関西弁を聞く度よみがえる、明るくて深い思い出。